心と体

新型コロナウイルスとワクチン接種の経過の差と食生活と腸内細菌叢と腎臓の健康状態。 Differences in the course of the new coronavirus and vaccination, dietary habits, intestinal microflora, and kidney health.

新型コロナウイルスの感染やワクチン接種で、感染後や接種後の影響の軽い人と重い人にはどんな差があるかどう言う調査がされているのでしょうか。

見落とされているのは、食生活や腸内細菌叢ではないのでしょうか。

感染する前やワクチン接種の前には健康だったのに、感染後やワクチン接種後の経過で差が出るとすると食生活や腸内細菌叢の差くらいしかないと考えられるのです。

近年になって食生活とアレルギーの相関関係が注目されているが、特に注目されるのが食生活と腸内細菌叢の関係なのです。

新型コロナウイルス感染後やワクチン接種の後の経過の差と、食生活と腸内細菌叢の相関関係の差の比較が調べられた話は少なくとも私は聞いた覚えはないのです。

これは、新型コロナウイルスと健康の関係を調べる上で盲点じゃないのでしょうか。

それと、気になるのは腎臓の健康状態です。

腎臓のコンデションの良し悪しが、私達の想像以上に全身の健康に影響を及ぼす事もわかってきたからです。

必要と信じて投薬されてきた薬は腎臓をかえって疲弊させる場合があるとわかってきたので、今では全身の症状によっては投薬を休む場合さえあるのです。

新型コロナウイルスの感染やワクチン接種の経過の差がどうして出るのか知りたいのなら、食生活と腸内細菌叢と腎臓の健康状態を調べるべきです。

What kind of difference is being conducted between people who are less affected by the new coronavirus infection and vaccination and those who are more affected after being infected or vaccinated?

Isn't it the diet and the intestinal flora that are overlooked?

Although they were healthy before infection and vaccination, if there is a difference in the progress after infection or vaccination, it is thought that the only differences are dietary habits and intestinal microflora.

In recent years, the correlation between dietary habits and allergies has attracted attention, but the relationship between dietary habits and intestinal microflora has received particular attention.

At least I don't remember hearing any stories that compared the difference in the course after infection with the new coronavirus or after vaccination and the difference in the correlation between diet and intestinal microflora.

Isn't this a blind spot in investigating the relationship between the new coronavirus and health?

I'm also concerned about kidney health.

This is because we have come to understand that the condition of the kidneys affects the health of the whole body more than we imagine.

I have come to realize that the medicines that I have been prescribed because I believe they are necessary can actually exhaust the kidneys.

If you want to know how the course of COVID-19 infection and vaccination might differ, you should look at diet, gut microbiota, and kidney health.

 

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ミソジニーとは何か、どうしたら乗り越えられるのか、考えてみた。

