民俗

声を大にして言いたい!塩とミネラルをもっと見直した方が良い!

2020年から世界は、SARS-CoV-2(新型コロナウイルス)に感染して発症するCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の対策で大変な事態になっています。

無症状感染者からの感染も指摘され、PCR検査の拡充も課題となりました。

薬やワクチンの開発も、求められました。

人間の世界では薬やワクチンなどがあるのですが、野生動物の世界にはもちろんありません。

でも、野生動物だって治癒力や免疫力を維持したり高めたりしないわけにはいきません。

薬草になる植物は、どこにでもあるものではありません。

それにネコ科の肉食動物は、腸を整えるために草を食べることもあるけど基本的には肉が主食です。

ネコも人と暮らしていると、パンやご飯やパスタやトウモロコシや海苔なども食べるようにはなりますけどね。

自然環境では、肉食動物は植物由来の栄養の大半を草食動物経由で摂るのが普通です。

薬草はどこにでもあるわけではないとなると、動物は草食だろうが肉食だろうが食事で薬になる成分を口にするのは至難の業です。

では、どうすればいいのでしょうか。

動物が共通して口にしているのは、空気と水と塩とミネラルなのです。

塩とミネラルは、それが豊富にある土から摂ります。

昔から家畜と共に生きる人たちは、塩の摂取が少ない家畜の腸と皮は破れやすくて使い物にならないと知っていました。

塩とミネラルの効果はてきめんで、荒れている皮や腸も少量摂るだけで短時間で整うのです。

おそらく塩とミネラルで細胞のレベルから、調子が整うのでしょう。

治癒能力を速やかに体から引き出すだけではなく、免疫力も高めるのかもしれません。

免疫力を担っているのも、細胞だからです。

塩とミネラルで気になる情報が、2018年2月10日放送の「世界ふしぎ発見!」でありました。

『チョコレート 世界をHAPPYにするあま~い魔法』がタイトルの回で、主役はチョコレートです。

私が驚いたのは、長寿で生活習慣病知らずのパナマのクナ族です。

クナ族の方たちは、ガン、高血圧、認知症の患者がほとんどなく、また脳卒中、心臓病、糖尿病などにかかる人も極めて低く、尚且つ長寿であることで注目されています。かつてそれは遺伝的なことだと考えられていましたが、近年それはカカオの影響ではないかと言われているのです。バックナンバー|TBSテレビ:日立 世界ふしぎ発見!

この番組では、カカオばかりに注目していました。

無理もありません。

何しろカカオは、腸内をきれいにし便通を改善して肥満防止や大腸がん予防に役立つ食物繊維、活性酸素を除去する抗酸化作用で知られるポリフェノールが豊富なばかりか、カカオのポリフェノールは特にコレステロールの酸化を防いで動脈硬化などの生活習慣病の予防に効果的な上に癌の予防効果やストレスへの抵抗力を高める効果まで注目されているのです。

さらにカカオには、大脳を刺激して集中力や記憶力そして思考力を高めて気力をUPさせるばかりか自律神経を調節する作用もあるテオブロミン、脳にとって最も効率の良い栄養であり脳の神経伝達物質アセチルコリン生成の手助けするブドウ糖、ビタミンEやナイアシンなどのビタミン類や、カルシウム、マグネシウム、亜鉛、リンなどのミネラルも含まれていて特にカルシウムとマグネシウムのバランスが良いのが注目なのです。

