文化・芸術

エジプトの音楽を想像してみました。

「古代エジプトの音楽」という本を読んでいます。

 

古代エジプトの様々な楽器は、残っています。

 

だが、これらの楽器によって奏でられた音楽については、どのようなものであったかを伝える資料はないといいます。

 

ならば、これらの楽器そのものを手掛かりにするしかないでしょう。

 

ハープ、シンバル、トランペット、リュート、リラ、などの他にも、タンバリンや太鼓などが用いられたことがわかっています。

 

音楽の場には、手拍子もあるし、ボディパーカッションを連想できる壁画もあります。

 

大勢の人が列をなして踊る姿も、描かれています。

 

古代エジプト特有の楽器として、シストルムもあります。

他にも、シンバルを鳴らす道具と組み合わせたクロタラのような楽器もありました。

 

これらの楽器や、手拍子、列をなして踊る人々、さらには、ボディパーカッションもあった可能性を考えると、少なくともどのような拍子をとるのが一番自然かが、見えてきます。

 

強弱の入れ子になってる、拍子です。 

前半が強く、後半が弱く、その前半と後半にも、それぞれ強弱があるのです。 

強さの順で言うと、強い順に4・2・3・1っていう感じでしょう。

実際に手拍子を打った方が、わかりやすいですよ。 

  

 Ton!ta!ton!ta Ton!ta!ton!ta (大文字小文字に強弱を対応させて手拍子)


実はこれ、ロマ音楽の拍子の取り方なのです。

 

ロマには様々な呼び方があるが、それらを見ると彼らがエジプトから出た民族である可能性が見えてきます。

ロマは、音楽の他、実は金属加工の技能者集団でもあります。

一見すると、何も関係がなさそうです。

 

だが、もしロマが古代エジプトの演奏者集団にルーツを持つ人たちと見たらどうでしょう。

シンバルやシストルムのような、繊細な加工が必要な金属製楽器のメンテナンスを彼らは自らの手でしていたとしたらどうでしょう。

演奏者は、修繕や制作のような特別な技能者の手を借りる必要のあること以外、日常的な手入れを大抵は自らの手でしています。
シンバルやシストルムの最終的な仕上げは、演奏者自らの手でしていたかも知れません。
簡単な修繕くらいなら、自分でしたことでしょう。
そうであれば、金属の加工技術もあっても不自然ではないでしょう。
何らかの理由でエジプトの地を離れた演奏者集団が、ロマの起源かもしれません。
オリエンタルダンスとも呼ばれるベリーダンスの演奏に合わせて、ロマ音楽の拍子で手拍子をうってみました。
ターキッシュのような激しいアップテンポのベリーダンスもあるが、基本的にはロマ音楽の拍子で手拍子をうってついていくことは可能だし、次第にのめり込んで恍惚の世界にはまり込んでいけます。

あまり夢中になって、踊りださないようにしないといけないです。

何度ものめり込んで、踊りだしそうになったくらいどの曲にもぴったりとついていくことができます。

ロマが作り出した代表的な音楽のジャンルがフラメンコです。

もしかしたら、古代エジプトの音楽は、ベリーダンスやフラメンコに別れる以前の一種独特なテンポやメロディーで演奏されていたのかも知れません。

おそらくそのほとんどが、即興曲だったでしょうから、楽譜など残るはずもありません。

神々やファラオたちを喜ばせるための集団で延々と踊ることのできる即興曲、それが、古代エジプトの音楽だったのかもしれないです。

中には、女性の踊り手によるエロティックなものもあったことでしょう。
男性の踊り手も、あるいはいたかも知れません。

ベリーダンスの踊り手には、かつて男性も少なからずいた記録があるそうですから。

酒、食事、音楽、そして、恍惚に浸った人たちの踊りの群れ。

神々と人々が混然となった恍惚の空間の中で、時を経つのも忘れて音楽によいしれたそんな場面も王宮では、しばしばあったのかもしれません。

これはあくまでも、楽器たちが見せてくれた幻想の世界です。

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ロシアとイエスと?

イエス様は復活されたあとにロシアを訪れたのでしょうか?

 

おそらく多くの人たちが、聞けば耳を、見れば目を、疑うであろうこの言葉は、モルモン教jpというサイトにある記事のタイトルです。

 

わたしは目の前の「それ」をじっと見つめていました。そしてようやく「ありがとう。」とつぶやくので精いっぱいでした。誇らしげにわたしの面前に立っているロシア正教祭司に対して贈り物をくれたことへの感謝の気持ちを思うように伝えることができませんでした。19925月、やや大柄なこのロシア正教の司祭はロシアでのバプテスマ1,000周年を記念するレコード盤を贈り物としてくれました。

 

文章はこういう書き出しで始まります。

 

問題はこのレコード盤の表紙にありました。

 

そのレコーダ版の表紙の絵は、ロシア正教の画家、ミハイル・ネステロフが1,900年ごろ描いた『聖なるルーシ』で、レニングラード、今のサンクトペテルブルクのロシア画廊に現在展示されているといいます。

 

 「それは何を描写しているのですか?」

 「わたしたちの救い主が古きロシア、またはルーシを訪れているところです。」…「わたしたち誰もがその話を知っていますよ。」

由来を尋ねると、古代ロシア昔話、イエスが復活後にロシア人を訪れた物語を描いていることを教えてくれたといいます。

 

 「彼の後ろにいる光輪の訪問客はどなたですか?」

  祭司は微笑んで、イゴールの通訳を介して「ネステロフは愚か者ではありませんでした。彼は当時の教会の3人の指導者であったペテロ、ヤコブ、ヨハネが立っている様子を描きました。」

 

著者はメトロポール・ピティリムと呼ばれるロシア正教会の最高権威者、及び教会管理評議会議長である人物にも、この絵について尋ねています。

 

 昼食をすませ、本部のツアーが終わったあとに、わたしは彼にキリストが古代スラブ人を訪れている様子を描いた絵画を知っているか、と尋ねました。彼は知っていると答え、それは特別なレコード盤の表紙に使われており、原画は教会所有の書庫に保管されていることを教えてくれました。私は彼に画家がどこからその場面の構想を得たのかを尋ねました。

 彼は厳かにこのように語りました。「その絵はキリストが死後スラブ人、つまりロシア人の先祖を訪れて福音を伝えたという古代昔話に影響を受けています。キリストに耳を傾けたのは農場や田舎にすむ謙遜で身分の低い人たちです。彼らはキリストの名を受けました。その名はキリル文字ではなくわたしたちの文字ではクリスチャニィと音声表記されます。ロシア語で農民のことをクリスチャニィと呼びます。キリストを信じるものは主の名をその身に受けました。」

 