ミソジニーは克服されなければならない、悪しき古い習慣です。

克服のために多数派になりたいなら、どうしたらよいのでしょう。

ミソジニーは、女性に対する蔑視を表現する言葉として理解されるようですが、一筋縄ではいかないのです。

しばしば、女性の重用としても、あらわれるからです。

女性の蔑視と重用、一見すると矛盾しているように思えます。

ところが家父長制の中では、矛盾しないのです。

「父権制」とも言われる「家父長制(かふちょうせい)」は、家長権(家族と家族員に対する統率権)が男性たる家父長に集中している家族の形態です

古代ローマにその典型を見ることができるが、日本の多くの組織や集団にも根強く残って、ミソジニーやセクハラなど否定的現象を引き起こしているのです。

「ミソジニー」とは、「家父長制」に対して女性が結束しないように分断を持ち込む行為なのです。

家父長制は女性に対する男性の上位を、意味します。

けれど、男性の中にも上下があり、男性の多数もまた家父長への服従を求められているのです。

女性はこの秩序の中で重用されたいならば、家父長への忠誠を示さなければなりません。

家父長への忠誠を示すなら、女性であっても優遇される立場になれるのです。

だが、優遇されたように見える女性と言えども男性への服従を強いられた立場には違いないのです。

彼女達もまた、さりげなく不満を聞き出して反乱予備軍に巧みに引き入れるべき存在であるのです。

一握りの人達による家父長的支配に対する男性達の不満もまた、どんどん聞き出して彼らをミソジニーとの戦いの味方に引き入れるべきです。

心から同情されて裏切り者になる人は、少ないのです。

何か家父長制に対する不満があるか問うのではなく、労いの言葉で自尊心を尊重するのが良いでしょう。

服従を強いられた人々は、知らず知らずのうちに卑屈な気持ちになっているからです。

その卑屈な気持ちを、謙遜だと思い込んで何とかして自尊心を満足させようとしているのです。

その偽りの自尊心を、心からの自尊心に変えてもらう手間はかかるが大切な行為です。

何度か繰り返して信頼されるなら、本音は当人の口から自然と出て来るものです。

粘り強く不満をさりげなく聞き出して一人一人順繰りに味方につけ、満を持して行動に出た方が良いでしょう。

身近な集団や組織から、変えていきましょう。

家父長制的支配の中で沈黙や服従を強いられた男性の不満のはけ口として、女性は位置付けられてきたのです。

ミソジニーと戦うなら、沈黙や服従を強いられた男性達は味方にするべき人々なのです。

政治は力関係で決まり力関係は数で決まるから、ここは絶対に抑えるべき要点です。

「ミソジニー」と効果的に戦いたいと思っている人達は、「ミソジニー」と「家父長制」との関連をちゃんとつかんだ方が良いでしょう。

「家父長制」の下で若さや経験不足などを理由に沈黙と服従を強いられている男性との共同や協力が、絶対に必要になるからです。

家父長制の犠牲者が、性別を超えて協力し共同してこそ、ミソジニーは克服できるでしょう。

そして、その主役は私達一人一人です。

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声を大にして言いたい!塩とミネラルをもっと見直した方が良い!

2020年から世界は、SARS-CoV-2(新型コロナウイルス)に感染して発症するCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の対策で大変な事態になっています。

無症状感染者からの感染も指摘され、PCR検査の拡充も課題となりました。

薬やワクチンの開発も、求められました。

人間の世界では薬やワクチンなどがあるのですが、野生動物の世界にはもちろんありません。

でも、野生動物だって治癒力や免疫力を維持したり高めたりしないわけにはいきません。

薬草になる植物は、どこにでもあるものではありません。

それにネコ科の肉食動物は、腸を整えるために草を食べることもあるけど基本的には肉が主食です。

ネコも人と暮らしていると、パンやご飯やパスタやトウモロコシや海苔なども食べるようにはなりますけどね。

自然環境では、肉食動物は植物由来の栄養の大半を草食動物経由で摂るのが普通です。

薬草はどこにでもあるわけではないとなると、動物は草食だろうが肉食だろうが食事で薬になる成分を口にするのは至難の業です。

では、どうすればいいのでしょうか。

動物が共通して口にしているのは、空気と水と塩とミネラルなのです。

塩とミネラルは、それが豊富にある土から摂ります。

昔から家畜と共に生きる人たちは、塩の摂取が少ない家畜の腸と皮は破れやすくて使い物にならないと知っていました。

塩とミネラルの効果はてきめんで、荒れている皮や腸も少量摂るだけで短時間で整うのです。

おそらく塩とミネラルで細胞のレベルから、調子が整うのでしょう。

治癒能力を速やかに体から引き出すだけではなく、免疫力も高めるのかもしれません。

免疫力を担っているのも、細胞だからです。

塩とミネラルで気になる情報が、2018年2月10日放送の「世界ふしぎ発見!」でありました。

『チョコレート 世界をHAPPYにするあま~い魔法』がタイトルの回で、主役はチョコレートです。

私が驚いたのは、長寿で生活習慣病知らずのパナマのクナ族です。

クナ族の方たちは、ガン、高血圧、認知症の患者がほとんどなく、また脳卒中、心臓病、糖尿病などにかかる人も極めて低く、尚且つ長寿であることで注目されています。かつてそれは遺伝的なことだと考えられていましたが、近年それはカカオの影響ではないかと言われているのです。バックナンバー|TBSテレビ:日立 世界ふしぎ発見!

この番組では、カカオばかりに注目していました。

無理もありません。

何しろカカオは、腸内をきれいにし便通を改善して肥満防止や大腸がん予防に役立つ食物繊維、活性酸素を除去する抗酸化作用で知られるポリフェノールが豊富なばかりか、カカオのポリフェノールは特にコレステロールの酸化を防いで動脈硬化などの生活習慣病の予防に効果的な上に癌の予防効果やストレスへの抵抗力を高める効果まで注目されているのです。

さらにカカオには、大脳を刺激して集中力や記憶力そして思考力を高めて気力をUPさせるばかりか自律神経を調節する作用もあるテオブロミン、脳にとって最も効率の良い栄養であり脳の神経伝達物質アセチルコリン生成の手助けするブドウ糖、ビタミンEやナイアシンなどのビタミン類や、カルシウム、マグネシウム、亜鉛、リンなどのミネラルも含まれていて特にカルシウムとマグネシウムのバランスが良いのが注目なのです。

