心と体

バリアフリーやユニバーサルデザインを考えてみた。

バリアフリーとか、ユニバーサルデザイン、とか聞いたことがある人、皆さんの中にもいるでしょうね。

 

健常者も障碍者も使い勝手がいい事、それがバリアフリーとか、ユニバーサルデザインの目標であり、目的です。

 

私は出来るだけ「障碍者」の表記を使うつもりです。

 

「障害者」表記が、普通に生きたいだけなのに毎日の生活がまるで「障害物競走」と感じている人、と言う意味で使われているなら、それもありでしょう。


でも現実には、障害物扱いしているようで、あるいは、障害物扱いされているようで、違和感や不快感を覚える人たちもいます。

私もそう感じている一人です。

 

常用漢字表から「碍」の字が外されたために、「障害」の字があてられるようになって、様々な違和感を訴える人達がでたが、当然のながれでしょう。

「障碍者」表記を広めようとする動きがあるのは、嬉しいです。

 

障碍者は、自らの心や体に何らかの障害があるために環境に適応しにくくて困っている人ではなく、周囲の配慮が足りないために普通に暮らしたいのに障害物競走状態の中での暮らしを強いられている人と考えたらどうでしょうか。

 

障碍者に暮らしやすい環境は、実は誰にとっても暮らしやすい環境と言う事になるでしょう。

 

普通に暮らしたいのに障害物競走状態の中での暮らしを強いられていると感じている人がほとんどいない、それが当たり前な環境が、実はバリアフリーな環境なのではないでしょうか。

 

そう発想を転換したら、どうなるでしょう。

 

ホワイトな労働環境の職場とは、障碍者に対して働きやすい配慮のある職場、そうなると思いませんか。

 

障碍者であっても能力を最大限に発揮できる配慮のある職場は、健常者にとっても快適な労働環境の職場ではないでしょうか。

 

人手不足と言うなら、障碍者も働きやすい環境を作って彼らの能力を最大限引き出せるようにした方が良いでしょう。

他社に先駆けた方が、あなたの求める人材が集まりやすくなることでしょう。

 

障碍者とは、周囲の配慮が足りないために障害物競走状態での日常生活を強いられている人と見れば、乳母車の人も、もたつく高齢者も、ある意味障碍者となるでしょうね。

 

子育てや、介護や看病、これらが元で周囲の配慮が足りないために障害物競走状態での日常生活を強いられている立場になっている人は皆、障碍者的な状態に一時的にせよいると見たらどうでしょう。

 

つまり、障碍者とは特別な人達ではなく、人生のある段階では誰でもなり得る状態なのではないでしょうか。

 

そう考えると、バリアフリーは実は、自分たちのためになる、そう思いませんか。

 

ユニバーサルデザインは、みんなのためになるデザインのことなのです。

でも、無個性、没個性とは違います。

誰もが、使いやすい、使い勝手が良い、そう感じるように工夫する事なのです。

 

その場所や地域の特徴にあった、誰もが使いやすいバリアフリーな施設や設備、システムを考える事がユニバーサルデザインを考える事なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

罪を憎んで人を憎まずが問われる時代。

渋谷のハロウィンが過激を通り越して、ほとんど暴動に近くなってきたことが問題となっています。

 

もちろん、ルールやマナーを守って、ハロウィンを楽しんでいる人達もたくさんいるし、おそらく、その人達の方が多数派でしょう。

 

余りにも暴走してしまった一部の人たちのために、圧倒的多数の参加者がとばっちりを受けてしまうとしたら、気の毒としか言いようがありません。

 

渋谷のハロウィンで傍若無人な行動を起こしていたような人達は、自分がやっていることが悪いとわかっていないと思うのです。

 

どういう事を、どういう場所や場面でやって良いのか悪いのか、まずその判断が出来るような再教育をしてからでないと、いくら罰しても時間と労力のむだでしょう。

 

刑は、とにかく罰すれば良いと言うのではなく、再教育に重点が移ってきたのではないかと思うのです。

 

近年、依存症や疾病など刑の前に治療が必要な場合があると理解が広まってきました。

 

そして現代、刑の前に再教育が必要な人達が増えてきていないでしょうか。

 

或いは、刑即ち再教育にするべきか、悩ましい事ではあります。

 

私が懸念するのは、犯罪に対する苛立ちから厳罰化を望む動きが強まる事です。

 

刑の目的が再犯防止であり、その手段として再教育の重要性と有効性が確かめられつつあるように思えます。

 

再教育と人道的な扱いと、厳罰を求める世間との意識の落差をどう縮めていくのかいけるのか、要注目でしょう。

 

刑が再教育の性格を強めれば強めるほど、社会復帰支援プログラムの充実も必要となります。

 

それには、地域住民の理解と協力が必要であるとともに、受刑者の再教育に取り組む施設と地域の取り組みへの社会全体の理解も不可欠でしょう。

 

罪を憎んで人を憎まず、この立場に私達がどれだけ立てるかも問われるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

長時間労働を見直さないと子供たちの知能に悪影響があるかも。

この頃、子供たちのご飯離れが進んでいるといいます。
 
味がしないという理由が多いそうだが、噛む回数が半減していることが主な原因とされます。
 
だが、背景には家族団らんの時間が欧米の50%以上あるのに対し、日本は2割を切っていることがあると指摘されます
だとしたら、両親がご飯を味わってよく噛んでいる姿を見せるべきでしょう。
 