なので、この番組ではカカオ大絶賛です。

一方で塩と言えば、体に必要とされながらも取り過ぎに注意しましょうとされ、最近あまり良いイメージがありません。

この番組では、完璧にカカオの引き立て役扱いです。

でも、私は言いたいのです。

結構だらけに見えるチョコレートなのに、大好きな国にも病院はありますよね。

ところがこのパナマのクナ族と来たら、医者に行くのは健康診断の時だけなのです。

健康であることを確認するだけのために医者に行く人々って、すごくありませんか。

パナマのクナ族、摂っている塩の分量は半端じゃないのです。

それでもなお健康なのは、カカオにバランス良く含まれているミネラルのおかげでしょう。

毎日チョコレートドリンクを1リットルも飲めば、どっさりの塩と釣り合うだけのミネラルが摂取出来ているのではないでしょうか。

再度言いますよ。

野生動物には、病院はありません。

その野生動物の健康維持に貢献しているのは、塩とミネラル以外にありますか。

パナマのクナ族の健康に対するカカオの貢献は、確かに大きいでしょう。

でも、陰の主役は塩とミネラルなのではないでしょうか。

新型コロナウイルスで大変な今、パナマのクナ族は要注目な人達です。

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発酵食品をもっと見直した方が良いかも。

科学的根拠を確かめたわけじゃないから憶測でしかないけど、アジア諸国で全体的に新型コロナウイルス感染者が少ない理由として生活習慣の差は大きいと思えるのです

食は体を作るが、アジア諸国の食生活で目立つのはやはり発酵食品ではないでしょうか。

欧米では、地域差はあっても酒を除けばチーズやヨーグルト位のものでしょう。

アジア、特に南アジアは気候的に腐敗との戦いだったはずなのです

腐敗菌は好気性が多いが発酵菌は嫌気性が多いので、腐敗対策をどんなにしても発酵は避けにくかったでしょう。

アジアで発酵食品が多いのは気候風土のせいも大きいだろうが、それが新型コロナウイルス感染者が少ないのと関係あるのでしょうか。

アジア諸国の新型コロナウイルス感染者が少ないのと発酵食品の相関関係は偶然か必然か、どっちにしても感染者が少ないのは確かなので発酵食品を美味しくいただくようにしましょう。