なので、この番組ではカカオ大絶賛です。

一方で塩と言えば、体に必要とされながらも取り過ぎに注意しましょうとされ、最近あまり良いイメージがありません。

この番組では、完璧にカカオの引き立て役扱いです。

でも、私は言いたいのです。

結構だらけに見えるチョコレートなのに、大好きな国にも病院はありますよね。

ところがこのパナマのクナ族と来たら、医者に行くのは健康診断の時だけなのです。

健康であることを確認するだけのために医者に行く人々って、すごくありませんか。

パナマのクナ族、摂っている塩の分量は半端じゃないのです。

それでもなお健康なのは、カカオにバランス良く含まれているミネラルのおかげでしょう。

毎日チョコレートドリンクを1リットルも飲めば、どっさりの塩と釣り合うだけのミネラルが摂取出来ているのではないでしょうか。

再度言いますよ。

野生動物には、病院はありません。

その野生動物の健康維持に貢献しているのは、塩とミネラル以外にありますか。

パナマのクナ族の健康に対するカカオの貢献は、確かに大きいでしょう。

でも、陰の主役は塩とミネラルなのではないでしょうか。

新型コロナウイルスで大変な今、パナマのクナ族は要注目な人達です。

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発酵食品をもっと見直した方が良いかも。

科学的根拠を確かめたわけじゃないから憶測でしかないけど、アジア諸国で全体的に新型コロナウイルス感染者が少ない理由として生活習慣の差は大きいと思えるのです

食は体を作るが、アジア諸国の食生活で目立つのはやはり発酵食品ではないでしょうか。

欧米では、地域差はあっても酒を除けばチーズやヨーグルト位のものでしょう。

アジア、特に南アジアは気候的に腐敗との戦いだったはずなのです

腐敗菌は好気性が多いが発酵菌は嫌気性が多いので、腐敗対策をどんなにしても発酵は避けにくかったでしょう。

アジアで発酵食品が多いのは気候風土のせいも大きいだろうが、それが新型コロナウイルス感染者が少ないのと関係あるのでしょうか。

アジア諸国の新型コロナウイルス感染者が少ないのと発酵食品の相関関係は偶然か必然か、どっちにしても感染者が少ないのは確かなので発酵食品を美味しくいただくようにしましょう。

効果があろうがなかろうが、おいしいからどちらでもいいですよね

健康と発酵食品で、思い出しました。

甘酒は江戸時代、夏バテ防止の栄養ドリンクだったらしいのです。

栄養価ももちろんだが、発酵食品のよさは消化吸収が良い事ですよね

江戸っ子は、甘酒をあったかくして飲んでいたと言います。

暑いからと冷やしすぎるのは体に良くないから、これも生活の知恵でしょうか。

美味しくて奥が深い発酵食品、もっと健康との繋がりが研究されると良いですね。

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聖書の神が求める思慮とは?


聖書の中には、一体何を言いたいのって思いっきり突っ込んでみたくなる聖句も少なくありません。
これも、そんな聖句の一つではないでしょうか。
箴言 1章 22 「思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで/思慮のないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけり楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
思慮がないって私だってちゃんと考えて生きてるんだよ神様何因縁つけてるんだ、そう反発したくなる人も多いのではないでしょうか。
でも神は言うでしょう。
あなたが考えてないとは言っていない、私の求めたいような内容や段階には程遠いのだ。
じゃあ神は、なんでそう私達に思慮がないと文句を言うのでしょうね。
こんな聖句があります。

マタイによる福音書 7章
3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。

自分の目に梁があると認めない者と思慮のない者を等しいと見れば、次の聖句の意味がより深く見えるかもしれません。
ここで言う、思慮とは神の御心にかなう思いでありましょうから。
神様に言いたいんだよ目に梁が入るわけないでしょうが、そう言うあなたの声が聞こえてきそうです。
目の中の梁がわからないのが、思慮が無いって事なのかと。
私達は自分が考えているつもりでも、人の言葉を受け売りしているだけかもしれません。
人の噂を真に受けているだけかも、しれません。
思い込みや思い違いや勘違いや早とちりに、気が付けていないのかもしれません。
知識や情報の不足に、気が付けていないのかもしれません。
神が言いたい目の中の梁とは、私達が気が付けていないうちに陥っているさまざまな誤りの全体なのでしょう。
神はさまざまな自らの不十分さに気が付けていないのに人に対してあれこれ突っ込んでいる人達を、偽善者と言いたいのかもしれません。