家族団らんの時間が少ない上に父親不在の食卓が当たり前となってないでしょうか。
それじゃ、てんてこ舞いな母親が、ご飯をよく噛んで美味しそうな顔で食べる姿を子供たちに見せることは絶望的に難しいのではないですか。
 
ご飯職を本気で守ろうと言うなら、今のうちに長時間労働を改めて父親も参加した家族団らんの食卓を復活させた方が良いでしょう。
ただし、食卓の支度や片付けを母親だけにしわ寄せするのではなく父親も参加した家族のイベントとして定着させる取り組みも必要でしょう。
今時の父親であれば、家族との触れ合いの時間として喜んで加わる人は多いかもしれません。
 
多少の手際の悪さを大目に見て回数を重ねれば、家族の一体感だって深めると思うのです。
 
よく噛むことは、知能の発達にも良い事はよく知られています。
 
子供たちの噛む回数の半減の背景に、父親不在な上に十分な時間が取れない個食化した食生活があるとしたら、日本の長時間労働は長い目で見れば子供たちの知能の発達にまで悪影響を及ぼす悪弊になっていると言う事ではないですか。
 
もっと危機感を持って欲しいのです。
 
日本で好まれているパンは、欧米に比べて柔らかすぎます。
ヨーロッパのパンは、フランスパンのようにもっと噛み応えのあるものが結構あるのです。
本場フランスのフランスパンは日本のものよりも歯ごたえがしっかりしているし、肉だってそうです。
 
噛む回数が減っていると言う事は、日本の知能の発達の危機でもあるはずです。
 
さらには、個食の増加を含めた家族団らんの時間の減少も、子供たちの知能に対する刺激を偏らせる事につながりかねない危険性をはらんでいるのです。
 
噛む回数の減少と重ねると、子供たちの知能に良いわけがないでしょう。
 
忙しいなんて言ってる場合じゃないですよ。
危機的状況になってからじゃ、遅いのです。
たかが食生活、されど食生活なのですから。
 
食べるという行為を、甘く見ちゃいけないです。
 
十分な睡眠と並んで、心と体づくりの基本中の基本なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

性教育の目的を見失っていないでしょうか。

性教育はそもそも、何のためにするのか、皆さんは考えた事がありますか。
 
子供たちが望まないタイミングで親になることがないようにするため、この答えが返ってくる場合が多いかもしれませんね。
 
だったら、そのような状況をどうやったら上手に避けられるか、子供たちと一緒に考えた方が良いのではないでしょうか。
 
闘わずに勝つは、兵法の極意、それに似てるかもしれません。
 
今の性教育は、兵法学習で言えば、個々の場面での戦い方を学習しているのとどう違うのでしょうか。

そうなってしまった時、上手な対処の仕方はどうしたらいいのか、考えていることの方が多いからかもしれません。

 
それは、好きになった人とセックスして何が悪いのと言う問いに、上手に応えられていないからではないでしょうか。
 

どうでしょうか。

だから、寝た子を起こすなと言われてしまうのではないでしょうか。
 
その気はないといくら否定しても、その場しのぎの対処法しか考えていないと言われて、即座に反論できるでしょうか。
 
それは結局、愛の表現としてのセックスをどう考えるのかと言う事ではないでしょうか。
 
愛の表現の中で、セックスをどう位置付けるのか、誰にとっても悩ましい問いかも知れません。
 
でも、性教育の一番の目的は、望まないタイミングで親になって欲しくないことではないでしょうか。

それなのにその場しのぎ、それは人にとって考え方が違うからではないでしょうか。
まともにやったらいつまでたっても、平行線のままではないでしょうか。

 
兵法学習からみれば、実践に即した学習とどう違うのでしょうか。
 
性教育はここが理解できてないから、効果的な反論が出来ない、違いますか。
 
性教育はそもそも、人間性教育を当初の旗印として掲げていたのではなかったでしょうか。
 

それは、何のためだったでしょうか。
子供たちが望まないタイミングで親になる事が無いようになって欲しいという願いから、始まったのではなかったでしょうか。
迷ったら、出来るだけ早く原点に帰った方が良い。
違いますか。

 
そしてその原点は、兵法で言えば、戦わずして勝つ兵法の極意を身につけて欲しいと言うのとどこ違うでしょうか。
 
戦わずして勝つとは、どういう事かでしょうか。
 
まず考えられるのは、戦意喪失を狙う事でしょうね。

でもそれじゃ、この場合どうでしょうか
魅力のない人になれということと、どう違うのでしょうか。

 

闘わない方が双方の利益になる落としどころを、上手に相手に示すことではないでしょうか。

先手を打って示したら、どうでしょうか。
この場合、どういう事になるでしょうね。

 
望まないタイミングで親になるよりも、もっと良い事がある、早期が付いてもらう事ではないでしょうか。
 
先手を打って、上手に提示出来るようになることが必要な場合もあるでしょう。


相手が提示するように、巧みに誘導することが必要な場合もあるでしょう。

 
相手によって、どちらが良いかは決めた方が良いかも知れませんね。
 

素直な人なら、先手を打って示したら良いかも知れません。

プライドが高い人なら、相手が気が付いて提案したように仕向けたら良いかも知れません
 

それが基本だし、理想です。

でも、みんながみんなすぐにそうなれるわけじゃないですよね。

そこで、対処法も必要になる、そういう事ではないでしょうか。

そこがきちんとわかっていて欲しいのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人間性教育としての性教育こそ必要ではないでしょうか。