他の正教会祭司たちからも同じ物語を聞いたというから、ロシアではよく知られた話なのでしょう。

 

著者はメトロポール・ピティリムにキリストが実際に現在のロシアとウクライナの地を訪れたことを信じているか尋ると、こう答えたそうです。

「その可能性は大いにあります。しかしおそらく使徒アンドレが現在のロシアを最終伝道の時に訪れたのではないでしょうか。しかし、絵画のなかに描かれたとおりかもしれませんね。」

 

ようは、昔話の通りかもしれないが、使徒アンドレの話が元になっているのかもしれない、本当のところはよくわからないというのが本音なのですね。

 

アンドレはアンデレとも呼ばれる12使徒のひとりで、小アジアとスキタイで伝道し、黒海に沿ってヴォルガ川まで行ったと伝えられています。そのため、アンデレはルーマニアとロシアの守護聖人になりました。

伝説上ではアンデレはビザンティウムの最初の司教であり、そのため正教会のコンスタンディヌーポリ総主教庁は初代総主教をアンデレとしています。

 

アンドレの布教がいつの間にか、イエスが訪れた話になったと考えるには、現地の人々には記憶が生々しくて無理がある気がします。

 

だが、12使徒のひとりとなると、気になることがあります。

 

何しろイエスは、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな」と前置きしてこう言っています。

 

マタイによる福音 106

むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。

 

アンデレも12使徒のひとりである以上、その布教先はイエスの指示通りでないといけないはずですよね。

 

となると、これらの地域はイスラエルの家の失われた羊が確かにそこにいると言えないといけないはずです。

 

さらに言えば、昔話通りキリストが訪れたとしたら、どうでしょう。

 

マタイによる福音書 15 24

するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。

 

アンドレであろうとイエスであろうと、イスラエルの家の失われた羊以外の者にはいかないと聖書にはあります。

 

スラブ民族はなおのこと、イスラエルの家の失われた羊の可能性が高くなってしまうではないでしょうか。

 

これらの聖句も、同じことを場面に応じて言い換えていると見るべきでしょう。

 

ヨハネによる福音書 10 16

わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

 

ルカによる福音書 19910

イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。

 

なぜ私が、ロシア人、実際には祖先であるスラブ人のもとをイエスが訪れたという昔話にこれだけこだわるか。

 

それは、日本語はロシア語、トルコ語、朝鮮語の接触と混交から生まれたと主張している笹谷政子著「日本語の起源」に接したからです。

そして、シベリアにアイヌの親戚にあたる民族がいたり、秋田美人にそっくりな人たちが大勢いるという情報に、以前から接しているからです。

 

さらに言えば、縄文時代のヤマネコの謎を辿ったら、まるで今の中国の版図を挟み込むようにヤマネコ分布が広がっていたが、中東から日本へのルートをなぞっている印象さえ受けたからです。

北回りのルートは、ロシアを横切っています。

 

ロシアについてもっと情報が欲しいと思っていたところで、この本やこの記事に出会ったのです。

 

スラブ人の起源はどこにあるのか、なおさら気になってきました。

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休息と聖書?

毎朝、町を行く人々の顔を見てふと思うのです。

朝だと言うのに、生き生きした表情の人があまりにも少ない国だなあ、日本、と言う事です。

朝から疲れた顔の勤め人が多いのは、慢性化していている残業などの長時間労働に加えて、職場の人間関係を円滑にすると称してのいわゆる飲みにケーションと呼ばれる上司や同僚との付き合いも、疲労蓄積に拍車をかけているのではないでしょうか。

日本もアフター5は個々人の自由な時間であってしかるべきではないでしょうか。

日本も経営者や上司が、残業など長時間労働や社内の付き合い酒などを抜本的に見直した方が良いのではないですか。

個々の社員に早く帰れと啓蒙するより、経営者や上司の意識改革に国や地方自治体が腰を据えて取り組みを進めるべしでしょうね。

過労死問題に取り組んでこそ、医療費抑制や生産性向上につなげることになるのではないでしょうか。

有給消化率最低の日本の労働生産性が17位、ゆるく働いているイメージの強いイタリアの労働生産性が20位だが、実際には差はほとんどないと言えるくらい僅差です。
それってつまり、慢性的に疲れている日本の労働者の生産性が人生エンジョイしてるイタリアの労働者の生産性と大差ないってことです。
 