効果があろうがなかろうが、おいしいからどちらでもいいですよね

健康と発酵食品で、思い出しました。

甘酒は江戸時代、夏バテ防止の栄養ドリンクだったらしいのです。

栄養価ももちろんだが、発酵食品のよさは消化吸収が良い事ですよね

江戸っ子は、甘酒をあったかくして飲んでいたと言います。

暑いからと冷やしすぎるのは体に良くないから、これも生活の知恵でしょうか。

美味しくて奥が深い発酵食品、もっと健康との繋がりが研究されると良いですね。

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正にメイドインジャパンな怪獣がゴジラだ。

背中から伝わるメッセージについて思っていると、何故か急にゴジラを考えたくなりました。

ゴジラの背中はそこはかとなく哀愁が漂う、声は恐ろしいはずなのに何故か切なさ悲しさ虚しさやるせなさを感じる、それでいて物凄く力強いのです。

キャラクターとしても、生き物感が満載で、かっこいいのに洗練されないで、むしろ泥臭くさえあるのです。

ゴジラは、国境を越えて愛されるキャラクターでもあります。

人は皆何かしら、乗り越えたい突き破って進みたい、でもなかなか難しいので苦労している課題を抱えているのではないでしょうか。

ゴジラは力強くさまざま障害を突き破って突破していくのに、その背中には哀愁が漂い、声は物悲しいのです。

ゴジラは、怖いはず、恐ろしいはず、なのにいつの間にかその進んでいく姿に共感している人達が多いのかもしれません。

ゴジラは親しまれるあまりに、子供がいる設定にさえもなります。

もしも、ゴジラがふんぞり返り勝ち誇った雄叫びをあげる見た目も洗練されたかっこいいキャラクターだったら、ここまで愛される存在にはなっていないでしょう。

強いのに怖いのに恐ろしいのに、妙に謙虚ささえ感じてしまうゴジラ。

実るほど頭が下がる稲穂かな、ゴジラほどこの諺がピンとくる怪獣もある意味珍しく貴重でさえあります。

ゴジラは日本でなければ、決して生まれない怪獣ではないでしょうか。

やはり不思議な国、日本ですね。

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失敗から学べないなら危機管理を充実させられない。

日本人はしばしば、悪い予想に対して「縁起が悪い」と言います。

これは「言霊」や「噂をすれば影が差す」と言う、昔から言い伝えられてきた考えと関係があるかも知れません。

だからできるだけ良い結果を呼び寄せたいと、悪い予想より良い予想をするのでしょう。

危機管理と言う立場からすれば、まずいのですがね。

しかしそうは言っても、それを改めるのは容易ではありません。

日本人が「縁起」や「ゲン担ぎ」にこだわるのは失敗を恐れるからで、もし失敗したら容易に次の機会を得られなくなるのが日本の常だからです

かつて日本人にとって仕事は自然に対するものが多く、失敗が危険と隣り合わせに成りやすいからかもしれません

一度の失敗で全てが無になるのだから、失敗は恐怖の対象なのです。

ゲン担ぎ(験担ぎ)は、ある物事に対して以前に良い結果が出た行為を繰り返し行うことで吉兆を推し量ることで、縁起担ぎの一種です。

良い結果を招くためのまじないのようなもので、良い結果をどうしても欲しい場合、不安による失敗を防ぐ心理的な効果もあるので一概に迷信と片付けられないのです。

「縁起」とは、一種の因果関係についての考えです。

因果関係を、ありとあらゆる事柄の間に見ようとするのです。

そこで、良い言霊や考えや物や出来事は良い結果を、悪い言霊や考えや物や出来事は悪い結果を、を呼び寄せたり予め告げると考えいわゆる「縁起物」を集めようとすることになるのです。

日本人の世界で本気で危機管理を根付かせるには、失敗してもやり直しが何度でも出来る環境つくりをするしかないでしょう。

より良い危機管理とは、過去から学びながら作り上げるものだからです。
もちろん、「縁起担ぎ」や「ゲン担ぎ」を全く無くすの不可能でしょう。
どんなに綿密な段取りを整えても、不安で失敗をしたら何のために備えてきたかわからなくなりますからね。
落ち着いて冷静に対処してこそ、良い結果を得やすくなるわけですから。
そのための「縁起担ぎ」や「ゲン担ぎ」は、これからも無くならないでしょう。

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この猫どこから?

北部から南西部にかけて九州山地や霧島の山々に囲まれて宮崎県の南西部に位置する小林市は知っていたが、字小林で検索をかけてみて驚いたのです。

字小林は、東北で結構見つかるのです。

山形県や岩手県や青森県など、東北の北三県だけでも驚く程あるのです。

地名辞典で探せばさらにあるかも知れないが、検索をかけて見つかるだけでもこれだけありました。

青森県では、十和田市大字相坂字小林、十和田市大字米田字小林、八戸市大字是川字小林、これはまだ序の口です。

岩手県では、一関市大東町大字渋川字小林、一関市千厩町大字小梨字小林、一関市大字滝沢字小林、奥州市前澤古城字小林、奥州市江刺米里字小林、奥州市丹沢郡衣川村字小林、盛岡市本宮字小林、大船渡市立根町字小林、宮古市田老字小林、興味深いのは奥州市の字小林です。