娘はかわいいし、幸せ。なのに苦しい。 産後うつと強迫性障害に苦しんだ2年半の記録 https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/13/zange-nikki1_a_23526706/
「検索」が、子育て中の親を追い詰める。不安なママはどうすればいいのか https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/14/zange-nikki2_a_23526757/
この記事は保育園の園長のさり気ない一言、「この子、人見知りしないね」が気になってあれこれネットで調べたら「発達障害」「自閉症」という検索結果がたくさん出てきて、不安になってしまった自らの産後うつから抜け出るまでの記録を一冊にまとめた母親へのインタビュー記録です。
この子、人見知りしないね」、園長は褒め言葉のつもりだったかもしれません。
でもここは保育園、赤ちゃんを預かる施設です。
なかにはまったく人見知りをしない子もいますが、赤ちゃんにとっての人見知りは大切な発達段階のひとつとされるので、人見知りしないと成長が遅いのではと心配することもあるわけです。
人見知りしないのは、「ママやパパがいてくれる」「守ってもらえている」という安心感を人一倍感じやすいからかもしれないので、“発達が遅れている”と安易に判断しないことが必要です。
そういう子でも、ある日突然人見知りがはじまることはよくあることといいます。
でも、子育て真っ最中で、それもはじめての子供だった場合、みんながみんなそのような知識を持っているわけではないのです。
近くに相談や質問が気楽にできる親戚や親、友人知人がほとんどない状態の中で孤軍奮闘せざるを得ない母親が増えている今、ネットや本が数少ない貴重な情報元な人も多いわけです。
それだけに、保育園の園長や保育士はわが子の成長が順調に進んでいるのか常に気になる保護者の気持ちに寄り添った気配りが求められると言えるでしょう。
私は、「性教育はまず人間性教育でなくてはならない」と考えています。
それは、人が人として幸せでいられるには、愛や思いやりや細やかな気遣いが出来ることが大切と感じているからです。
性は何よりも子孫を残すためにあるのです。
子供が、なかなか出来ない人もいれば、すぐに出来て子だくさんな人もいますが、性が子孫を残すためにあることに変わりはないのです。
好きになったから、その場の雰囲気がよかったから、中には、酔った勢いで、などという人もいるでしょう。
でも、仮に子供が出来たらその子と幸せに暮らせるならともかく、そうでなければ、親子とも不幸ではないでしょうか。
愛と思いやりと細やかな気遣いの中で育ってきた人なら、言葉遣い一つにもさり気なく気配りが出来ることでしょう。
望まないタイミングでの妊娠や、不幸にして起こる性病感染も、お互いの幸せのために防ぎたいと細やかな心遣いが出来る人が増えるなら大幅に減らせることでしょう。
正しい性に関する知識や情報も必要でしょうが、何のために学ぶのか理解できていなければ適切に生かすことは難しいでしょう。
家庭や学校の学習の場で、親子や、先生と生徒、生徒間の話し合いを十分に時間をかけて愛と思いやりと細やかな気遣いとは何か、どのように考え、どのように行動した方が良いのか、大人の意見や価値観を押し付けるのではなく大人も子供も一緒になって考えてほしいのです。

自分で納得出来てこそ、身についてごく自然に言葉や行動に表せるからです。

教育の現場や家庭の中だけではなく、社会生活の中で成果が出る性教育が当たり前になって欲しいと心から願っています。

そうすれば、いじめやパワハラやセクハラ問題なども、自然と減っていくことでしょう。

日本では道徳教育というと、特定の価値観の押し付けにたいする警戒が先立ってなかなか普及してこなかったし、道徳教育の始まった今でもその懸念は消えていません。

そのような中で道徳教育を強行するくらいなら、性教育の時間や国語はもちろん、社会科や理科など様々な機会をとらえて、愛と思いやりと細やかな気遣いの大切さを子供たちと一緒に考えた方が良いのではないかと思います。

理科でというと、どうやってと思う人もいるでしょうが、子を守るための親たちの時として命がけな行動は本能だけで片付けられないものを感じられることでしょう。

また、一つ一つの命の大切さを具体的な知識として学ぶことが出来る機会でもあります。

そのような教育が当たり前になれば、不用意な言葉で人の心が傷つくようなことも減らせるのではないでしょうか。
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

性教育は知識の前に伝えるべきことがあるはず。

性教育と言うと、何歳から何をどう教えたらいいか、悩む人は多いと思われます。 

 

軽はずみなセックスはして欲しくはないが、特定の宗派の教義や特定の思想で縛りたくないし、縛られたくない。 

そう考える人は少なくないのではないですか

 

だったら、子供たちにこう聞いたらいいのではないですか。

 

あなたたちはどんな親になりたいですか。 

それはなぜですか。 

そうなるには、どうしたらいいと思いますか。 

 