マタイによる福音書 7章
5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

そして、偽善者とは神の御心にかなう思いとしての思慮がないのにあると偽る者でありましょう。

さらには、自分が気が付かないうちに陥った偽善もあるかもしれません。

気が付かないうちに陥った偽善の裏には、神の御心に気が付けていない思慮不足と言うなら、私達は一体どうしたら良いのでしょう。

ヤコブの手紙 1章
5 あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

途方に暮れてしまったなら、神である私に解決策をとことん聞きなさい。
神様、そういう事ですか。
はいはい、わかりました。
私達はどうせ、あなたの求める水準の思慮はできません。
神様、あなたを質問攻めにさせていただきます。
その代わり、ちゃんとご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

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聖書の神が求める愛の実践とはどういう事か考えてみた。

聖書、特に新約聖書では愛の実践を求める神からのメッセージが繰り返されています。
例えば、この聖句です。
マタイによる福音書 22章
37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
38 これがいちばん大切な、第一のいましめである。
39 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
40 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
では、神の言う愛とはどうすればいいのでしょうか。
少なくとも流行歌で歌われているような愛では、ないでしょう。
神が実践を求める愛は、どのように行えばいいのでしょうか。
理解を得るヒントは、このような聖句かもしれません。
ルカによる福音書 6章
37 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
ここで言うさばくなとは、どういう意味でしょう。
法に触れるような行為は裁かれても当然なので、それをやるなと言うわけではなさそうです。
人に対する評価を安易にするな、と言うのかもしれません。
このような聖句があります。
マタイによる福音書 7章
3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
私達は皆自分の目に梁があっても気が付けていない、人への評価を正しく出来ているとは限らない以上、安易に恨んだり憎んだり妬んだりしない方が良いでしょう。
目に梁が入るわけがないので、もちろんこれは比喩です。
私達の知識や情報は、不十分な場合の方が多いです。
さらには、思い込みや思い違いや早とちりのような間違えをしていても気が付けていない時もあります。
噂に惑わされる場面も少なくないのは、誰もが思い当たるでしょう。
この聖句で言う目の中の梁とは、私達の正しい判断や評価を妨げているさまざまな要素の例えでしょう。
それに気が付いて取り除くのは、容易ではないです。
それが出来ていないうちは、あなたに私の何が分かるのとか、あなたの基準で私を図らないで、とか言われるのが落ちでしょう。
だからまず、自分の基準や判断を押し付けないように務めるところから始めるしかないのかもしれません。
私達誰にでも、苦手な相手はいます。
その人達を愛せと言われても、なかなかそう簡単にいきません。
まずは、安易に恨んだり憎んだり妬んだりしないところから始めるしかないかもしれません。
神である御父や御子の真似はそう簡単には出来ない、それは御父が一番よくご存知です。
だからこそ、やり直しが出来るように御子の犠牲がある。
ヤコブの手紙1章5節にあるように御父にひたすら質問しまくり、疲れたらマタイによる福音書11章28節にあるように休ませていただきましょう。
ヤコブの手紙 1章
5 あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
マタイによる福音書 11章
28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
御父や御子のような愛を実践できるようになるとは、贖罪のために我が身を捧げてくださった御子の真似が無条件に出来るようになる事でしょう。
聖書は、この世とはそのための修行の場と言いたいのでしょう。
でも、私は言いたい。
それが出来るくらいなら、私達は今頃この世界で修行してませんよ。

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自然塩とココアと蜂蜜と免疫力?

