日本の音楽、どちらかと言うと、ジャズのジャムセッションに近くないでしょうか。
即興の掛け合いで生き生きしてくるさまは、まさに、ジャムセッションです。
ジャムセッションは、奏者の力量と才覚に大きく左右されますね。
十分に練習を積んだ者同士でないと、簡単に空中分解するリスクと常に隣りあわせです。
楽譜の世界に、即興の掛け合いはまさに、命を吹き込んでいくのです。
忠実に再現されるべきは、楽譜ではないです。
忠実に再現されるべきは、楽譜に記された世界なのです。
そしてその世界は、魂の世界との交信であり交流でもあるのですよね。
日本の歌の系譜は、神前に供えるための音楽に端を発する可能性も見てきました。
ジャズはその成立史をみればわかるけど、ソウルミュージックとは密接な繋がりがあるのです。
ソウルは教会の霊歌ゴスペルやリズム&ブルースから派生した、よりポップミュージックに近い歌ものの音楽です。
日本の精神文化も、どこか聖書、特にキリスト教と似通ってることは、これまで何度も取り上げてきたでしょ。
日本人は「歌」に対しては非常に厳格な美意識を持っているのです。
それは、日本の音楽は、言霊の表現形式の一つであるということです。
音が意識を宇宙に連結していく、日本の音楽に対する伝統的な考え方もこの延長線上にあります。
それは心の奥底に根を張っているため、容易に変質しないのです。
日本の伝統的な歌い方をすると気持ちがよいです。
それは、自身の血の中に流れる、古くからの音感と共鳴するからであります。
大陸渡来の楽器で日本の歌をなぞろうとしても、出ない音があります。
普通は、音程変更の容易な歌の方が、楽器の音程に合わせるが、日本の古人は、歌の音の方を大事にしたのです。
日本の音楽の主軸にあるのは「声」なのです。
声を伴わない器楽というのは伝統音楽の全体数から見ると、ごく少数です。
日本伝統音楽で愛用されてきた楽器の多くは、基本的には、器楽ではなく「声の音楽」の系譜に属します。
アカペラで歌われ、ここに大陸渡来の楽器の伴奏が加わっていくわけです。
どうしてこうなるかと言えば、雅楽の成立過程が関係しているのです。
雅楽の中の、ひとつのジャンルに国風歌舞(くにぶりのうたまい)というのがあります。
国風歌舞は、神楽(かぐら)歌、久米(くめ)歌、東遊(あずまあそび) など、古くから日本にある「土着の歌」とでも言うべきものです。
雅楽自体は、中国・インド・ベトナム方面や朝鮮・渤海(ぼっかい)系のものを、日本人の音感に合わせ、日本風にまとめたものです。
日本における外来音楽の最初の記録は、天皇の崩御に際し、新羅から楽人80名がやって来たという453年の記録だといわれます。
雅楽とは、今も保存されている「アジア諸国の古楽」の、いわば音の正倉院のような存在なのですね。
今では、日本の伝統音楽と言っても良い存在になっていますけどね。
雅楽と言えば、東儀氏ですね。
東儀氏は、秦氏から分かれた一族です。
新羅は、古代ローマの文物が多く出土しますね。
そして中国ではローマ帝国、特に東ローマ帝国を大秦国と呼びました。
雅楽と秦氏のかかわりが深く、東儀氏はその中心をなしている。
雅楽の始まりに、大秦と呼ばれた古代ローマ帝国の影響が強かった新羅の楽人が大きく関与している。
なにか、面白いものを感じますね。
ジャズは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部の都市を中心に派生した音楽形式でしょ。
西洋楽器を用いた高度な西洋音楽の技術と理論、およびアフリカ系アメリカ人の独特のリズム感覚と音楽形式とが融合して生まれたと指摘されますね。
西洋音楽とアフリカのリズムの融合。
古代ローマ帝国はヨーロッパとアフリカにまたがっていたから、古代ローマ帝国の音楽もまた、西洋音楽とアフリカのリズムの融合の地であったかも知れないですよ。
新羅経由で、西洋音楽とアフリカのリズムの融合した音楽文化が日本に来ていたのでしょうか。
大秦帝国と秦氏の繋がりを想像するのは楽しいけど、話を戻しましょう。
日本の伝統歌曲が、大陸渡来の楽器で伴奏されるわけだから、当然、音の合わないところが出てきます。
笛系の楽器は、弦楽器のように弦の張り具合を変え、微妙に調子を変えるという融通がきかないため、普通は歌の音程の方を楽器に合わせます。
打楽器も、チューニング出来ますよ。
天然の皮製の場合、下手にやると破けるリスクはありますけどね。
しかし、日本の古人は違っていました。
日本の古人は、絶対に歌の音程を変えようとしないのであります。
その結果、旋律をなぞる楽器の音と声の音が、半音で衝突しながら進行するところが出てきたりします。
歌の旋律線をなぞろうと楽器ががんばるが、楽器が旋律を同じ音でなぞれる部分と、近似値でとどまる部分が出てきます。
大陸渡来の楽器で、歌の音程を出せないところがあるからです。
それでも、日本人は渡来楽器を使い続けました。
楽器は、肉声では出しえない音色で、言霊表現に参加したのです。