あなたたちはどんな親になりたくないですか。 

それはなぜですか。 

そうならないためには、どうしたらいいと思いますか。 

 

子供たちには、思っている通りに素直に話してもらい、大人の考えを押し付けることなく一緒に考えた方が良いでしょう。 

 

子供たちに体の性差について聞かれたらパニックにならないで、あなたのような可愛い子供に会うためにあると、言えば良いでしょう。 

あなたに会うために、お父さんに命の元をもらったのとか、お母さんに産んでもらったんだよ、とか言えば良いでしょう。 

 

違うでしょうか 

 

その後は、その子の理解力に応じて話せば良いでしょう。 

 

違うでしょうか 

 

あなたが子供たちと普段からどれだけ話しているか、お互いの理解を深める話し合いがどれだけ出来ているか、問われるのでないでしょうか

 

幸せな家庭、愛のある家庭、お互い思いやりのある家庭、そのためには、私は、私たちは、何を考えてどうしたらいいかを、普段から当たり前のように考えられる子供たちに育って欲しい。 

 

そう思う事に、宗派や思想は関係あるでしょうか。 

これに異論を唱える人は、どれだけいるでしょうか。 

性教育は、この想いをどうやって子供たちに伝わるかを基本に据えて創り上げていく方が良いのではないでしょうか。 

 

性教育の基本は、まず、大人たちから子供たちに、あなた方を愛している、あなた方を大切に思っている、その気持ちを伝える事からはじめるべきではないでしょうか。 

 

それには、普段から子供たちにその思いが伝えるように接していないとだめではないでしょうか。 

 

そうでなければ子供たちに、大人はずるいと思われて警戒されるだけではないでしょうか。 

 

何をどう教えたら良いか悩む前に、まず、心のボタンをかけなおした方が良いのではないでしょうか。 

 

話はそれからではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

そう言えば塩ってなんで摂るんでしょうね。

マタイによる福音書 5 13

あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

 

マルコによる福音書 9 50

塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい」。

 

ルカによる福音書 14 34

塩は良いものだ。しかし、塩もききめがなくなったら、何によって塩味が取りもどされようか。

 

なんとも不思議な言葉です。

塩のききめがなくなったとか塩の味がぬけたとか、イエスは言っています。

 

“あなた方は言うだけ行うだけでは不十分である、それを心の底からなさなければならない”という思いがこめられていることは、間違いないでしょう。

 

だがしかし、塩の効き目がなくなるとか、塩の味が抜けるとか、どういう意味なのでしょう。

 

チーズの保管には岩塩のような自然塩である必要があり、生成された食塩では役に立たないそうです。

 

イエスの時代塩と言えば、海水を蒸発させたものか岩塩かはともかく、自然塩であったことは間違えありません。

 

また、チーズも大事な食品であったでしょうから、塩はチーズの保管に欠かせないものであったはずです。

 

豊富なミネラルを失い塩化ナトリウムの白い塊に過ぎないものは、無価値だったことでしょう。

もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけと言っているくらいですから。

 

塩を食べていない羊の皮や腸はやぶれやすく、使い物にならないと言います。

羊は牧草で飼育するわけだから、ここでいう塩とは、ミネラルを豊富に含んだ土の事でしょう。

 

塩は血圧を上げると言うが、摂り方にもよるようです。

 

ミネラルを豊富に含んだ自然塩で摂った方が、血圧は上がりにくいそうです。

 

また、長寿で生活習慣病知らずのパナマのクナ族だが、世界一健康長寿の人たちの秘密はカカオにあるそうです。

彼らは驚くほどたっぷりの塩を摂っているが血圧が正常値なのは、毎日1リットルものチョコレート飲料を飲んでいるからなようです。

実際、チョコレートの血圧を抑える効果は日本人での検証でも確かめられています。

この場合はチョコレートに含まれる豊富なポリフェノールが、効果があったようです。

 

高血圧などの注意が必要な塩を、なぜ私たちは摂る必要があるのでしょうか。

 

自己修復性を持つ製品が、身近な存在になってきました。

この自己修復性、実は、脆い材質のものほど高いそうです。

 

優れた性質を持ちながら脆いために実用化がためらわれていた素材ほど自己修復性が高いことが分かったので、これからどんどんこれらの素材を用いた製品が世に出てくることでしょう。

 

例えば、タフポリマーと呼ばれる素材も自己修復性の高さを生かして自動車を作る研究が進んでいます。

 

私たちが塩を摂らないといけない理由も、あるいはこの自己修復性と関係があるのかもしれません。

ナメクジなど、塩をかけるとしぼんでしまうわけですからね。

 

そう言えば、試しに水2リットルに対して小さじ一杯位の自然塩を溶かして一日何杯か続けて飲んでみたところ、以前に比べて踵の荒れが減ったような気がします。

 

それまでは週に何度もクリームを塗っていたのに、塗らないでも良いような…。

 

塩を摂っていない羊の皮や腸はやぶれやすくて役に立たないと言うくらいだから、気がつかないうちに塩が不足した食生活を送っていたってことでしょうか。

ちょっと反省。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

癌になりにくい生活ってどんなだろう。

皆さんの中には、身近な人を癌で失った経験を持っている方もあるでしょう。

私もまた、父を食道と胃の接合部の癌の切除手術後の縫合がうまくいかずに亡くしました。

呑み込みが少しでもうまくいかないと、自分にも来たかと不安がよぎります。

だから一時的だったと知ると、心底ほっとします。

 