マタイによる福音書 5章
13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

皆さんは、この聖句をどう思うでしょう。

動物達は、時々土を食べます。

何故かと言うとミネラルが欲しいからなのだけれど、欲しいのはミネラルだけではなく塩分もなのです。

イザヤ書 30章
24 地を耕す牛と、ろばは、シャベルと、くまででより分けて塩を加えた飼料を食べる。
牛とろばが食べている飼料に混ぜられているのは、塩は塩でもミネラル豊富な自然塩なのです。
塩を摂らないと皮や腸は破れやすくなるので塩を与えるが、その塩は自然塩でなければなりません。
食塩と称する精製されている純粋な塩化ナトリウムでは、ダメなのです。
精製されている純粋な塩化ナトリウムこそ、マタイによる福音書5章で言うききめのなくなった塩なのです。
ミネラル豊富な自然塩は、肌荒れ防止にも、腸や血管の破れ防止にも、役に立つのです。
自然塩には、体の中を細胞レベルから改善する力があるのです。
メカニズムの解明は、まだまだこれからでしょう。
マルコによる福音書9章50節には、「塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。」とあります。
ここでイエスが持つように求めた塩はもちろん神の御言葉の例えだけれど、例えられている塩は言うまでもなく自然塩です。
自然塩は体内を細胞レベルから整える力を持っているとしたら、免疫力もまた、改善しているのかもしれません。
免疫力を担当する細胞も、あるわけですから。
自然に生きる動物達には免疫力を上げるしか、怪我や病気から身を守るすべはありません。
もしも自然塩が彼らの免疫力に役に立っているとしたら私達も使わないと言う手はない、そう思いませんか。
塩は使い方次第で、素材の持っている甘味を引き出しもすれば、食欲を促進する心地良い刺激にもなります。
その毎日摂っている塩を自然塩に変えるだけで免疫力向上が期待できるかもしれないなら、安いものです。
塩分って血圧大丈夫ですかと不安になるかもしれないが、自然塩ならその心配はあまりいらないでしょう。
チーズの保管には塩が必要なのだが、食塩と言う名の精製された塩分ナトリウムではチーズはボロボロになると言うのです。
でも自然塩ならチーズを損なう事なく、保管出来るのです。
それでもなお血圧が心配な方には、チョコレートやココアをお勧めします。
チョコレートやココアは血圧を正常値に整えてくれるポリフェノールたっぷりなので、塩分を安心して堪能してください。
チョコレートは苦さに色々あるし、ココアには砂糖抜きのパウダーもあるので、お好みの甘さでお楽しみください。
ちなみにチョコレートやココアは食物繊維も豊富です。
食物繊維とオリゴ糖は腸内フローラを整える役割があるが、蜂蜜にはなんと15種もオリゴ糖があると言います。
蜂蜜は少量でも結構甘いので、カロリー控えめでココアが楽しめて腸内フローラにも良い飲み物になります。
蛇足ながら、私は蜂蜜で飲むココアにはまっています。
自然塩とチョコレートやココアの合わせ技、ついでにオリゴ糖が手軽に摂れる蜂蜜、試してみてください。
毎日美味しく楽しめて、免疫力も上がるかもしれません。

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独裁者は無意識の行動が呼び寄せる。

マタイによる福音書7章7節には、「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」とあるが、これはある意味恐ろしい聖句でもあるのです。

なぜから聖書には、神は求める前から何を求めているかご存知だともあるからです。(マタイによる福音書 6章 8節)

つまりたとえ声に出していなくても、無意識のうちにこれを求めていると神に思われてしまえば神はそれを渡してくるという事でもあるのです。

最悪の場合、結果として独裁者を求めている事になる行動を続けていれば、独裁者が現実にやってきてしまうのです。

民主主義は本気で守らないと、簡単に失われてしまうのです。

誰かがやってくれるだろうではなく、私が守らないと民主主義は永遠に失われるくらいの危機感を持って、みんなが民主主義を守らないと、独裁者は明日にでもやって来るのです。

