経済・政治・国際

粘り強く対話するのが平和への一番の近道だ。

アセアンとヨーロッパの差は、地域の大国と周辺諸国との歴史的な関係の違いがありそうだ。
アジアでは古代から地域の大国である中国と周辺諸国は華夷秩序が作られていたが、ヨーロッパでのロシアは祖国防衛の戦いを通じて大国になったので常に周辺諸国とは緊張関係があったのではないか。

中国の文化や文明は交流の中で育まれ、一定の基準ができたら今度は継承と発展の段階をたどっている。

それは王朝が交代しても続いているが、支配の正当性を主張する手段としてつかわれるからだ。

中原の文化的な優越が、やがて周辺諸国との華夷秩序となっている。

それに対して、ロシアの大国への道は覇権のためと言うよりは防衛線を少しでも遠方に設定することが目的になっている。

周辺諸国との距離を取ることが、安心と安全の確保につながるからだ。

それで、確保した地域の離反には常に警戒をすることになる。

何としてでも、獲得した地域は領土にとどめておきたいのだ。

その結果、これらの地域の動きには神経質にならざるを得ない。

ロシアが常に周辺諸国を軍事行動で威嚇や牽制をするのは、周辺諸国との信頼関係がちゃんと作られてこなかったからだ。
まずは、アセアンを見習って対話の習慣つくりを粘り強く進めるしかないのではないか。

相互の理解には時間がかかるのだから、まずは対話の習慣を根付かせる取り組みを粘り強く続けるしかない。
それには、敵意のないことを態度で示すしかない。
だから、握手やハグなどの挨拶のやり方が生まれたのだ。

まずは、周辺諸国の側からロシアとの信頼関係を築く根気強いアプローチが必要なのだ。

手始めに、ロシアの言い分にじっくりと耳を傾けるところから始めるしかない。

辛抱強く、ひたすら聞くのだ。

どうすればいいのか、ロシアが自分で気が付くまでね。

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大手メディアと自由民主党は大企業が主要なスポンサーという点で同じ穴の狢。

もう何年も前のことだが、物凄く米が不作で不足が深刻と言われた時があった。
私は偶然放送局のマイクが来たので、コメ余りが深刻だからと減反をしてきたんじゃないのか備蓄米があるはずだと言ったら局の人間が青ざめたのを昨日のことのように覚えている。
もしこれが流れたが最後、思い出した人々は口々に備蓄米を出せと言いだして世論の流れが変わったかもしれない。

たとえ、一回しか放送されなかったとしてもだ。

日々の生活に追われて、忘れていただけだから。
今から思えば、大手メディアと自由民主党は大企業が主要なスポンサーという点で同じ穴の狢だからなんだと合点がいく。
大手メディアと自由民主党は大企業が主要なスポンサーという点で同じ穴の狢だと、多くの人がすぐにピンと来ないのも仕方がないかもしれない。
こういうことは、気が付くまで時間はかかるものだ。
だが一度気が付いてしまえば、もはやそうにしか見えなくなってくるのだ。

都合の悪い事実は、巧みに隠されているのである。
多くの人は、忙しさの中で忘れてしまうのだ。
それが狙いなので、なかなか労働時間の短縮が進まないのかと勘繰りたくもなる。
それに子どもの頃から、コマーシャルを見慣れているからね。
資金管理団体経由で隠されているので、大企業がいくら出しているかすぐには見えないようになっているからというのもある。
こうして都合の悪い事実が、国民の目に触れないように巧みに隠されている。
だから私は、大手メディアは情報源として利用はするけど鵜呑みはしたくないのだ。

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社会主義や共産主義と労働時間と自由と民主主義とはどういう関係か。

社会主義や共産主義の実現のための運動は、生産を利潤追求から人々の必要を満たすための本来の姿に戻す新たなルネサンスなのです。

人々はそれによって利潤のための労働時間から解放され、自己実現のために使える時間を手に入れるのです。

資本家が共産主義を嫌うのは、利潤追求のために労働させる時間が減らされるからなのです。

資本家にとっての富の源泉は、賃金の支払いに必要な生産のために働く以上の余剰労働だからです。

賃金のために働くのは、必要労働です。

売上に占める利益とは、余剰労働によって生まれた富が目に見える金額となったものです。

社会主義や共産主義は労働時間は賃金のために働く時間で十分だというから、資本家にとってはけしからん思想であり運動なのです。

働くものは生産を利潤追求から本来の姿に戻すことで、自分たちの可能性を実現するために使える時間が手に入るのです。

いま日本では、賃金のための必要労働の時間は8時間労働のうちの半分以下なのです。

資本主義の下では、どんなに労働時間を短縮しても余剰労働の時間は残されます。

この余剰労働の時間で生産される生産物こそ、周期的に景気を変動させる元凶と言えるでしょう。

利潤追求のための生産はどうしても余分な製品と不況と失業を生むが、本来の人々の必要のために行われた生産は人々の求めるものだけが作られるので生み出すのは一人ひとりの自由な時間です。