馬鹿らしいですよね。

人生エンジョイ型のイタリアの労働生産性と日本の労働生産性が大差ないって、どう思いますか。

根が真面目な日本人がイタリア人と同じくらい元気に働いたならもっともっと生産性があがるんじゃないですか。

誰もそんなこと考えられないくらい疲労が蓄積してるんですか、日本人。

だとしたら、悲し過ぎますよ。

本気で過労死問題に取り組んで欲しい、そう思いませんか。

過労死レベルの長時間労働にきちんとメス入れないと、更に労働生産性が落ちてイタリアに抜かれるかもしれないですよ。

イタリアの労働生産性が上がるからじゃないです。

日本の労働生産性はさらに労働者が疲労をため込んだ結果、さらに落ち込んで抜かれる可能性があるってことですよ。

多くの大企業で不正が発覚しました。

まともに考えられるなら、不正は結果として割に合わない、と言う正常な判断ができるはずですよね。

自覚症状がないくらい疲労は慢性化してるんですか、経営者までもが。

忙しいとは、心亡くす、心亡ぶ、って意味がある事さえ経営者も気が付けない位なら、もはや重症じゃないですか。

働くのは、誰のためなの、何のためなの、会社は、誰のためにあるの、何のためにあるのでしょうね。

日本は、そんなこと考えないままに突っ走ってきたのかもしれないですね。

西洋キリスト教文化圏では、人生とは、働くとは、どういう事か真剣に問うた時代があります。

今の人たちは、そんなこと忘れてるかもしれないですけどね。

少なくとも西洋キリスト教圏では、労働は神に課せられた罰であって信仰のために人生の時間の多くを割くべきと言う発想が根底にあるのです。

だからかもしれないが、労働時間の短縮は案外すんなりと合意が成立したようですね。

もちろん労働運動や政治運動の力も、大きかったようですけどね。

東洋、少なくとも日本では、勤勉が美徳とされ休息が取りにくい文化があるとは指摘されています。

休息は勤勉へのご褒美と言った感覚があるとも、指摘されてきました。

しかし、休息は人間らしく働くために必要であり権利である、と言う考えが世界の当たり前になりつつある今、ついていけないとだめになるでしょうね。

つまり、日本で働き方改革をすると言う事は、休息は基本的人権の一つであると言う発想の転換を社会の隅々にまで根付かせると言う事なのではないでしょうか。

意識改革の取り組みを国と地方自治体が本腰を入れて取り組みことに他ならないのではないでしょうか。

休息と怠けは別だと言う、意識改革こそ必要なのではないでしょうか。

ここがきちんとすわらないと、だめなのですよね。

怠けることがいけないのは、世界共通です。

むしろ怠け心が起きるような疲れがたまって抜けない働き方をしてる方が、問題なのです。

ちゃんと休息をとって十分に疲れを取るなら、気力が充実して怠け心など起きないはずです。

逆に言えば日本の働き方は、適当に怠けないと体が悲鳴を上げる働き方と言う事なのです。

キリスト教的倫理では怠け心は悪魔のたぶらかしに負ける事だから、それに勝てる気力と体力をつけて備える必要があるとなるのです。

だから、十分に休息を取らないといけないのですね。

休息を基本的権利として受け入れる文化的素地が、こう言うところにもあるのかもしれないですよ。

日本の労働時間がとかく長くなりやすいのは、休息は勤勉のご褒美だから、より長くよりきつく働いて多くの仕事をこなしたものが多く休めると言う不文律があるからかも知れません。

結果として、適当に怠けないと体が壊れるから長時間で低生産性の労働に必然的になっていくのかもしれないですね。

ここの発想を変えないとだめなのです。

欧米の発想の根底には、聖書とキリスト教がある、ここを踏まえておく必要があるでしょうね。

それは長い歴史の中で、彼らの精神に深く根ざしたものとなりもはや無意識のレベルにまで達していると言って良いです。

彼らに受け入れやすいように、変えられてしまったところもあるようですけどね。

世界の大半は彼らによって植民地化され、程度の差こそあれ、根付かさせられていると見た方が良いでしょうね。

日本人も少しは聖書やキリスト教について知っておかないと、彼らの発想の基本が理解できないってことなのです。

信じろとは言わないけど、知識として知っておいて損はないでしょうね。

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日本人は原アジア人に意外と近い?

2014年、縄文人の核DNAの解析に成功しました。

 

縄文人の細胞からは、これまでミトコンドリアのDNAしか解析されてこなかったために、母方の遺伝情報が手に入っていただけだったが、これで両親の遺伝情報が手に入ることになります。

 

現代日本人の遺伝子分布は、東アジアや東南アジアの分布から大きく離れていることがわかっています。

 

弥生人の核DNAに関する情報はまだないが、おそらく、東アジアや東南アジアの分布からはそう遠くないと見られてるので、現代日本人の遺伝子分布がアジアの離れ小島になった原因は縄文人にあると見られていました。

 

縄文人の遺伝子分布は、現代日本人よりもさらに東アジアや東南アジアの分布から遠くにあることがわかり、これまでの推測が裏付けられました。

 

縄文人の核DNAを比較検討して決着がついたのは、縄文人の系統樹上での位置付けだったのです。

 

縄文人は東アジアと東南アジアのどちらの特徴も見つかるので分類は困難を極めていたが、核DNAは何と原アジア人の生き残りが縄文人であったことを明らかにしました。

縄文人は東アジアと東南アジアが分かれる以前に、原アジア人から分かれていたことが分かったからです。

 

DNAはまた、縄文人がウェービーヘアの二重瞼で耳垢が湿っていたことも、示していました。

これはどちらかと言えば、ヨーロピアンやアフリカンに近い特徴と言えます。

 

そしてこれは、遺伝子間の距離からも裏付けられました。

 

現代日本人の遺伝子はアジアの中でもヨーロピアンに近いが、縄文人はさらにヨーロピアンに近いのです。

 

ヨーロピアンやアフリカンの祖先よりも東に向かったグループが原アジア人となったと見られていたが、縄文人が原アジア人の生き残りの可能性が見えてきたことで、それが確からしいことがさらにはっきりしてきました。

 

縄文人と一口に言っても多様性も一方で見つかるので、複数の場所から来たか、複数の回数来たか、という二通りの解釈が可能となります。

 

けれど、縄文人はあまりにも現代の東アジアや東南アジアとは違い過ぎるので、アジアルートを想定するとしたら原アジア人から東アジア人や東南アジア人が分かれるはるか以前に日本に渡っている必要があり、可能性はかなり低いと見た方が自然でしょう。

 

むしろアメリカ先住民と日本先住民はともに古モンゴロイドと見られてきたが、近年のDNA調査でも裏が取れつつあり、さらにアメリカのケネウィックやメキシコから古代日本人の骨が見つかり、縄文土器も南米から見つかります。

ケネウィック人はフランスとスペインの様式のやじりを用いていたこともわかっているし、南米の縄文土器にエジプトの影響が強いと指摘する声もあります。

 

縄文人の多様性は環太平洋縄文文化圏がもたらしたと見る方が無理がないし、縄文人の祖先は仲間の原アジア人が東に向かったのに対して西に向かい、地中海世界を横断、大西洋を渡ってアメリカ大陸経由でさらに太平洋を航海して日本に来たと見るのがこれまでの情報から照らしても一番無理が無いように思えます。

 

何しろ日本は、アジアにおけるヨーロッパの遺伝子に由来する病気のほとんど唯一ともいえる飛び地なのですから。

 

おまけに日本は、古代中東の遺伝子が大量に残っている土地だが、原アジア人の生き残りである縄文人の遺伝子を少なくとも2割は受け継いでいるのが日本人とすれば、全ての辻褄があってきます。             

 

日ユ同祖論やスメル渡来説は、ノアの洪水を史実と認めて、はじめてタイムスケールがあってくる説と言えます。

 

日ユ同祖論の言い出しっぺがキリスト教圏の人物であったことを思えば、面白い事ではあります。

もっとも、はじめは失われた十支族が日本に来ていると言う説から始まっているので、ユダヤ人が日本人のルーツとまでは、言ってなかったですが。

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花と節句と陰陽と?