癌治療と言えば、手術や抗がん剤や放射線が思い浮かぶでしょう。

 

そんな中、衝撃的だったのは免疫療法の手段としての丸山ワクチンの存在と、その後このワクチンがまるではれ物に触るかのようにタブー視される展開になったことです。

 

だが、近年再び免疫療法が注目を集めるようになっています。

 

人間の体は、約60兆個の細胞からできています。

毎日、細胞が入れ替わる中で、5000個前後のがん細胞が、健康な人でもできていると言われます。

 

正常な細胞は、体や周囲の状態に応じてふえたり、ふえることをやめたりします。

ふえることをやめるだけでなく、ふえた細胞が脱落することもあります。

例えば、胎児のある時期に、いったん指の間に水かきのような部分ができます。

だがこの水かきは、しばらくすると脱落します。

皮膚や腸管の細胞は、古くなった表面の細胞から脱落して、徐々に新しい細胞に入れ替わるように調節されています。

この一連の仕組みは、遺伝子によって制御されています。

水かきが脱落するのは、遺伝子がそれを指示するからと見られています。

細胞がふえたり、ふえるのをやめたり、成熟して分化する、脱落するという仕組みは、遺伝子に変化が起こることによって調節できなくなります。

その結果、異常な細胞がふえ続けたり、脱落しなくなったりします。

 

このできそこないのがん細胞を日々監視しやっつけてくれるのが、リンパ球をはじめとした免疫細胞です。

この免疫に注目するのが、癌免疫療法です。

 

癌が発症してしまうのは免疫力が落ちたからだから、元気にして癌とたたかえるように力づけようと言うわけです。

免疫細胞を増やし、体内の免疫力を強化することにより、癌に確実な攻撃を仕掛けてバランスを取り戻す「癌に勝つ」療法が免疫療法(免疫細胞療法)なのです。

 

一言で免疫細胞療法といっても内容は千差万別です。ナチュラル・キラー細胞(NK細胞)を分離・培養して戻す方法、T細胞を分離・培養して戻す方法、樹状細胞を分離・培養して戻す方法などがあります。 もちろん、方法が異なれば作用等も変わってきます。

 

中でも期待されているのが、NK細胞です。

T細胞や樹状細胞では、抗原抗体反応があるうえ、即効性や柔軟性に欠けるのです。

抗原抗体反応とは過去に異常細胞と認識したものにしか攻撃を仕掛けないことで、これが必要なT細胞や樹状細胞は即効性や柔軟性に欠けるのです。

NK細胞は、抗体抗原反応を待つことなくそのために柔軟性と攻撃性、即効性が高いのです。

患者自身のNK細胞を活用できれば、異物として拒絶反応が起きる心配もないわけです。

 

免疫療法は治療の主役となるだけの力があるかと疑問を持たれているため、三大療法の補完とみなされてきました。

 

だが、ここへきて免疫療法が主役になり得ると主張する人たちが出て来ました。

 

NK細胞やT細胞や樹状細胞と言う免疫を担当している細胞のチーム力全体を効果的に動員できれば、免疫量は癌治療の主役になり得ると言うのです。

 

中でも心の持ち方に注目が集まっているのです。

笑う門には福来るとは昔から言うが、癌療法としても笑いの効用は馬鹿にできないと言います。

心の底から笑えば笑うほど、免疫も活性化すると言う実証試験の結果もあるそうです。

 

もっと過激と思えるのは、思考方法を変えれば癌でさえ大半の人は治せると言う主張です。

言葉と脳の使い方(思考パターン)を変えることでストレスの発生原因を断ち、実際に病気を改善させる取り組みを行なっているのがメンタルトレーナーの梯谷幸司氏です。

https://nikkan-spa.jp/1380608

 

梯谷氏のセミナーはつねに定員オーバーになるほどの盛況ぶりで、クライアントには各界の著名人も多いといいます。

セミナー参加者や顧客の中には医療関係者も多く、特に「言葉と心理技術で病気をやめさせる」プログラムの参加者の半数以上が医師、看護師、薬剤師で、標準医療と並行し梯谷氏のメソッドを導入している医院も少なくなく、中には、ステージ2から3の癌が消失した例も報告されたというのです。

 

癌以外でも消えた症例は、糖尿病、脳腫瘍、動脈瘤、腎臓結石、甲状腺障害などからうつ、パニック障害といった心因性のものまで実に30以上と言うから驚きです。

 

「病気も健康も、自分が選んだ脳の動かし方の結果に過ぎない。どのような言葉を使うと脳がどう反応し、結果として身体にどんな指示が出されるのかまでを考えていかなければならないんです」(梯谷氏)

 

そう言えば、友人から聞いた例の中には、癌を「治りました。ありがとうございます。」と心の底から感謝して喜び続け楽しいことをひたすら思い続けて克服した人の話がありました。

普通なら早く進行するであろう、まだ若い30代の女性だそうです。

 