基本的に生産活動は、人々の必要のために行われるからものだからです。

利潤追求のための生産は一方では飛躍的に科学や技術を発展させるけれども、他方では浪費を産み周期的な不況や大量な余剰生産物もまた生み出し失業も生み出すのです。

自由と民主主義と社会主義や共産主義の関係は、生産を本来の姿に戻そうとすれば人々は誰もが自由に自らの必要のために発言し行動できなければならないのです。

自由で民主的な条件の下で発言や行動がなされてこそ、本当に必要な生産物の量がわかるからです。

だから、自由と民主主義を社会主義や共産主義は目指すのです。

そして、労働の時間は抜本的に見直され大幅に短くなります。

そうしたら、人々は自らの能力と可能性をのびのびと花開かせる時間をたっぷりと手に入れられるのです。

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平和外交のために今こそ歴史に学ぼう。

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカードイツ連邦共和国第6代連邦大統領が1985年5月8日に行った「荒野の40年」と呼ばれる演説の一部で、あまりにも有名な一節です。

歴史から学ばないと、現在の選択も間違えると訴えているのです。

例えば日露戦争の時も、日本は日英同盟の後に日ロ通商で戦争の回避をしようとしているのです。
危機回避のために急ぐ日本と日本が本気で攻めると思っていなかったロシアの認識のずれが、事態をこじらせたことが明らかになってきました。
アセアンが取り組む対話の習慣化が、いかに大切かがこれからもわかります。

湖南事件とも呼ばれる大津事件は、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中の後の皇帝ニコライ2世となるロシア帝国皇太子・ ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフが、滋賀県滋賀郡大津町(現・大津市)で警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件です。

これが日本とロシアの戦争にならなかったのは、天皇から一般人に至るまでお見舞いの意思を表したからです。
この当時の日本とロシアの関係は相互の文化を大いに紹介しあう良好な状態だったので、誰もがそれを壊したくなかったのです。

幕末から明治にかけて日本とロシアの間に緊張関係がなかったわけではないが、日常的に営まれた漁業を通じての民間の交流が日本では函館から全国に広がりロシアでもヨーロッパからのジャポニズムの影響もあって日本文化への関心が高まっているのも日本とロシアの関係がよかった事情が背景にあります。

にもかかわらず日露戦争になったのは、やはり日本とロシアの認識のズレを解消することを可能にする日常的な対話の習慣が日本とロシアの間になかったのが大きな理由になるのです。
アセアンが一年に1500回以上の対話を重ねる関係を作ってきたのは、認識のズレが戦争の原因となった歴史の教訓を学んだからなのです。

いま日本は、歴史から学んだ教訓を盛り込んだ憲法を持っています。

前文から、引用しましょう。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本はアセアンが積み重ねてきた教訓からも学んで、全世界に向けて大いに平和外交のために対話を呼びかけるべきでしょう。

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憲法について考えてみた。

憲法9条で国を守れるかと言う人がいるけど「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と世界に向かって公約している条項なのです。
公約を守らないと、逆に日本は世界から信頼を失うのです。

憲法と言うのは、私たちの国はこういう基本的な方針でいきますと国の内外に向けて宣言した公約なのです。
すべての公務員は憲法を守る義務があり、議員もその中に含まれます。

憲法改正をしている国があるというけど、基本的な内容は変えないで部分的な修正をしているだけです。
なぜかというと、法律に書けばいいことまで簡単に変えられないようにするために憲法に書いてしまったからなのです。
日本国憲法は、細かいことは法や政令にゆだねて基本的なことしか書いてないのです。

憲法にはこの国はこれを基本に据えますという内容を書くからこそ、どの国もそういうものとして憲法を作っているのです。
法律にすると時の権力の都合で簡単に変えられてしまうから、それでは困るものをまとめてあるのが憲法と言うこともできます。
基本法とも呼ばれるのは、このためなのです。

憲法は国をこういう方針で動かしますという基本だから、法律も政令も条例も政府のすべての決定は憲法にあっていないと無効とされます。
だから、違憲立法審査権を持つ機関として裁判所が機能を発揮しないといけないのです。
それを監視する権利と義務は、主権者である国民にあるのです。