春、梅に始まり、桃、桜と続いた赤い花のリレーは、つつじに引き継がれます。

比較的高いところで咲いてきた赤い花は一気に、下界へと舞い降ります。
そのさまはまるで、死の世界であった冬を、まず空で浄め、継いで、地を浄めると言いたげにさえ思えてきます。
この季節はまた、落葉樹たちが芽吹く季節でもあります。
緑は、青とも呼ばれ、一方では黒に準えられる色でもあります。
こう見てくると、五行の青(緑)・紅(赤)・黄・白・玄(黒)のうち、青(緑)・紅(赤)・玄(黒)までが揃うことが見て取れます。
春に咲くのは、赤い花ばかりではないです。
菜の花や山吹、地味ではあるがタンポポもまた、黄色の花を咲かせます。
春に咲く白い花も、こぶし、やまなしのほか、意外と多いです。
春は、植物だけで五行の色が出そろう季節でもあります。
秋もまた、植物だけで五行の色が出そろう季節です。
常緑の青(緑)に混ざって、紅葉や黄葉が彩を添え、さまざまなバリエーションがあるとはいえ緑が目立った山里は、鮮やかな色彩の競演の舞台となります。
葉の色だけで、五行の青(緑)・紅(赤)・黄・白・玄(黒)のうち、青(緑)・紅(赤)・黄・玄(黒)までが揃うことが見て取れます。
唯一揃わない白は、花が提供してくれています。
9月9日の重陽は、菊の節句として知られていたが、新暦のこの頃は菊の季節から外れてしまったので廃れてしまったようです。
実はこの菊こそ、葉の色で唯一揃えられない白だったからこそ、9月9日の重陽は菊の節句だったのではないでしょうか。
こうやって見ると、面白い事に気が付くのです。
1月1日は元旦なので7日にずらされて人日(じんじつ)となって、「七草粥」を食べる日として覚えられているが、花の節句ではないので、今回の考察からは省きます。
3月3日は上巳(じょうし)で、3月の最初の「巳の日」という意味です。
「禊ぎをして穢れを祓い、身代りの人形に汚れをうつして河川・海などへ流す」風習などがあったが、おそらく巳つまり蛇の脱皮にあやかって、汚れを払う縁起が担がれたものと思われます。
冬は、木々も葉を落とし、いくら咲いて彩を添えようと花が頑張ってみても死と眠りの季節の印象は拭えないです。
そして死は穢れともされた事を思えば、汚れの季節から生命の季節である春への脱皮の呪術の流し雛がこの日に行われるのもうなづけます。
流し雛の風習は、江戸時代以降「雛祭り」に姿を変え庶民の間に定着しました。
この日が「桃の節句」でもあるのは、この季節が桃の季節だからでしょう。
桃は赤い花であり、陽の色である赤は炎の色として上巳で脱ぎ捨てた汚れを焼き払う呪術であったのかも知れないです。
5月5日は端午(たんご)で、5月最初の「午の日」という意味です。
古くは「薬草摘みの日」であり薬草としての菖蒲(しょうぶ)が「尚武」の音に通じるとして、男子の立身出世を願う行事へ転化したと見られ、別名「菖蒲の節句」として知られます。
7月7日の(しちせき)の、「笹の節句」とともに、花の節句ではないです
なぜ笹なのかは定かではないです。
中国の「織り姫(織女星)と彦星(牽牛星)」の伝説と、日本の「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説があわさって七夕伝承が生まれたのはよく知られている話です。
9月9日は重陽(ちょうよう)で、「九」という数字は、易によれば「陽数の極」にあたり、これが重なるので非常にめでたいとされました。
中国の風習である、この日に菊の花を飾り、邪気を祓って長寿を祈るというものが元になっており、宮中では重要な節句として位置付けられ、菊を用いることから別名「菊の節句」とも呼ばれます。
白は、陰陽五行では、方位としては西、陰陽としては陰に配されます。
一年と四季の終わりの陰の季節である冬に、同じく陰に配される白の花である菊を対置することでように転化させて、重陽と合わせて幾重にも陽を重ねて邪気を祓って長寿を祈る呪術にしたものでしょう。
もしかすると、菊花紋は古代中東の太陽紋によく似てるから、数ある冬になく花の中から陽の花として菊が選ばれた可能性を考えても面白いです。
こうしてみると、花の節句はたんに美しい花を愛でる日である以上に、汚れや邪気を払いたいという切なる願いの呪術であることがはっきりします。
1月から3月にかけて咲く梅の紅白はかつては、花見の主流であったし、今も多くの人が梅園で花を愛でます。
梅の紅白は、呪術で言えば陽の赤と陰の白で陰陽太極となり、ここから万物が生成するとされる事を思えば、この花が咲く時期が一年の初めの1月に定められたのはただの偶然ではないかもしれないです。
陰陽はカッバーラだとする人たちは、自然界にまでカッバーラが仕掛けられていると言い出すのかも知れないです。

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猫とイエスと安らぎと。

井出洋一郎の「名画のネコは何でも知っている」を、猫が登場してるだけの理由で、手にしてしまったのです。

作品ナンバー1は、アントネッロ・ダ・メッシーナ作〈聖ヒエロニムス〉。
1
〔Wikipediaより〕
猫は、腰かける聖ヒエロニムスののっている一段高い壇の向かって左端で寛いでいるのです。
建物の外縁、向かって右にはクジャク、左にはおそらくツグミの一種がいるのです。
書斎の右奥には、ライオンがいるのです。
図象の世界では、クジャクはイエスの復活、ツグミはイエスの受難を、それぞれ表すとされます。
ライオンは、砂漠で聖ヒエロニムスに棘を抜かれて懐いてしまったと言うことなようです。
猫はまったりと寛ぎ、作品全体に流れる時間がいかにゆったりとして穏やかであるかを、私たちに伝える役割を果たしているのです。
 でも、それだけじゃあなたはこの作品を紹介しないでしょ。
ライオンは百獣の王として覇者の象徴でしょうね。
その覇者の象徴であるライオンでさえ懐き寛がせてしまう神の威光の象徴として、描きこまれているのかも知れないです。
さらに、イエスは王として十字架に架けられています。
 となると、ライオンは、王としてのイエスの臨在もまた、示している可能性はあるでしょうね。
だが、イエスの象徴はそれだけじゃないのですよ。
 猫はイエスのメタファーでしたね。
寛ぐ猫はただ一匹描きこまれただけで、この作品世界全体を穏やかな癒しで包み込んでしまったのです。
イエスもまた、私たちに安らぎを与えると約束しておられるのです。
マタイによる福音書 11章 28節から30節
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
寛ぐ1匹の猫がこの作品全体に与えている安らぎは、まさに、イエスの約束された安らぎの具象化として、この作品を包み込んでいるのかも知れないです 。

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秘すれば花?