思考回路を変えるだけでなく、体を冷やさないことが大事と言う主張もあります。

いま話題の歯科系ヒット本に小峰一雄院長(歯学博士・小峰歯科医院理事長)『名医は虫歯を削らない――虫歯も歯周病も「自然治癒力」で治す方法』(竹書房)があります。http://healthpress.jp/2016/12/post-2725.html

本書に興味深い記述があります。

「がん患者と歯周病患者に共通する5つの特徴」はこの5つだと言うのです。

糖質を好む、低体温である、交感神経がつねに優位にある、呼吸が浅い、酸性体質である。

低体温で癌になる、つまり、体を温めればそれだけで癌を予防でき仮になっても治癒力を高めて治すことができると言うのです。

 

それに本書には、交感神経がつねに優位にあることも癌になりやすくするとあるが、これなどはまさに思考回路を変えてリラックスして副交感神経を活性化することに繋がってきます。

呼吸の浅さも副交感神経を活性化することで、心の底から落ち着いてくれば自然と改善するはずです。

 

 糖質を好むと⑤酸性体質である、は食習慣の改善ということになります。

皮膚は弱酸性、体内は弱アルカリ性が基本である以上、癌予防の基本の一つは食生活の改善となります。

 

糖質を好む、それは言い換えればブドウ糖を取り過ぎということになります。

これについては、こういう指摘があります。

がん細胞は、ブドウ糖をエネルギー源とする――。これは、1931年にノーベル生理学・医学賞を受賞したオットー・ワールブルグ博士が、マウスの「癌性腹膜細胞」を用いた実験で解明し、1923年からの一連の論文で発表したものです。http://toyokeizai.net/articles/-/144042

 

このサイトはこう続けます。

今では、がん細胞は正常細胞の38倍ものブドウ糖を取り込まなければ、生命活動を維持できないことも分かっています。…ブドウ糖が枯渇すると、人間の体内ではブドウ糖に代わる、緊急用のエネルギーが生み出されます…「ケトン体」という酸性の代謝物質です。…がん細胞には、ケトン体をエネルギーに変える酵素が欠けている…。

 

このサイトはケトン食の勧めと注意事項を記しているが、正常細胞の38倍ものブドウ糖を取り込まなければ、癌細胞は生命活動を維持できないと言う事は、ブドウ糖の取り過ぎに気を付けるように思考回路を変えれば良いと言う事でもあるでしょう。

 

低体温が癌になりやすいと言う点では、体を温める癌療法では、こんなものがあります。

https://www.mugendai-web.jp/archives/6080

人体に無害な近赤外線を照射してがん細胞を消滅させる新しい治療法の開発が、世界の注目を集めている。

「近赤外光線免疫治療法」と言い、米国立がん研究所(NCINational Cancer Institute)の小林久隆・主任研究員が開発した。がん患者を対象にする臨床試験も順調に進み、23年後の実用化を目指している。

がん治療法には、「外科手術」「放射線療法」「化学療法」の3つがあるが、外科手術は患者の身体への負担が大きく、他の2つは副作用がある。転移・再発防止などにも課題があった。

これに対し、小林氏の開発した新しい治療法はがん細胞の死滅率が極めて高く、ほとんどのがんに適用できる。やっかいな転移がんにも有効だ。副作用がなく、必要な設備や薬品は安価なので、医療費の削減にも大いに貢献しそうだ。

 

この治療法は、がん細胞だけに特異的に結合する抗体を利用し…近赤外線によって化学反応を起こす物質(IR700)を付け、静脈注射で体内に入れ…抗体はがん細胞に届いて結合するので、そこに近赤外線の光を照射すると、化学反応を起こしてがん細胞を破壊と言うからこの療法が可能な施設で受ける必要があるが、ほとんどの人は1日で良いと言うからこれまでの癌治療の常識を覆す画期的な方法ではあります。

 

しかしながら、体を温めれば癌が治ると言う点に注目すると面白い記事があります。

キーワードはヒートショックプロテインです。

https://ameblo.jp/salon-de-sol/entry-12152842958.html

 

「身体を温めると癌細胞が死ぬ」という研究で話題になっているのは10年位前からですが、実は、この方法は、第二次世界大戦後すぐに実験されて、明らかになっている事でした。その研究のヒントとなったのは、日本人の熱い風呂に入る習慣からでした。

 

第二次世界大戦前に、フランスの医師パスツール、ジョリエが実験し、その後、ドイツのアンリ・ランペール教授が2次大戦中に自分の腸チフスや兵士達の腸チフスを熱いお風呂(43度)に入らせる事で治してきました。彼は、熱いお風呂に入る習慣のある日本人の癌の発症率が他国と比較し20倍も低い事に注目し、研究しました。

 

その結果、ガン患者を36度のお風呂に入浴させ、徐々に温度を上げ、42度まで上げ、最終的に、体温が39度に上げると悪性細胞は衰えはじめ、42度で死滅する事を発見しました。…。

 

一番簡単な方法は、「温熱療法」です。HSP(ヒートショックプロテイン)はタンパク質の一種で、全ての細胞に存在します。このHSPは、免疫力を高めて、細胞を修復し強化してくれます。体温が上昇すると増加する性質を持ちます。一番効率良く増加させるには、お風呂に入る事です。

 

体内が酸性に偏ると癌になりやすいと言う点では、食生活の見直しが必要ということになります。

 