政府の決定は国であれ地方であれ、憲法にあっていないといけません。
それを日常的にチェックする役目も、議会は持っているのです。
もちろん、国民の声を政治に反映するのが議会の一番の役割です。
だから憲法審査会はこれまで開かれてこなかったのです。
憲法審査会は、改憲のための議論の場だからです。

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憲法第九条は、憲法の条文である以上国民が自国の政府に守らせるものである。 憲法第九条で国が守れるかと言う設問は、問題の立て方が間違っている。

日本国憲法の「前文」にはこうあります。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」したのでどう具体化するかを定めたのが、第九条です。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
つまり、日本国の政府は「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」している日本国民の意思を具体化するために内政も外交もすることが主権者である国民から求められていると憲法に書かれているわけではないでしょうか。
憲法第九条で国が守れるかじゃなくて、主権者である国民はこれからも憲法第九条を内政や外交の原則として保っていくかどうかみんなで考えようと言うべきなのではないでしょうか。

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心の備えは出来ているだろうか。

新約聖書のマタイによる福音書には有名な「十人の乙女」の例えがあるが、これはイエスの再臨への備えの大切さを説いているとされている。
それは事実だが、心の備え全般の大切さを説く説話と見る事も出来る。

状況を甘く見て心の備えが無いと事態を乗り越えられないと言う例え、と見ればどうだろう。

市民と野党の共闘で政権交代を目指す取り組みは始まったばかりなので、すぐに勝利できると楽観する方が甘い。

政権への批判は強いがそのまま野党への政権交代への期待になっていないのは、これまで野党がまとまれなかったからだ。

本気が疑われている間は、野党の議席は伸びても政権交代には届かない。

市民と野党の共闘で政権交代を目指す取り組みは、日本が初めて体験する市民による市民のための革命だと言える。

多くの市民が自らが主役となって政治を動かす事に参加する、まさに日本史上初の事態を目の当たりにしているのだ。

そう簡単に行くはずがない。

経験から何を学ぶのか、問われている。

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助け合いで乏しさのために困る人達が出ない世界を私は見たい。

なぜ、国家間や地域間で地球規模の問題で足並みがそろいにくいのか。

それは経済活動の目的や目標が利潤追求にあるからで、必要を満たすのが目的や目標の経済活動になれば協調はしやすくなる。

その実現が難しいのは、多大な利益を既得権益としている人達がそれを手放そうとしないからだ。

多大な利益を既得権益と思っている人達は、目先の小さな変化にも神経質になり他人に対して疑心暗鬼になり必要以上に富を貯めようとする。

全ては循環の中にありみんなで協力して乗り越えれば、乏しさのために困る人達は基本的に出ない。

乏しさのために誰も困らないなら、みんなが計画的に消費する。

乏しさのために困る人達が基本的に出ないなら、消費も安定するので生産も計画的にしやすくなる。

計画的生産に消費を合わせるから、おかしくなる。

安定的な消費に合わせれば、自然と生産も計画的になるはずだ。

助け合いが当たり前な世界を、みんなで実行してみんなで実現しよう。

いいもの作ってみんなに喜んでもらいたいとか褒めてもらいたいと思うのは、誰もが思うのではないだろうか。

だから競争は、どんな社会になっても無くならない。

誰も乏しさのために困らないなら、みんながいいものつくりの競争に参加できるようになってもっと面白い世界になる。

私は、それを見たい。

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福島第一原発事故の処理水とはどんなものなのか。世界のメディアは”Radioactive water(放射性の水)と呼んで報道しているが。

中国は原発の処理水を、今回の福島第一原発事故の処理水より出していると言う人がいます。

通常運転されている原発の処理水と、直に放射性物質に触れている事故後の処理水では質が違う事を無視しているのです。

だから、通常の原発の処理水と区別して汚染水と多くの外国メディアが報道するのです。

しかも通常の汚染水と区別するために、世界のメディアは”Radioactive water(放射性の水)と呼んで報道しているのです。

まず、基本的なおさらいをします。

放射線とは、高い運動エネルギーをもって流れる物質粒子(アルファ線、ベータ線、中性子線、陽子線、重イオン線、中間子線など の粒子放射線)と高エネルギーの電磁波(ガンマ線とX線のような電磁放射線)の総称をいいます 。