世阿弥の芸論書「風姿花伝」の言葉、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」 は、あんまり何もかも見せるより、仄めかす部分がある方が面白いということかもしれません。

でも、それだけでしょうか。

 確かに、余りこれ見よがしに見せびらかすのは、かえって野暮かもしれません。

 むしろ、嫌味でさえありますね。

花は自らを秘しているでしょうか。

鮮やかな花もあれば、地味な花もあるのは事実だけど、花は自らを隠してしまったら、受粉できないでしょ。

 生き物に託す場合もあれば、風に託す場合もありますね。

風に託す場合、裸子植物のように花は地味だけど、花それ自体は隠れてはいないはずです。

 秘すれば花と言うが、花自体は自分を秘してはいない…。

 だが、花を目立たせ、周囲を引き立てるように演出してるのは人が飾る場合であって、自然界ではむしろ周囲の存在に埋もれないように、してるようですね。

生き物に託す場合は見つけてもらえるように、風に託す場合は風にほどほどよく当たるように、咲いてませんか。

 花はこれ見よがしなのではなく、むしろ、懸命に見いだされたがっている…。

この見出される、見つけられる、ことこそ、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」という言葉を理解するポイントではないでしょうか。

 見つける、といえば、花は実をつけますね。

 「見つける」と「実つける」の洒落だったりしませんか。

そう言えば、努力はよく、花にたとえられます。

 花が咲く、とか、実を結ぶ、と言う具合に…。

そうなると、努力は気付かれもいいが、見せびらかしては駄目ということになりませんか。

 日本は、見せる文化と言うより、見つけられるのを待つ、気付かれるのを待つ、文化ということでしょうか。

隠す文化ではなく気付かせる文化、ということでしょう。

 見せて魅せる文化ではなく、気づかせて萌えを感じる文化が、日本…。

だから、見せつつ隠し、隠しつつ見せ、見つけられるのを待ち、気づかれるのを待つ訳です。

「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」

「春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は思えど 時にあらずと 声もたてず」

こういう、秘められた変化に素早く気付き、兆しを見出す、だから、「萌え」を感じるのは日本の美意識であり、粋なわけです。

 「萌え」を感じるのは日本の美意識であり粋としたら、「花(はな)」は「端(はな)」に通じるということですかね。

「秘すれば端なり、秘せずば端なるべからず」と表現を変えても、確かに意味は通じるし、むしろ、この方がわかりやすいのも、確かでしょうね。

だが、こうあからさまに出してしまっては、分かり易いかもしれないが身も蓋もないでしょ。

 それであえて、「端(はな)」を「花(はな)」と言い換えた…。

日本は、巧みに元の物を摩り替えたり、言い換えたりする文化でもあります。

だから、本来の意味を知りたければ、元の姿を探り当て、そこに込められたメッセージを知る必要があるということでしょうね。

 そうなると、日本文化は象徴に満ちていると言い換えても良くなるのでしょうか。

そうかも知れません。

大陸の中国などでは、権力の威厳を竜で表すことを好んだが、日本は違うでしょ。

 そういえば、日本では竜を仏教寺院とか、民俗的な祭りでは見るが、権力の象徴としてはあまり知らないですね。

むしろ、いつのころからか、松が好んで使われるようにみえないでしょうか。

ひょっとすると、松は竜の摩り替えかもしませんよ。

 大地に根をしっかりと張り、奔放に枝を伸ばし、常緑の葉をつける。

 しっかりとした地盤を築き、自在に振る舞い、その勢いは止まることを知らぬ権威と権勢を手に入れたと、印象付けたい権力者の気持ちを象徴している…。

しかも、そのうねる姿は、まさに竜でしょ。

さらに、日本は神仏混交の信仰を作り上げたが、神道の背景には陰陽思想があります。

松や竜のように長いものは、風や息や声に配されます。

 松は、竜、永遠の権勢、神の声、などの象徴だった…。

ほかにもまだまだ、摩り替えられた象徴が、日本は日本は見つける事が出来る国かも知れないですよ。

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相撲は踊りだった?

日本人の起源と中東について探っていると、いろいろと面白いコメントを戴きます。

この前は、こういう声をかけてくれました。

ベリーダンスを習っているものです。

興味深いお話をありがとうございました。

以前、YouTubeでアイヌのフッタレチュイ(黒髪の踊り)を見て、アラビア半島の踊り、ハリージと酷似しているのを見つけました。

ハリージはベリーダンスを習っていると、民族舞踊ということで習うスタジオもあります。

日本舞踊に対する、盆踊りみたいなものです。

両方とも、長い髪をブンブン振り回したりするハードな踊りです。

衣装も似てるし、踊りも似ている。

何より驚いたのは、ザガリートと言って、おめでたい時や楽しい時に、発する勧声です。

レレレレレレ…とか舌を高速で左右に動かします。

アイヌの人達も踊りを盛り上げるために、ザガリートをしていました。

エジプト人や中東の人と同じです。

古代中東の人とアイヌは共通の遺伝子があるとのことです。

アイヌのウフィというミイラを作ることも、エジプトや中東から受け継いだものではないかと思います。

中尊寺の藤原三代のミイラといい…。

何よりアイヌの人達の彫りの深い濃い顔は、中東の血が入っているのだろうと思わせるに十分です。

吉田大洋著『謎の出雲帝国』によると、出雲族以前に、日本にアイヌはいたそうです。

主人の祖母はニサタイに広大な土地を持っていた家の出身だそうです。

馬が下駄代わりだったそうです。

ナニャトヤラ大会もあります。

本来、ベリーダンスは自由な踊りです。

何をしても可だそうです。

基本はありますけど、エジプトのダンサーは自分の流儀で踊っています。

シュシュも腰をつきだして、身体を深くS字にしてするものもあります。

S字をキープしたまま足を激しく細かく踏んで移動もします。

身体を真っ直ぐにしたままのシュシュだけではありません。

身体を後ろにかなりそらすこともあります。

横に反らす動きをすることもあります。

踵で床をドンドン踏みな鳴らすこともします。

今やってる曲はエジプト人の振り付け師の曲で、踵でドンドンする振りがあります。

ズンズンと地面に轟かせながらするターンもあります。

ピポットターンの変形です。

バンと床を蹴ってジャンプもします。

ジャンプはあまりしないけど、おおっ飛んだとエジプト人は喜ぶそうです。

左右足を踏みかえる時に、バンと跳んだりもします。

ステップやターンで激しく踏むこともありますが、基本、裸足ですので、あまり音はしません。

でも、激しくジャンプもしますし、激しくステップも踏みます。

ダウンキックという動作も、エジプト人は前方まで腰をひねり上げ激しく捻り下ろしますが、日本人の先生は、腰をほんのちょっとアップするだけの先生もいらっしゃいます。

日本人の先生でも、知らなかったりする方も沢山いらっしゃいます。

ハッガーラは歩く時に、腰を捻り上げ、足をドスンと落とします。

これで普通の速度で歩くと、激しく腰が動いて激しくステップを踏んでいるように見えます。

エジプト人の講習を受けたりするとわかります。

ハリージも激しく前後左右に上半身や首を振りまわします。

バンと頭を振り下ろし、振り上げます。

フッタレチュイとそっくりです。

ハリージはステップ踏んで移動します。

エジプト人がステップ踏んで移動すると、豊満な身体がブルンブルン揺れます。

日本人は豊満でないので、腰を動かしてカバーしますが。

ベリーダンスもハリージも豊満な人が踊っただけで、踏み轟かし、あめのうずめのようになります。

ようはベリーダンスはもともと、自由でなんでもありなんです。

映画の陰陽師で、あめのうずめの踊りの場面では、左手に扇、右手に鈴を持って踊ってましたが、古代エジプトのバステト女神は左手に籠状のもの、右手にシストルム(シンバルを並べたような楽器)を持ってたとか。

