経済・政治・国際

憲法第九条は、憲法の条文である以上国民が自国の政府に守らせるものである。 憲法第九条で国が守れるかと言う設問は、問題の立て方が間違っている。

日本国憲法の「前文」にはこうあります。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」したのでどう具体化するかを定めたのが、第九条です。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
つまり、日本国の政府は「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」している日本国民の意思を具体化するために内政も外交もすることが主権者である国民から求められていると憲法に書かれているわけではないでしょうか。
憲法第九条で国が守れるかじゃなくて、主権者である国民はこれからも憲法第九条を内政や外交の原則として保っていくかどうかみんなで考えようと言うべきなのではないでしょうか。

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心の備えは出来ているだろうか。

新約聖書のマタイによる福音書には有名な「十人の乙女」の例えがあるが、これはイエスの再臨への備えの大切さを説いているとされている。
それは事実だが、心の備え全般の大切さを説く説話と見る事も出来る。

状況を甘く見て心の備えが無いと事態を乗り越えられないと言う例え、と見ればどうだろう。

市民と野党の共闘で政権交代を目指す取り組みは始まったばかりなので、すぐに勝利できると楽観する方が甘い。

政権への批判は強いがそのまま野党への政権交代への期待になっていないのは、これまで野党がまとまれなかったからだ。

本気が疑われている間は、野党の議席は伸びても政権交代には届かない。

市民と野党の共闘で政権交代を目指す取り組みは、日本が初めて体験する市民による市民のための革命だと言える。

多くの市民が自らが主役となって政治を動かす事に参加する、まさに日本史上初の事態を目の当たりにしているのだ。

そう簡単に行くはずがない。

経験から何を学ぶのか、問われている。

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助け合いで乏しさのために困る人達が出ない世界を私は見たい。

なぜ、国家間や地域間で地球規模の問題で足並みがそろいにくいのか。

それは経済活動の目的や目標が利潤追求にあるからで、必要を満たすのが目的や目標の経済活動になれば協調はしやすくなる。

その実現が難しいのは、多大な利益を既得権益としている人達がそれを手放そうとしないからだ。

多大な利益を既得権益と思っている人達は、目先の小さな変化にも神経質になり他人に対して疑心暗鬼になり必要以上に富を貯めようとする。

全ては循環の中にありみんなで協力して乗り越えれば、乏しさのために困る人達は基本的に出ない。

乏しさのために誰も困らないなら、みんなが計画的に消費する。

乏しさのために困る人達が基本的に出ないなら、消費も安定するので生産も計画的にしやすくなる。

計画的生産に消費を合わせるから、おかしくなる。

安定的な消費に合わせれば、自然と生産も計画的になるはずだ。

助け合いが当たり前な世界を、みんなで実行してみんなで実現しよう。

いいもの作ってみんなに喜んでもらいたいとか褒めてもらいたいと思うのは、誰もが思うのではないだろうか。

だから競争は、どんな社会になっても無くならない。

誰も乏しさのために困らないなら、みんながいいものつくりの競争に参加できるようになってもっと面白い世界になる。

私は、それを見たい。

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福島第一原発事故の処理水とはどんなものなのか。世界のメディアは”Radioactive water(放射性の水)と呼んで報道しているが。

中国は原発の処理水を、今回の福島第一原発事故の処理水より出していると言う人がいます。

通常運転されている原発の処理水と、直に放射性物質に触れている事故後の処理水では質が違う事を無視しているのです。

だから、通常の原発の処理水と区別して汚染水と多くの外国メディアが報道するのです。

しかも通常の汚染水と区別するために、世界のメディアは”Radioactive water(放射性の水)と呼んで報道しているのです。

まず、基本的なおさらいをします。

放射線とは、高い運動エネルギーをもって流れる物質粒子(アルファ線、ベータ線、中性子線、陽子線、重イオン線、中間子線など の粒子放射線)と高エネルギーの電磁波(ガンマ線とX線のような電磁放射線)の総称をいいます 。

放射性物質とは放射線を出す物質であり、放射線を出す能力が放射能です。

原発の冷却水は直に放射性物質に触れていないが、放射性物質から出ている放射線にさらされている可能性があるのです。

通常の原発の処理水とは、放射線にさらされた可能性のある冷却水を環境への影響が極めて低い状態にした水です。

だから、原発事故の汚染水と区別が必要だってわけです。

いわゆる放射能汚染とは、放射性物質による汚染を指すのです。

原発事故で直に放射性物質に触れた水は、正確には放射性物質に汚染された水という事になります。

どのような放射性物質が、どれくらいの分量や濃度で残っているかそれが問題になるのです。

汚染水と呼んでいる政党や政治家への敵対心を、維新は剝き出しにしています。

彼らを勝たせたら、日本人は世界からバカにされるだけなのでしょうね。

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G7参加のキリスト教国はなぜに神より核抑止力に頼る? Why do Christian nations participating in the G7 rely on nuclear deterrence rather than God?