歌と半音ずれてしまう楽器に対し「できる範囲でこちらの声についておいで」といった感じで歌が楽器を悠然と先導です。
絶対に歌の音程は、変えないです。
肉声が音楽の柱となり、楽器は言ってみればバックコーラス的立ち位置で歌に合流するわけです。
これが日本の美意識です。
伴奏楽器の発するメロディーラインに対し、半音ずれて歌うというのはとても難しいです。
普通は、歌の方が、楽器の音程の方に引っ張られ、楽器の音程に同化していくのです。
だが、日本の古人は、古くから伝わっている日本古来の歌の音程を絶対に変えようとしなかったのであります。
それができたのは、楽器が伴奏だったからではない、楽器も歌っていたのです。
日本にコーラスがなかったのではないのですね。
声と楽器によるコーラスだったのです。
澄んだ響きが、ところどころ混沌とした響きに濁る部分があります。
こうした部分は、声の音と楽器の音が約半音で衝突しているところです。
楽器の音色の参加で生じた清濁こそ、声楽だけでは出しえない世界です。
濁と清、動と静、混沌と秩序、苦と楽、など世界は相補い相反する事物が混在しています。
楽器は肉声だけでは表現しきれなかった世界の姿を、写し取るための相方として受け入れられたのです。
日本人にとって楽器とは、共に歌う仲間だったのではないでしょうか。
コーラスでパート分けがあるように、日本人は楽器とパート分けして歌ってきました。
水墨画は赤や青の色が混ざろうとも、水墨画です。
墨で描くだけでは、水墨画ではないでしょ。
墨の線だけで描くのは墨絵、ぼかしによる面の表現が加わると水墨画と、区別されています。
赤や青の色は色としてではなく、墨の仲間として参加しています。
墨に五彩ありというけれど、墨だけで出し切れない色として、赤や青は参加してるのですね。
楽器も肉声で出し切れない音色で参加したのです。
楽器も日本音楽では、声として参加しました。
日本に欧米的な意味での器楽が発展しなかったのは、日本の器楽はコーラスの一形態として発展したといえます。
雅楽もまた、器楽にして器楽にあらずです。
雅楽もまた、アカペラコーラスの一種として発展したのです。
日本の器楽は伴奏のようで、伴奏がないです。
日本の音楽では、肉声と楽器の境がないです。
声は声とも楽器ともセッションし、楽器は楽器とも声ともセッションします。
だから、日本の音楽には声の掛け合いだけが存在します。
まさに、声と楽器の渾然一体のセッションこそ、日本音楽の精髄です。
日本人の多くがジャズが好きなのも、むべなるかなです。
ジャズは、誕生の時、欧米の音楽文化にとっては前衛だったのだろうです。
西洋式の正しい歌い方は、まず出だしの音の正確さ、そして音の高さがまっすぐ伸び、音が上下に震えたりしないです。
地声は厳禁です。
だが、ジャズは自由奔放に音が歌い踊り対話し合います。
型にはまった当時の西欧音楽の概念を打ち壊したのです。
これこそ現代だ前衛だと持て囃されたものの多くは、すぐに陳腐化しました。
だが、ジャズは単なる前衛音楽から、欧米の音楽シーンの定番ジャンルの一つに定着しました。
それは、ジャズが欧米には新しかったとしても、長い歴史を持った音楽文化の流れにとっては新展開でしかなかったことによるのです。
日本の伝統芸術が、欧米にとって前衛です。
そう言えば、日本から包装紙として渡った浮世絵が欧州画壇にカルチャーショックを与えました。
日本の伝統音楽も、欧米から見たら衝撃的でカルチャーショックでした。
能が欧米人から見て前衛芸術なのもまた、無理からぬことです。
ジャズは、日本人にとって新参者でありながら素直に受け入れられたのは、底流を共有していたからでしょう。
日本人は、ある音を発声するとき、まず目的音より少し低めの音を発し、そこから徐々にずり上げて目的音に達するという方法をとります。
そして目的音に達すると、今度は音程を微妙に上下に揺り動かすという、いわゆるコブシをきかせ、地声で朗々と歌い上げます。
さらにリズムは伸縮自在でグラグラしています。
これは、どこかジャズのスィングに近いです。
「響き」といった、感性の領域に属するものは、言語や食事文化よりも基層にあるため、他の文化要素と比べて変化しにくいというです。
千年以上も、かたくなに古くからの歌の音感を守り通してきた日本人は、こうした特徴がきわめて強固であるといえます。
その日本の感性が、どこかジャズと響き合うのです。
なにか、興味がそそられますね。
ふと、トランペットと尺八の音色に似てると感じたら、ミュージシャンの中にも、そう感じる人は居るようです。
そういえば、歌口から管尻までの長さはフルートと尺八が約60cm、音の高さもフルートと尺八はほぼ同じと言います。
フルートの音色は、吹き方によってはまるで尺八のようになりますよね。
これも、面白いですね。
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