放射性物質とは放射線を出す物質であり、放射線を出す能力が放射能です。

原発の冷却水は直に放射性物質に触れていないが、放射性物質から出ている放射線にさらされている可能性があるのです。

通常の原発の処理水とは、放射線にさらされた可能性のある冷却水を環境への影響が極めて低い状態にした水です。

だから、原発事故の汚染水と区別が必要だってわけです。

いわゆる放射能汚染とは、放射性物質による汚染を指すのです。

原発事故で直に放射性物質に触れた水は、正確には放射性物質に汚染された水という事になります。

どのような放射性物質が、どれくらいの分量や濃度で残っているかそれが問題になるのです。

汚染水と呼んでいる政党や政治家への敵対心を、維新は剝き出しにしています。

彼らを勝たせたら、日本人は世界からバカにされるだけなのでしょうね。

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G7参加のキリスト教国はなぜに神より核抑止力に頼る? Why do Christian nations participating in the G7 rely on nuclear deterrence rather than God?

サミット参加7カ国は、またしても核抑止力に頼る。

 

The seven countries participating in the summit will once again be dependent on nuclear deterrence.

 

だが、思い出して欲しい。

 

But remember.

 

7カ国のうちの6カ国は、自らをキリスト教国として位置付けているのではないだろうか。

 

Six of the seven countries may position themselves as Christian.

 

ならなぜ、平和のために核抑止力に頼るのだ。

 

So why do we rely on nuclear deterrence to achieve peace?

 

十戒の初めには、「私の他を神としてはならない」とある。

 

The beginning of the Ten Commandments says, "Thou shalt have no other god besides me."

 

そしてイエスは言う。

 

And Jesus says.

 

幼子のように天の御父を思うものが、御父の国に入るのだと。

 

He said that whoever thinks of the Heavenly Father as a little child thinks of its father will enter the Father's kingdom.

 

幼子のようにというのは、自らを無力であり親に頼らなければ何もできないと自覚すると言う意味である。

 

To be like an infant is to realize that without our Heavenly Father we are helpless, unable to do anything.

 

幼子のうちは、何をするにも親を頼るしかないので何かにつけて親に頼る。

 

As young children, they have no other means of doing anything but to rely on their parents, so they rely on their parents for anything.

 

出来る事が増えると、次第に親を頼らなくなる。

 

As they are able to do more, they gradually stop relying on their parents.

 

何でも自分でやれるし、何でも自分でやらなければならないと思い込むようになる。

 

They come to believe that they can do everything themselves and that they must do everything themselves.

 

それが成長する事であり、大人になる事だと思い込むようになる。

 

They come to believe that this is what growing up and becoming an adult is all about.

 

いつまでたっても親を頼るのは、恥ずかしく思い込むようになる。

 

They are ashamed to rely on their parents for any length of time and assume they cannot rely on their parents.

 

そして、他人に頼るのもまた恥ずかしく思い込むようになる。

 

And they also become ashamed to rely on others to help them.

 

だが、イエスは言う。

 

But Jesus says.

 

何歳になっても、自分でできないと感じるなら助けを求めても良いのだと。

 

He said that no matter how old you are, it's okay to ask for help if you feel you can't do it yourself.

 

そして、一番に頼るべきなのは天の御父なのだと。

 

And that it is our Heavenly Father to whom we should turn first.

 

わかっていないとか見えていないとか感じるなら、真っ先に天の御父に頼るべきであると。

 

He said that if we feel we don't understand or can't see, we should turn first to our Heavenly Father.

 

ならなぜ、神に頼らないのか。

 

Then why not turn to God?

 

イエスに自分には何が足りないのか尋ねた金持ちの若者が、財産をすべて貧しい人に与えて私について来なさいと言われたようになるのが怖いのか。

 

Are you afraid that you will be like the rich young man who asked Jesus what he lacked and was told to give all his wealth to the poor and follow me?

 

イエスは言う。

 

Jesus says.

 

人には出来ない事も神には出来る。

 

What man cannot do, God can do.

 

G7参加の欧米の6カ国よ、あなた方はキリスト教国ではないのか。

 

To the six Western countries participating in the G7, are you not Christian nations?

 

平和実現のために真っ先に頼るべきは、天の御父ではないのか。

 

In order to achieve peace, the first person we should turn to is our Heavenly Father.

 

あなた方はキリスト教国と言うなら、核抑止力などと言わないで天の御父にこそ頼るべきではないのか。

 

If we call ourselves a Christian nation, shouldn't we rely on our Heavenly Father instead of nuclear deterrence?

 

教会で説教を聞くだけで、自分では聖書そのものを読まないのだろうか。

 

Do they just listen to sermons in church and not read the Bible itself?

 

どうなのだ。

 

How is it?

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