持ち物が似てます。

イシス女神もシストルムの名手だったとか。

女性神官が神々を懐柔するために鳴らしたそうです。

あめのうずめの鈴と同じです。

元々、ベリーダンスは女性神官が神人合一したときの身体の動き(アンジュレーション、シミー)が踊りに入っています。

あと、尾てい骨を引っ込め、骨盤を真っ直ぐに立てる基本姿勢は、気功と同じです。

足も左右ほぼ平行が基本で、エネルギーの出し入れがしやすい姿勢は気功と同じです。

踊りがエネルギーワークでもあります。

他のダンス共通ですが、ツーステップと言うステップが反べい?禹歩ですか?と似ています。

右足に左足を引き付け、右足をちょっとずらし、次は左足を出し、左足に右足を引き付け、左足を少し出し…を繰り返し斜めにジグザグ進みます。

ボックスステップなんて四角く踏むステップもあります。

あめのうずめは鉾に 鈴を付けていたそうですが、ベリーダンスでもアサヤと言うステッキを振り回したり、ガンと地面に叩きつけたりします。

威嚇や魔除けです。

男性は武器の棒を持って踊る踊りもあります。

ベリーダンスはオリエンタルの踊り時は、踵を上げて踊りますが、砂漠の民ベドウィンの踊りはベタ足で、ズンズン踊ります。

ベタ足でないと砂に埋もれるからです。

それを床でやったら、踏み轟きます。

フラメンコもベリーダンスと共通する部分があります。

それで、フラメンコ風の踊りも時々習います。

フラメンコについては詳しくありませんので。

失礼しました。

この人の話にあるニサタイとは、岩手県二戸市仁左平地区のことです。

 ナニャトヤラ大会で、それくらい見当つきますよ。

 ナニャトヤラといえば、ユダヤ語説のある不思議な歌詞で有名ですよね。

実際にエジプト人の先生に倣って踊っている人からの、こういう情報はありがたいです。

特にアイヌの音楽文化と中東音楽文化の類似を、自分自身の踊りの体験から語って戴けるのは、貴重な情報で助かります。

 フラメンコはやはり、ベリーダンスと共通の起源なのでしょうね。

フラメンコもベリーダンスと共通する部分があるので、フラメンコ風の踊りも時々習うとのことですからね。

アイヌの音楽文化と中東音楽文化の類似があり、フラメンコもベリーダンスと共通する部分があるとなると、興味深いことになります。

近縁である琉球の伝統的な振り付けがどこかフラメンコに近いのも、中東音楽文化の類似ということになるからです。

 カチャーシーですね。

 フラメンコにどことなく、似てると言えば似てる…。

 聖書世界に近い琉球の文化にとってみれば、音楽文化も中東に近いのは当然と言えば当然ですけどね。

アイヌの人達の彫りの深い濃い顔は、中東の血が入っているのだろうと思わせるに十分ということは、琉球民族の顔も中東的と言って良いわけですね。

興味を惹かれるのは、禹歩に似たステップですね。

禹歩というのは道家の行う技法で、現代でも行われている呪術の一種です。

この禹歩は、古代の聖天子禹の歩きかたをかたどったものと伝えられます。

入山や病気治療などに際して特別なステップを踏む事で、主に身の安全の確保や病気治療などの効果を得ようとするものです。

実は、相撲の四股もこの禹歩に起源があるというのです。

威嚇や魔除けとして禹歩という独特のステップがあるが、四股も威嚇や魔除けとしての所作なのです。

さらに興味を惹かれるのは、男性は武器の棒を持って踊る踊りもあるということです。

四股を踏みつつ弓を振り回すさまは、ツーステップと言うステップを踏みながら武器の棒を持って踊る振り付けそのものではないですか。

アマノウズメの踊りに巫女舞の起源を探ったことはあるけど、まさか、弓取り式の起源をアマノウズメの踊りに見るとは思っても見ませんでした。

 ベリーダンスが女性だけでなく、男性の踊りでもある事を思えば、男性の神前の舞が残っていても当然だけど、弓取り式とは意表を突かれましたね。

となると、相撲は一見競技のようだけど、本質は神前の奉納儀式ですよ。

 土俵の正体は、屋根を見ればわかるように神社でしたね。

砂漠の民ベドウィンの踊りはベタ足で、ズンズン踊るということですね。

 ベタ足でないと砂に埋もれるからですね。

ベリーダンスはもともと、自由でなんでもありということは、舞踏に武闘の動きが入っても良いのではないでしょうか。

 そうしてみると、意外な展開になりますね。

相撲は実は、ベリーダンスの男性の舞に起源を持つ奉納舞だったのでしょうか。

 そう言えば、神社の奉納の舞にも男性の舞はありますね。

相撲は、右舞と左舞の代わりに、東西の取り組みとなったのでしょうか。

 相撲が東西南北にこだわるのも、ツーステップと言う禹歩に似た威嚇や魔除けのステップを踏む奉納舞の場だからと見れば、妙に納得できますね。

 相撲も、神社の奉納舞も、あめのうずめの踊りを経由して日本に定着した、ベリーダンスだったとは…。

こういう面白い展開があるから、歴史を探るのは止められないのですねえ。

追記

なお巫女舞についてはここで触れたので、良かったら見てください。

巫女舞http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-8caa.html

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日本の音楽文化とジャズと秦氏?