小林と言う苗字は藤原氏から出たと見られているからで、藤原氏の一族がいかにこれらの地に根付いていたかがわかります。

でも、山形県で思わず吹き出しました。

山形県では、山形市大字神尾字小林、東根市字小林、酒田市最上郡真室川町大字新町字小林、そして、なんと猫沢周辺に字小林がやたらと多いのです。

猫沢、気になる地名です。

小林は藤原氏の出とされるが、その藤原氏は秦氏の出と言われるのです。

秦氏と言えば、養蚕との繋がりはあまりにも有名です。

それに、これら小林の地名があるのは各県とも養蚕関連の信仰としておしらさまが祀られている地域なのです。

そうしてみると元をたどれば秦氏に繋がる可能性が強い小林の地名が、やたらと猫沢周辺にあるのは偶然でしょうか。

養蚕家が猫を飼っていたのは繭などをネズミから守る必要があるからで、猫沢と言われるくらいだから相当いたのでしょうか。

どうにも気になります。

猫絵の殿様などという話が出るくらい、猫を手に入れるのは大変だった時代です。

そんな地名にまでなるほどの猫、どこからどうやって手に入れたのでしょうね。

背後には、かなりの勢力がいたのでしょうか。

そう言えば、これらの市にはたいてい八幡様を祀る神社があったり、中には八幡が町の名前になっている地域があるのです。

八幡と言えば秦氏ゆかりの神社、しかも地域の名前になっている場合さえあるのは秦氏の一族がそれなりの勢力を持っていたわけです。

そして、養蚕関連のおしらさま信仰とくれば、これらの地域もまた秦氏の知られざる拠点の一つだったのでしょうか。

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アメリカ合衆国と社会政策と社会主義と聖書と…。

申命記 15章
7 あなたの神、主が賜わる地で、もしあなたの兄弟で貧しい者がひとりでも、町の内におるならば、その貧しい兄弟にむかって、心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない。
8 必ず彼に手を開いて、その必要とする物を貸し与え、乏しいのを補わなければならない。
アメリカは合衆国大統領が就任の宣誓の際に、聖書の上に手を置いて誓うはずですよね。
ならば、あれこれと屁理屈をこねて自分達の地域や合衆国にいる貧しい人々に無条件で手を広げようとしない人はいても少数派じゃないと、おかしくないでしょうか。
ところが実際には、あれこれと理由を並べ立ててそれを拒む人、アメリカ合衆国に多くないでしょうか。
聖書の神は、「もしあなたの兄弟で貧しい者がひとりでも、町の内におるならば、その貧しい兄弟にむかって、心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない。」と人々に諭しています。

彼らにとってアメリカ合衆国とは、「あなたの神、主が賜わる地」じゃなくて私や私の先祖が選んだ土地だからでしょうか。
自分達の今生きているのは自分達の努力の結果であってそれ以外の何物でもない、だから神は関係ないというのでしょうか。
考えたくはないけれどもしそうならば、アメリカ合衆国の人々の多くはこの聖句を思い出した方が良いでしょう。
イザヤ書 29章
13 主は言われた、「この民は口をもってわたしに近づき、くちびるをもってわたしを敬うけれども、その心はわたしから遠く離れ、彼らのわたしをかしこみ恐れるのは、そらで覚えた人の戒めによるのである。
14 それゆえ、見よ、わたしはこの民に、再び驚くべきわざを行う、それは不思議な驚くべきわざである。彼らのうちの賢い人の知恵は滅び、さとい人の知識は隠される」。
アメリカ合衆国でクリスチャンと名乗る人の多くは、日曜日に教会で聞く聖職者の説教で聖書を学んだ気になっているのでしょう。
様々な出自の人々が共有している数少ない共通点の一つがクリスチャンであることだとすれば、自分達の通っている教会で聞く聖職者の話に少しでも疑問を持つならば、たちまち拠り所となるコミュニティを失いかねないからなのでしょうか。
ここで疑問がわきます。
この教義は聖書の教えの中でも、極めて基本的で大切なものではないでしょうか。
それなのに彼らが拒否反応を示すなら、何かわけがあるはずです。
この教えの実践は、まさに社会政策そのものです。
そして彼らの故郷の地で社会政策は、特権階級の保身としておこなれた性格が強いのです。
彼らは特権階級無き社会を求めて新天地に渡った人達の子孫だとすれば、社会政策の必要性を認める事はすなわち特権階級の存在を前提とした社会に自分達はいると認める事になりはしないかという感情があるのかもしれません。
そして近代民主主義社会で社会政策の充実を誰よりも求めて行動する人々は、社会主義者だったのです。
彼らは特権階級のアメリカ合衆国での存在を否定したいあまり、特権階級の存在を思い起こさせる社会政策に生理的に拒否反応を示すのでしょうか。
若い世代はそのような過去のトラウマより今の自分たちの置かれた状況を解決する方が先なので、社会政策の実行が社会主義なら社会主義は素晴らしいではないかと思うようになったのでしょう。
今後の展開に要注目ですね。

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興福寺の阿修羅像とキリスト教?