サミット参加7カ国は、またしても核抑止力に頼る。

 

The seven countries participating in the summit will once again be dependent on nuclear deterrence.

 

だが、思い出して欲しい。

 

But remember.

 

7カ国のうちの6カ国は、自らをキリスト教国として位置付けているのではないだろうか。

 

Six of the seven countries may position themselves as Christian.

 

ならなぜ、平和のために核抑止力に頼るのだ。

 

So why do we rely on nuclear deterrence to achieve peace?

 

十戒の初めには、「私の他を神としてはならない」とある。

 

The beginning of the Ten Commandments says, "Thou shalt have no other god besides me."

 

そしてイエスは言う。

 

And Jesus says.

 

幼子のように天の御父を思うものが、御父の国に入るのだと。

 

He said that whoever thinks of the Heavenly Father as a little child thinks of its father will enter the Father's kingdom.

 

幼子のようにというのは、自らを無力であり親に頼らなければ何もできないと自覚すると言う意味である。

 

To be like an infant is to realize that without our Heavenly Father we are helpless, unable to do anything.

 

幼子のうちは、何をするにも親を頼るしかないので何かにつけて親に頼る。

 

As young children, they have no other means of doing anything but to rely on their parents, so they rely on their parents for anything.

 

出来る事が増えると、次第に親を頼らなくなる。

 

As they are able to do more, they gradually stop relying on their parents.

 

何でも自分でやれるし、何でも自分でやらなければならないと思い込むようになる。

 

They come to believe that they can do everything themselves and that they must do everything themselves.

 

それが成長する事であり、大人になる事だと思い込むようになる。

 

They come to believe that this is what growing up and becoming an adult is all about.

 

いつまでたっても親を頼るのは、恥ずかしく思い込むようになる。

 

They are ashamed to rely on their parents for any length of time and assume they cannot rely on their parents.

 

そして、他人に頼るのもまた恥ずかしく思い込むようになる。

 

And they also become ashamed to rely on others to help them.

 

だが、イエスは言う。

 

But Jesus says.

 

何歳になっても、自分でできないと感じるなら助けを求めても良いのだと。

 

He said that no matter how old you are, it's okay to ask for help if you feel you can't do it yourself.

 

そして、一番に頼るべきなのは天の御父なのだと。

 

And that it is our Heavenly Father to whom we should turn first.

 

わかっていないとか見えていないとか感じるなら、真っ先に天の御父に頼るべきであると。

 

He said that if we feel we don't understand or can't see, we should turn first to our Heavenly Father.

 

ならなぜ、神に頼らないのか。

 

Then why not turn to God?

 

イエスに自分には何が足りないのか尋ねた金持ちの若者が、財産をすべて貧しい人に与えて私について来なさいと言われたようになるのが怖いのか。

 

Are you afraid that you will be like the rich young man who asked Jesus what he lacked and was told to give all his wealth to the poor and follow me?

 

イエスは言う。

 

Jesus says.

 

人には出来ない事も神には出来る。

 

What man cannot do, God can do.

 

G7参加の欧米の6カ国よ、あなた方はキリスト教国ではないのか。

 

To the six Western countries participating in the G7, are you not Christian nations?

 

平和実現のために真っ先に頼るべきは、天の御父ではないのか。

 

In order to achieve peace, the first person we should turn to is our Heavenly Father.

 

あなた方はキリスト教国と言うなら、核抑止力などと言わないで天の御父にこそ頼るべきではないのか。

 

If we call ourselves a Christian nation, shouldn't we rely on our Heavenly Father instead of nuclear deterrence?

 

教会で説教を聞くだけで、自分では聖書そのものを読まないのだろうか。

 

Do they just listen to sermons in church and not read the Bible itself?

 

どうなのだ。

 

How is it?