日本の音楽、どちらかと言うと、ジャズのジャムセッションに近くないでしょうか。

即興の掛け合いで生き生きしてくるさまは、まさに、ジャムセッションです。

 ジャムセッションは、奏者の力量と才覚に大きく左右されますね。

十分に練習を積んだ者同士でないと、簡単に空中分解するリスクと常に隣りあわせです。

楽譜の世界に、即興の掛け合いはまさに、命を吹き込んでいくのです。

忠実に再現されるべきは、楽譜ではないです。

忠実に再現されるべきは、楽譜に記された世界なのです。 

 そしてその世界は、魂の世界との交信であり交流でもあるのですよね。

日本の歌の系譜は、神前に供えるための音楽に端を発する可能性も見てきました。

ジャズはその成立史をみればわかるけど、ソウルミュージックとは密接な繋がりがあるのです。

ソウルは教会の霊歌ゴスペルやリズム&ブルースから派生した、よりポップミュージックに近い歌ものの音楽です。

 日本の精神文化も、どこか聖書、特にキリスト教と似通ってることは、これまで何度も取り上げてきたでしょ。

日本人は「歌」に対しては非常に厳格な美意識を持っているのです。

それは、日本の音楽は、言霊の表現形式の一つであるということです。

音が意識を宇宙に連結していく、日本の音楽に対する伝統的な考え方もこの延長線上にあります。

それは心の奥底に根を張っているため、容易に変質しないのです。

日本の伝統的な歌い方をすると気持ちがよいです。

それは、自身の血の中に流れる、古くからの音感と共鳴するからであります。

大陸渡来の楽器で日本の歌をなぞろうとしても、出ない音があります。

普通は、音程変更の容易な歌の方が、楽器の音程に合わせるが、日本の古人は、歌の音の方を大事にしたのです。

日本の音楽の主軸にあるのは「声」なのです。

声を伴わない器楽というのは伝統音楽の全体数から見ると、ごく少数です。

日本伝統音楽で愛用されてきた楽器の多くは、基本的には、器楽ではなく「声の音楽」の系譜に属します。

アカペラで歌われ、ここに大陸渡来の楽器の伴奏が加わっていくわけです。

どうしてこうなるかと言えば、雅楽の成立過程が関係しているのです。

雅楽の中の、ひとつのジャンルに国風歌舞(くにぶりのうたまい)というのがあります。

国風歌舞は、神楽(かぐら)歌、久米(くめ)歌、東遊(あずまあそび) など、古くから日本にある「土着の歌」とでも言うべきものです。

雅楽自体は、中国・インド・ベトナム方面や朝鮮・渤海(ぼっかい)系のものを、日本人の音感に合わせ、日本風にまとめたものです。

日本における外来音楽の最初の記録は、天皇の崩御に際し、新羅から楽人80名がやって来たという453年の記録だといわれます。

 雅楽とは、今も保存されている「アジア諸国の古楽」の、いわば音の正倉院のような存在なのですね。

今では、日本の伝統音楽と言っても良い存在になっていますけどね。

 雅楽と言えば、東儀氏ですね。

東儀氏は、秦氏から分かれた一族です。

 新羅は、古代ローマの文物が多く出土しますね。

そして中国ではローマ帝国、特に東ローマ帝国を大秦国と呼びました。

 雅楽と秦氏のかかわりが深く、東儀氏はその中心をなしている。

 雅楽の始まりに、大秦と呼ばれた古代ローマ帝国の影響が強かった新羅の楽人が大きく関与している。

なにか、面白いものを感じますね。

 ジャズは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部の都市を中心に派生した音楽形式でしょ。

西洋楽器を用いた高度な西洋音楽の技術と理論、およびアフリカ系アメリカ人の独特のリズム感覚と音楽形式とが融合して生まれたと指摘されますね。

 西洋音楽とアフリカのリズムの融合。

古代ローマ帝国はヨーロッパとアフリカにまたがっていたから、古代ローマ帝国の音楽もまた、西洋音楽とアフリカのリズムの融合の地であったかも知れないですよ。

 新羅経由で、西洋音楽とアフリカのリズムの融合した音楽文化が日本に来ていたのでしょうか。

大秦帝国と秦氏の繋がりを想像するのは楽しいけど、話を戻しましょう。

日本の伝統歌曲が、大陸渡来の楽器で伴奏されるわけだから、当然、音の合わないところが出てきます。

笛系の楽器は、弦楽器のように弦の張り具合を変え、微妙に調子を変えるという融通がきかないため、普通は歌の音程の方を楽器に合わせます。

 打楽器も、チューニング出来ますよ。

天然の皮製の場合、下手にやると破けるリスクはありますけどね。

しかし、日本の古人は違っていました。

日本の古人は、絶対に歌の音程を変えようとしないのであります。

その結果、旋律をなぞる楽器の音と声の音が、半音で衝突しながら進行するところが出てきたりします。

歌の旋律線をなぞろうと楽器ががんばるが、楽器が旋律を同じ音でなぞれる部分と、近似値でとどまる部分が出てきます。

大陸渡来の楽器で、歌の音程を出せないところがあるからです。

それでも、日本人は渡来楽器を使い続けました。

楽器は、肉声では出しえない音色で、言霊表現に参加したのです。

歌と半音ずれてしまう楽器に対し「できる範囲でこちらの声についておいで」といった感じで歌が楽器を悠然と先導です。

絶対に歌の音程は、変えないです。

肉声が音楽の柱となり、楽器は言ってみればバックコーラス的立ち位置で歌に合流するわけです。

これが日本の美意識です。

伴奏楽器の発するメロディーラインに対し、半音ずれて歌うというのはとても難しいです。

普通は、歌の方が、楽器の音程の方に引っ張られ、楽器の音程に同化していくのです。

だが、日本の古人は、古くから伝わっている日本古来の歌の音程を絶対に変えようとしなかったのであります。

それができたのは、楽器が伴奏だったからではない、楽器も歌っていたのです。

 日本にコーラスがなかったのではないのですね。

声と楽器によるコーラスだったのです。

澄んだ響きが、ところどころ混沌とした響きに濁る部分があります。

こうした部分は、声の音と楽器の音が約半音で衝突しているところです。

楽器の音色の参加で生じた清濁こそ、声楽だけでは出しえない世界です。

濁と清、動と静、混沌と秩序、苦と楽、など世界は相補い相反する事物が混在しています。

楽器は肉声だけでは表現しきれなかった世界の姿を、写し取るための相方として受け入れられたのです。 

日本人にとって楽器とは、共に歌う仲間だったのではないでしょうか。

コーラスでパート分けがあるように、日本人は楽器とパート分けして歌ってきました。

水墨画は赤や青の色が混ざろうとも、水墨画です。

 墨で描くだけでは、水墨画ではないでしょ。

墨の線だけで描くのは墨絵、ぼかしによる面の表現が加わると水墨画と、区別されています。

赤や青の色は色としてではなく、墨の仲間として参加しています。

 墨に五彩ありというけれど、墨だけで出し切れない色として、赤や青は参加してるのですね。

楽器も肉声で出し切れない音色で参加したのです。 

楽器も日本音楽では、声として参加しました。

日本に欧米的な意味での器楽が発展しなかったのは、日本の器楽はコーラスの一形態として発展したといえます。