目安としては、アルカリ性か酸性かで食事に気を付ければ良いとなるでしょう。

アルカリ性食品

野菜(ほうれん草、ゴボウ、サツマイモ、ニンジン、里芋など)、果物(メロンなど)、海藻(ひじき、ワカメ、昆布等)、キノコ、干し椎茸、大豆など

酸性食品

肉類(豚肉、牛肉、鶏肉など)、魚類、卵、砂糖、穀類(米、酢等)

このように分類する観点から考えれば、高タンパク高脂肪に偏りがちな「欧米化した食生活」では酸性食品を多量に摂取し、アルカリ性食品が不足しがちであるとなります。

 

日本人食生活西洋化と、癌の相関関係がしばしば指摘されることを思えば、野菜や果物が不足しやすい人は意識して野菜や果物を食べた方がいいでしょう。

 

何のことはない、

癌になりにくい生活は、こんなことでしょうか。

ストレスをあまり溜めず、人生を大いに楽しんでよく笑い、体を冷やさないよう気を付け、野菜や果物をよく食べてお菓子や肉はほどほどに楽しんで、あったかいお風呂になるべく毎日入りましょう。

もし、それが難しい社会だなって思うなら、どうやったら変えられるか大いに議論してすっきりした方が良いかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

休息と聖書?

毎朝、町を行く人々の顔を見てふと思うのです。

朝だと言うのに、生き生きした表情の人があまりにも少ない国だなあ、日本、と言う事です。

朝から疲れた顔の勤め人が多いのは、慢性化していている残業などの長時間労働に加えて、職場の人間関係を円滑にすると称してのいわゆる飲みにケーションと呼ばれる上司や同僚との付き合いも、疲労蓄積に拍車をかけているのではないでしょうか。

日本もアフター5は個々人の自由な時間であってしかるべきではないでしょうか。

日本も経営者や上司が、残業など長時間労働や社内の付き合い酒などを抜本的に見直した方が良いのではないですか。

個々の社員に早く帰れと啓蒙するより、経営者や上司の意識改革に国や地方自治体が腰を据えて取り組みを進めるべしでしょうね。

過労死問題に取り組んでこそ、医療費抑制や生産性向上につなげることになるのではないでしょうか。

有給消化率最低の日本の労働生産性が17位、ゆるく働いているイメージの強いイタリアの労働生産性が20位だが、実際には差はほとんどないと言えるくらい僅差です。
それってつまり、慢性的に疲れている日本の労働者の生産性が人生エンジョイしてるイタリアの労働者の生産性と大差ないってことです。
 