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お互いを知ろうとする忍耐と寛容のいる取り組みを馬鹿にして平和が作れるわけがないと気が付く方が良い。

東南アジア諸国は軍事ブロックを解消したばかりか中国も含む対話の枠組みを作りそれなりに維持しているのに対し、ヨーロッパ諸国は軍事ブロックを残しロシアも含む対話の枠組みを作りながら形骸化させてしまったのはなぜだろうか。
考えてみたい。
面白いのは東アジアでは古代に政治的にも経済的にも中華文化圏があったが、ヨーロッパではスラブ文化圏という形はあったが政治的や経済的なロシア文化圏は古代から現代まで一度もなくロシア大国主義との距離を模索する歴史ばかりだったように見える事だ。
そしてスラブ文化圏は、ほぼ東欧圏と重なる。
ロシア大国主義の厄介なところは、ロシア民族はスラブの民族の一部である事、ある意味政治的に切り取られた国土の産物という側面がある事だろう。
ロシア民族とは、輪郭線が非常に曖昧な民族と言える。
そのために周辺諸国と軋轢を生みやすいともいえるが、だから絶え間ない対話でガス抜きがいる。
ロシアとヨーロッパの平和は、絶え間ない相互理解のための対話でしか確保できない。
聞きたい事があれば間髪入れないで質問出来る関係は、絶え間ない対話の場があってこそ可能だ。
軍事的な意図が無いならば、平和的で開放的な施設や設備であると相互の交流を受け入れて示さなければならない。
ロシアから見れば、アメリカとの軍事同盟であるNATOと事実上一体に感じられるEUの拡大は、アメリカの銃が目の前に突き付けられたのと大差ないのだ。
平和を望むなら、ヨーロッパとロシアは対話の場を一切の条件抜きで作るしかない。
誤解を解くための、終わりなき対話の継続だけが平和を作る。
信頼して欲しいなら、疑いを晴らすための努力を惜しまない事しかない。
納得できると言うのは相手の判断であり、自分ではない。
説明は、あなたが信頼できるとわかった疑って悪かったと相手が言うまでやめてはならない。
平和とは、忍耐と寛容の産物なのだ。
一方戦争は、不信と不寛容の産物だ。
そもそも、人と人は過去の歴史も経験も違う以上完全に分かり合えるなんて幻想に過ぎない。
忍耐と寛容で相互の信頼を築き合った関係の中でこそ、平和的な関係は作れる。
国と国も、基本は同じだ。
背景となる歴史も文化も言語も違うから、相互の理解がより難しくなっているだけなのだ。

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理想の世界を実現できる人とはどんな人。

マルコによる福音書 10

13 イエスに触れていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。

14 イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。

15 よく言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

16 そして、子どもたちを抱き寄せ、手を置いて祝福された。

 

子どものように神の国を受け入れる人でなければ決してそこに入ることはできないって言うけれど、子どものようにってどういう意味でしょう。

 

子どもって思った通りに口にするし、思った通りに行動をしようとするでしょ。

 

そして、子どもって実現するまで諦めないで行動しようとするでしょう。

 

でも、大人はいろいろ口実を言って諦めさせようとします。

 

諦めることが、大人になることだと誰もが思ってしまうのです。

 

では、神の国とはどんな世界でしょう。

 

理想の世界では、ないでしょうか。

 

ならば、こう言い換えられるのではないでしょうか。

 

諦めないで行動する人でなければ、理想の世界を例えどんなに願ったとしても決して実現することはできない。

 

待っていたと言う人は多いけれど、待っているだけの人には決して理想の世界には来ないのです。

 

理想の世界は、諦めないで行動する人だけがたどり着くのです。

 

あなたは、どうでしょうか。

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本来はみんなの共有財産であったものをみんなの手に取り戻すのがコミュニズムだ。

共産主義の代表的な思想家として知られるマルクスとエンゲルスの仕事は、コモンの共同所有や共同利用をしようとするコミュニズムに経済学や哲学によって実用化のための基礎理論を提供した事だった。