雅楽もまた、器楽にして器楽にあらずです。

雅楽もまた、アカペラコーラスの一種として発展したのです。

日本の器楽は伴奏のようで、伴奏がないです。 

日本の音楽では、肉声と楽器の境がないです。

声は声とも楽器ともセッションし、楽器は楽器とも声ともセッションします。

だから、日本の音楽には声の掛け合いだけが存在します。

まさに、声と楽器の渾然一体のセッションこそ、日本音楽の精髄です。

日本人の多くがジャズが好きなのも、むべなるかなです。

ジャズは、誕生の時、欧米の音楽文化にとっては前衛だったのだろうです。

西洋式の正しい歌い方は、まず出だしの音の正確さ、そして音の高さがまっすぐ伸び、音が上下に震えたりしないです。

地声は厳禁です。

だが、ジャズは自由奔放に音が歌い踊り対話し合います。

型にはまった当時の西欧音楽の概念を打ち壊したのです。

これこそ現代だ前衛だと持て囃されたものの多くは、すぐに陳腐化しました。

だが、ジャズは単なる前衛音楽から、欧米の音楽シーンの定番ジャンルの一つに定着しました。

それは、ジャズが欧米には新しかったとしても、長い歴史を持った音楽文化の流れにとっては新展開でしかなかったことによるのです。

日本の伝統芸術が、欧米にとって前衛です。

そう言えば、日本から包装紙として渡った浮世絵が欧州画壇にカルチャーショックを与えました。

日本の伝統音楽も、欧米から見たら衝撃的でカルチャーショックでした。

能が欧米人から見て前衛芸術なのもまた、無理からぬことです。

ジャズは、日本人にとって新参者でありながら素直に受け入れられたのは、底流を共有していたからでしょう。

日本人は、ある音を発声するとき、まず目的音より少し低めの音を発し、そこから徐々にずり上げて目的音に達するという方法をとります。

そして目的音に達すると、今度は音程を微妙に上下に揺り動かすという、いわゆるコブシをきかせ、地声で朗々と歌い上げます。

さらにリズムは伸縮自在でグラグラしています。

これは、どこかジャズのスィングに近いです。

「響き」といった、感性の領域に属するものは、言語や食事文化よりも基層にあるため、他の文化要素と比べて変化しにくいというです。

千年以上も、かたくなに古くからの歌の音感を守り通してきた日本人は、こうした特徴がきわめて強固であるといえます。

その日本の感性が、どこかジャズと響き合うのです。

なにか、興味がそそられますね。

 ふと、トランペットと尺八の音色に似てると感じたら、ミュージシャンの中にも、そう感じる人は居るようです。

そういえば、歌口から管尻までの長さはフルートと尺八が約60cm、音の高さもフルートと尺八はほぼ同じと言います。

 フルートの音色は、吹き方によってはまるで尺八のようになりますよね。

これも、面白いですね。

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自由を貫くには主張するだけで良いか。

『はだしのゲン』が小学校や中学校の図書館で、開架から外されて自由な閲覧が出来なくなったと問題になる事例が、島根県松江市で起きました。

発端は2012年12月のことです。

松江市内の小中学校校長が集まる校長会で、市教育委員会から子どもたちの自由な閲覧をやめるように『お願い』があったのです。

市教委はその理由を「暴力や殺害シーンが過激で、トラウマになったり面白おかしく捉える子どもがいるのではということで制約をかけた」といいます。

市内の49小中学校のうち、39校が『はだしのゲン』全10巻を保有していたが、校長側はこれを要請と受け取り、自由な閲覧を禁止する閉架措置をとったのです。

要請は事務局が決定し、教育委員を交えた会議には報告されていなかったことが分かったのです。

これに対し、こういう批判が出されました。

『はだしのゲン』は1973年に少年雑誌で連載が始まり、映画化もされた。

単行本は650万部を超すベストセラーになり、アメリカ、ロシアなど核保有国も含め世界20か国で翻訳、出版されている。

原発被害の第一級資料だ。

それなのになぜ被爆国の日本で、子どもたちが自由に閲覧することを禁止するのか。

この批判はもっともです。

だが、連載した少年雑誌の購買層は何歳くらいでしょうか。

少なくとも、学齢に達したばかりの児童でないことは、常識的に理解できるでしょう。

一方、小学校の図書館は学齢に達したばかりの児童も閲覧するし、『はだしのゲン』は学校におかれた数少ない漫画です。

つまり、学齢に達したばかりの児童も読む可能性があるのです。

感受性の強い一方、まだ理解力の乏しい年齢であってみてば、強くショックを受ける可能性は否定できないでしょう。

寺などで地獄絵図を幼いころに目にした経験のある世代が身近にいた頃と、魚をさばく光景さえ生活から消えた世代とでは、受ける衝撃の大きさも変わっていると見る声が出てきてしまうのはあり得る事なのです。

一匹まるごと骨を取りながら食べた経験のある世代と、骨を取った切り身や加工品ばかり食べている世代とでは、残酷な場面の基準さえいつの間にか変わっていると見た方が良いでしょう。

欧州でも、昔話から残酷な場面が削られていく過程が、都市化とともにあったと聞きます。

そこで、閲覧に対してなんらかの配慮は必要だと言う指摘が、『はだしのゲン』の価値を評価する人からも出てくることとなります。

これまで、ショックを受けた子が出ていないからと言って、子どもも愚かではないからちゃんと受け止めていると、ばかり言っていると足元をすくわれかねないのです。

これまでもいじめはあったと言うが、いじめの質が変わってきたのは事実なのです。

これまで、ショックを受けた子がいないからと、ショックを受ける子が出る事の懸念を有り得ないと一蹴していいでしょうか。

閲覧の自由を守りつつ、子どもの精神的な発展段階に合わなければ、ショックを受けるだけと懸念する人を説得するには、何歳向けの書かはっきりさせる必要もあるでしょう。

これまでだって、児童向け出版物には対象年齢を明記してきました。

むしろ、『はだしのゲン』は少年雑誌連載から単行本、さらに作品の価値が評価され世界に広がり、学校の図書館にも納められるという経過の中、何歳向けの図書であるかと言う議論は後回しになっていたのです。

児童向け出版物として出版されなかったが、児童にも読まれる環境が生まれ、かつ、刺激や衝撃の大きい、また、理解の難しい内容の書には、何歳以上向けか、どの学齢向けか、客観的に分類する方が好ましいかもしれません。

目安として対象年齢向けに書架を分類したうえで、子どもに選ばせれば良いでしょう。

言論や閲覧の自由を、ただ、声高に言うだけではなく、閲覧しない自由にも配慮しないと、問題によっては不毛な対立の泥沼にはまるか、解決しても何らかのしこりは残るという、心配はないでしょうか。

自由や権利、平和や民主主義、などさまざまな意見や主張や立場の違いや対立、戦いはあると思うが、善意の懸念に対する配慮を忘れずに取り組む姿勢を忘れたくないものです。

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