あなたの味方ですと言う顔をしてやってくるが、丸投げしてしまえば独り善がりで行動をはじめしまい、ついには独裁者になるのです。 

民主主義や、命や、暮らしや、平和など、今すでに行動を起こしている人に向かって「頑張ってください」と声をかける人は多いです。

けれども「頑張りましょう」と連帯の声をかける人は、いくらもいないのです。

行動の仕方は、人の数だけあるのです。

思うだけ、忘れないだけでも、行動なのです。

覚えていて欲しいのです。

行動と言うと、体を動かして何かをする事と人はとかく思いがちです。

体が動けば行動ではない、それは作業です。

行動とは、心が動くことなのです。

例え寝たきりでも、何かを思い、何かを考えていれば、それは立派に行動なのです。

作業は心の行動を形にする手段だが、手段でしかないのです。

機械でも出来るからなのです。

なぜ人は何か作業をしないと、行動と思わないのでしょうか。

心の中は見えないが、作業の結果は見えるからなのです。

だが作業は、いつでもできるわけでも、していいわけでもないのです。

それが可能な場があって、はじめて実行できるのだと、理解した方がいいのです。

大事なものはいつでも見えているとは、限らないのです。

行動の自由を保障するとは、心の自由を保障する事です。

人は思いとは違う作業をさせることはできるかもしれないが、心の自由まで奪う事はできないし、それは絶対してはいけないのです。

独裁者が許されないのは、意に沿わない作業をさせるからでもあるが、それ以上に心の自由を奪うからなのです。

忘れないでいたいものです。

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人はモノじゃない。

行動・行為・作業、違いは何でしょう。

行動は作業と言う行為を通じて、はじめて行動となるのですよ。

つまり心が動いた段階で行動であり、作業はそれを形にする行為に過ぎないのですね。

誰かに唯々諾々と随うだけなんて、行動じゃなくて作業なのですよ。

作業なら機械にでもできるのです。

心の動きを形にしてこそ、人間なのです。

非常事態だから誰かに従えなんて、バカも休み休み言って欲しいものです。

非常事態だからこそ、何が必要か、何が足りないか、伝えるべきなのですよ。

だから人は、心の動きを形にしてこそ行動だと思うようになったのです。

そこに気づいてくださいって、言いたいですね。

赤ちゃんだって、何かして欲しければ行動でそれを伝えるのですから。

黙ってろって、人はものですか。

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藪医者とはどのような呪術を用いた人達だったのか。

なぜ、少しの風邪でも大袈裟に騒ぐ医者を藪医者と呼ぶのでしょう。

実は「藪医者」は「野巫医者」とも書き、占い、呪術、まじないや悪霊祓いなどを職業とする霊能者の医者であったようです。

下手な医者を意味する言葉になってしまった藪医者だけど、その昔は人々から絶大な人気と信頼を勝ち取っていた呪術医であったはずです。

ちなみに藪医者をねこ医者と呼ぶ地域もあるようですが、「禰子(ねこ)医者」と本来は呼ばれていたのでしょう。

薬を扱っていたからか、「猫薬師」とか「猫の薬師」と呼ばれていた地域もあります。

禰子とは、神職の家系に属する人達をさす言葉です。

元々の意味が忘れられて「猫医者」と勘違いされることもあるようです。

呪術医(じゅじゅつい)は呪医(じゅい)とも言い、医療専従者のうち医療効果の根拠を超自然的なものに求めるもの、もしくは周囲の人間によって超自然的な根拠によって治療する能力があるとされる人々のことです。

民俗学や文化人類学では、シャーマニズムによるシャーマンドクター(shaman doctor)やウィッチドクター(witch doctor)とも呼ばれます。

彼らはなぜ呪術で治せるかと言えば、誰もが呪術医に絶大な信頼を寄せるからです。

ではどうして野巫医者は、ちょっとの風邪でも大袈裟に叫ぶと呼ばれるようになってしまったのでしょう。

呪術医は病名の診断にトランスや占いを行ったり、治療に際して治療儀礼を施すことがあるからです。

周囲から絶対的な信頼を寄せられているうちは、トランスや治療儀礼は当然なこととして受け入れられていたでしょう。

薬師と呼ばれていた人達も、薬は補助的な手段で治療の中心は呪術だったのかも知れません。

呪術による治療は、人々の信仰が前提となります。

イエスがよく口にしていた言葉があります。

「あなたの信仰があなたを救った」

呪術医しか頼れない時代、人々は信仰が強かろうが弱かろうが皆、禰子医者にお世話になったのでしょう。

だが仏教とともに、信仰の有無や程度を問わずに治してくれる生薬や漢方薬を用いる薬師が来ました。

苦しい時の神頼みや苦しい時のだけの神頼みの人が多いのは、今も昔も大して変わらなかったのでしょう。

いちいち信仰の有無や強さが問われる禰子医者や禰子薬師より、誰でも治してくれる仏師の医者や薬師の方に人々は流れて行ってしまいました。

貧乏でやむを得ない人がたいして信仰もないのにかかっても、禰子医者や禰子薬師の効き目は薄かった事でしょう。

やがて神域であった草深い所にいたこともあって別名として藪医者と呼ばれていた禰子医者や禰子薬師は、下手な医者の代名詞となってしまったのかもしれません。

西洋の魔女のように伝統的な薬の知識をもって治療していたなら今日でも残れたであろう禰子医者や禰子薬師は、不名誉な名前に転落した藪医者としてだけ人々の記憶に残っているのでしょう。

どのような呪術を用いていた集団だったのか、歴史研究に興味があるものとしては多いに興味があります。

アジア各地に残っている呪術医に近かったのでしょうか。

それとも他の地域の呪術医に近かったのでしょうか。

少しでも情報が欲しい所です。

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