コモンとは、みんなの日々の生活を支える共有財産を指す。

コモンを、みんなの共有財産として共同所有し共同利用しようとする思想と運動がコミュニズムなのだ。

そしてマルクスとエンゲルスの仕事は、コミュニズムの思想と運動の古典となった。

それ以上でもそれ以下でもない。

貨幣経済は古代に始まり、資本主義は貨幣経済の時代の短い期間に過ぎない。

資本主義以前の社会は、みんなの共有財産が日々の生活を基本的に支えていた。

交換しないと手に入らないものが交換されたが、交換価値の高いものは日持ちが悪かったり手に入る期間や場所は限定された。

そこで、保存性や分割性の高いものが求められ貨幣が生まれる。

貨幣経済=資本主義ではないのだ。

資本主義以前は、商品→貨幣→商品の循環だった。

資本主義は、貨幣→商品→貨幣の循環に変質した。

貨幣の使用価値とは価値の保存や交換手段となる事で、多くの交換手段としての貨幣の獲得と蓄積が資本主義の目的となる本末転倒の事態となった。

コミュニズムとは、本末転倒の社会の是正の運動だ。

コミュニズムとは、貨幣を本来の価値の保存や商品流通の手段に戻すと共に商品され過ぎた共有財産=コモンをみんなの幸せのために共同所有と共同利用しようとする思想と運動なのだ。

それ以上でも以下でもない。

コミュニズムとは、社会の富を見境なく商品化する資本主義から取り戻す思想と運動なのだ。

資本主義のもとで豊かになった社会の富を、再び社会のみんなの共有財産に取り戻す思想と運動なのだ。

だから複数のコミュニズム運動の組織や団体が、あっていいのだしあるべきなのだ。

みんなの日々の生活を支える共有財産こそがコモンであり、コモンの共同所有や共同利用の思想や運動がコミュニズムなのだ。

そして、コミュニズム運動は日本でも共同体の思想や運動として広がっている。

共産主義とは、本来、コミュニズムの訳語に過ぎない。

ソシアリズムは、コモンの社会化の思想だ。

これまであった社会主義国を名乗る国々は正確には目指す国であり試行錯誤している国なのであって、日本には日本の実情に合った試行錯誤が必要なのだ。

国情の違う国の前例の多くは、教訓にはなっても手本にはならない。

日本のコミュニズムは、前人未到の大冒険なのだ。

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「大人の山村留学」で子どもや子育て世帯への接し方を学ぼう。

「大人の山村留学」とでも言いえる取り組みを、提案したい。

「子どもの山村留学」はすでに取り組まれ、何年も経っている。

そして今でも、需要は多いのだ。

だが「子どもの山村留学」は、担い手の高齢化と後継者の不足と言う課題に直面している。

担い手の高齢化や後継者の不足で、「子どもの山村留学」そのものが続けられない場合も少なくないと聞く。

 

都市部に目を転じて見れば少子化が深刻になっているので子どもや子育て世帯との接触を経験している人は高齢化し、現役世代の多くは子どもや子育て世帯との接触の経験が乏しいのが実態だ。

子どもは眺める存在でこそあっても、日常の中で関わる存在ではなくなってしまったのだ。

結果として、子どもや子育て世帯を見守り支える地域の力は弱まってしまった。

それでいて行政は、予算や人員の関係で十分に対応するのは難しいのだ。

行政と地域の連携が必要だが、地域にはその受け皿になれる人が少なくのだ。

 

一方で地域の子育てを支える担い手の高齢化や後継者不足に悩み、もう一方では子どもや子育て世帯との接触体験の乏しい人が増えている。

 

ならば、子育てを支える担い手や後継者の不足に悩む地域に子どもや子育て世帯への接し方がよくわかっていない都市部の人達を送り込み体験させたらどうだろうか。

 

もちろん、一気に大量の人達が行っても受け入れ態勢が取れないだろうし、都市部から参加する人もすぐには増えないだろう。

 

それでもなお、やらないよりはましなはずだ。

 

呼び方もやり方も、実態に合わせて考えれば良いのだ。

「大人の山村留学」は、その一案に過ぎない。

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誰のために政党や政治家はいるのでしょうか。

腰の据わっていない、政党や政治家に聞きたいのです。

あなたに、この人の笑顔が見たいから頑張れると言える相手がいるのですかと。

聞きたい話は、それだけです。

あれこれきれいごとを言ってもいざという時腰の据わっていない政党や政治家は、私が頑張れるのはこの人の笑顔が見たいからだって言う相手がいないんだと思うからです。

いたらどんな事があっても、踏みとどまるはずではないでしょうか。

そうじゃないから、決定的瞬間で保身に走るのでしょうか。

違うでしょうか。

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