馬鹿らしいですよね。

人生エンジョイ型のイタリアの労働生産性と日本の労働生産性が大差ないって、どう思いますか。

根が真面目な日本人がイタリア人と同じくらい元気に働いたならもっともっと生産性があがるんじゃないですか。

誰もそんなこと考えられないくらい疲労が蓄積してるんですか、日本人。

だとしたら、悲し過ぎますよ。

本気で過労死問題に取り組んで欲しい、そう思いませんか。

過労死レベルの長時間労働にきちんとメス入れないと、更に労働生産性が落ちてイタリアに抜かれるかもしれないですよ。

イタリアの労働生産性が上がるからじゃないです。

日本の労働生産性はさらに労働者が疲労をため込んだ結果、さらに落ち込んで抜かれる可能性があるってことですよ。

多くの大企業で不正が発覚しました。

まともに考えられるなら、不正は結果として割に合わない、と言う正常な判断ができるはずですよね。

自覚症状がないくらい疲労は慢性化してるんですか、経営者までもが。

忙しいとは、心亡くす、心亡ぶ、って意味がある事さえ経営者も気が付けない位なら、もはや重症じゃないですか。

働くのは、誰のためなの、何のためなの、会社は、誰のためにあるの、何のためにあるのでしょうね。

日本は、そんなこと考えないままに突っ走ってきたのかもしれないですね。

西洋キリスト教文化圏では、人生とは、働くとは、どういう事か真剣に問うた時代があります。

今の人たちは、そんなこと忘れてるかもしれないですけどね。

少なくとも西洋キリスト教圏では、労働は神に課せられた罰であって信仰のために人生の時間の多くを割くべきと言う発想が根底にあるのです。

だからかもしれないが、労働時間の短縮は案外すんなりと合意が成立したようですね。

もちろん労働運動や政治運動の力も、大きかったようですけどね。

東洋、少なくとも日本では、勤勉が美徳とされ休息が取りにくい文化があるとは指摘されています。

休息は勤勉へのご褒美と言った感覚があるとも、指摘されてきました。

しかし、休息は人間らしく働くために必要であり権利である、と言う考えが世界の当たり前になりつつある今、ついていけないとだめになるでしょうね。

つまり、日本で働き方改革をすると言う事は、休息は基本的人権の一つであると言う発想の転換を社会の隅々にまで根付かせると言う事なのではないでしょうか。

意識改革の取り組みを国と地方自治体が本腰を入れて取り組みことに他ならないのではないでしょうか。

休息と怠けは別だと言う、意識改革こそ必要なのではないでしょうか。

ここがきちんとすわらないと、だめなのですよね。

怠けることがいけないのは、世界共通です。

むしろ怠け心が起きるような疲れがたまって抜けない働き方をしてる方が、問題なのです。

ちゃんと休息をとって十分に疲れを取るなら、気力が充実して怠け心など起きないはずです。

逆に言えば日本の働き方は、適当に怠けないと体が悲鳴を上げる働き方と言う事なのです。

キリスト教的倫理では怠け心は悪魔のたぶらかしに負ける事だから、それに勝てる気力と体力をつけて備える必要があるとなるのです。

だから、十分に休息を取らないといけないのですね。

休息を基本的権利として受け入れる文化的素地が、こう言うところにもあるのかもしれないですよ。

日本の労働時間がとかく長くなりやすいのは、休息は勤勉のご褒美だから、より長くよりきつく働いて多くの仕事をこなしたものが多く休めると言う不文律があるからかも知れません。

結果として、適当に怠けないと体が壊れるから長時間で低生産性の労働に必然的になっていくのかもしれないですね。

ここの発想を変えないとだめなのです。

欧米の発想の根底には、聖書とキリスト教がある、ここを踏まえておく必要があるでしょうね。

それは長い歴史の中で、彼らの精神に深く根ざしたものとなりもはや無意識のレベルにまで達していると言って良いです。

彼らに受け入れやすいように、変えられてしまったところもあるようですけどね。

世界の大半は彼らによって植民地化され、程度の差こそあれ、根付かさせられていると見た方が良いでしょうね。

日本人も少しは聖書やキリスト教について知っておかないと、彼らの発想の基本が理解できないってことなのです。

信じろとは言わないけど、知識として知っておいて損はないでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

経済活動と生命活動を対比してみても良いのではないだろうか。

経済行動や経済活動は、生体の営みとある意味似ています。

 

資金の流れは、血液の流れと似ています。

 

血液を全身に送り出すのは心臓、資金の大本である通貨を市場に送り出すのは中央銀行ですよね。

 

だが、血液は送り出されただけじゃ意味を持たないです。

 

通貨も市場に出るだけでは資金ではないです。

 

血液は臓器の中で消費されてこそ、血液の役目を果たすのです。

 

通貨はさまざまな経済主体の中で消費されてこそ、資金としての役割を果たすのです。

 

とは言え、資金の流れは血液だけでは例えきれないでしょうね。

 

血液は栄養を全身に運ぶ、資金の流れは単なる通過の流れではないのです。

 

通貨は、流通し、貯蔵されるのです。

 

これは、体内を循環する栄養は時として貯蔵されることに似ているのです。

 

つまり、資金の流れで言う通貨に体内で言えば栄養と見た方が良いのです。

 

そう考えると、内部留保の経済での働きは蓄積された脂肪に相当すると見て良いかもしれません。

 

適正量の脂肪、適正量の内部留保は、体内や企業の健全な営みを支えるために必要だが、行き過ぎた蓄積は健康を害するようになります。

 

蓄積された脂肪の消費は、体内で循環している栄養素で足りない時に起きるはずです。

 

同じように内部留保は必要な資金調達が市場からだけでは間に合わない時、換金性の高いものから消費されるはずです。

 

近年の内部留保の蓄積は急激と言う事は、一時避難的に換金性の高い資産に変換されている可能性が高いです。

 

つまり、経済活動が大いに活性化すれば速やかに換金されて企業の活動に回されることが期待できるでしょう。

 

経済活動の6割は個人消費と言われます。

 

これは、第二の心臓の異名を持つ足腰に相当すると見て良いでしょう。

 

足腰が活発に動けば動くほど、血管内に目まぐるしく栄養は駆け巡るようになります。

 

個人消費が活発になればなるほど、市場で通貨、つまり資金は目まぐるしく流通することになるのではないでしょうか。

 

個人消費と、個々人の生活は切っても切り離せないです。

 

日々の生活で新たな消費が旺盛になれば、市場の中で資金も活発に巡るのです。

 

動物は動くから動物、生活は生きて活動するから生活、違うでしょうか。

 

個人消費が思うように動いていないというなら、個々人の生活の質はどうなっているか調べた方が良いでしょう。

 

かつてのような大量消費が望めないなら、単価をどうすれば上げられるか見れば良いのです。

 

簡単です。

 

収入が増え、その状態が維持できると期待できる状況が実感できればいいのです。

 

量が期待できないなら質を上げその質に見合った価格を設定すればよく、その代金を気前よく払えるだけの生活の維持が期待できる状況が実感できるようにする政治が求められる。でしょう。

 

今の時代、社会には十分な富があるはずです。

 

それが、個々人の生活を力強く支えるために使われるべきと不退転な決意で実行する意思と能力のある政党や政治家を、市民が育てる意思と能力を発揮できるかどうかにかかっているのではないでしょうか。

 

動物は必然となれば、生存に適した場所を命がけで求めて、行動するのです。

 

人間だって、よりよい社会やよりよい政治を本気で必要と思うなら、大胆に行動を起こすことをいとわない方が良いのではないでしょうか。

 

闇雲に動くことはないが、よりよい社会やよりよい政治のために、もっともっと、思考もし、激論も交わす方が良いでしょう。

 

少しでもいいポジションを求めて生物は行動するはずです。

 

人間は、全体でよりよいポジションに進めるように協力協同した方が良いでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