私は時折、キリスト教の教えと仏教の類似を面白く思います。
日本に伝わった大乗仏教の成立にキリスト教の影響があるだけではなく、仏教そのもの教えにキリスト教との類似を感じるのです。
それはさておき、興福寺で阿修羅像が収められていた西金堂に込められたメッセージが気になるのです。
興福寺の仏像の配置を知る手掛かりとして、曼荼羅図が残されていると言います。
その曼陀羅図をよく見ると、御仏の真正面で婆羅門の鳴らす金鼓(こんく)は御仏の教えを説く声の象徴だが、それを聞く十大弟子や八部衆は懺悔の表情を浮かべ、向かって左奥の阿修羅に至るのです。
その阿修羅の三つの顔は、十大弟子や八部衆の表情の正に集大成と言えるでしょう。
この阿修羅の三つの表情は、十大弟子や八部衆の懺悔の表情のアルファにしてオメガなのです。
この諸仏の像を作らせた光明皇后は、施薬院や悲田院さらには薬草の湯気で人々を癒す一種のサウナを作ったお方でもあります。
阿修羅は戦いの神とされるが、その阿修羅に人々の内面的な葛藤の表現を演じさせた光明皇后。
イスラムのジハードには、現世の戦いである小ジハードと内面の戦いである大ジハードがあります。
そしてイスラムもまた、聖書による宗派なのです。
ユダヤ教徒やキリスト教徒は、あまりジハードの教えが聖書に込められていると気が付いていないのではないでしょうか。
興福寺の阿修羅の表情の謎は、ジハードを知らない人には戸惑うでしょうが、光明皇后は明らかにジハードの思想を知っていたのかもしれないのです。
光明皇后は聖武天皇の后で、二人には東方キリスト教の影響が指摘されます。
光明皇后がこれら諸仏を西金堂に納めた動機には諸説あるが、まさか聖書の教えへの信仰告白なんてことはないでしょうね。
日本史とキリスト教には意外と繋がりがあるのかもしれない、そんな気になります。

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日本の預言者はどこに。

日本神話では、国生みに携わる二柱の神の名は「イザナギ」「イザナミ」とされます。

この「ナギ」「ナミ」とは、サンスクリット語の蛇を指す「ナーガ」に由来するのではないかとの説を聞いた覚えがあります。

ナーガは神聖視されたコブラを意味し、蛇の下半身に人間の上半身を持った神として崇拝されたそうです。

イザナギとイザナミがもしも人の上半身に蛇の下半身の神だったとすると、面白い連想が出来ます。

コンパスを持つ女媧(ジョカ)と定規を持つ伏羲(フクギ)です。

そしてコンパスと定規こそは、石工のシンボルです。

石工とは単なる工人ではなく、治山治水の担い手でもあります。

イザナギとイザナミとは、治山治水によって国造りの礎を築いた工人集団の長だったのでしょうか。

神仙思想に詳しい腕の立つ石工とは、メーソンを指します。

陰陽では蛇や風など長いものは、声の象徴です。

イザナギとイザナミは、神の声を地上に降ろす役を持つメーソンの長だったのかもしれません。

そうなると気になるのは、随神(カンナガラ)と言う言葉です。

この随(ナガラ)の「ナガ」は、神の御言葉の象徴としての蛇を指すのかもしれません。

随神(カンナガラ)とは神に随うと言う意味ですが、それには神に導かれる必要があるはずです。

そう言えば神社には、しばしば白蛇が神の使いとされています。

この蛇は、神の御言葉の象徴です。

神道は折に触れて、神託を乞います。

この神からの導きのメッセージを常に受け、人々に伝わるのは預言者です。

となれば、日本には預言者が存在するはずです。

だったら、もっと日本は良くなっていてもおかしくないでしょう。

その疑問に応えてくれるイエスの言葉が、聖書に収められています。

マタイによる福音書 23章 37節
ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
エルサレムを日本と言い換えれば、身につまされるのではないでしょうか。
預言者を殺さないまでも、彼らの言葉にどれだけ耳を傾けてきたでしょう。
そもそも預言者を預言者として、認めて受け入れようとしてきたでしょうか。
では、その預言者はどこにいるのでしょう。
わからない時はどうしたらいいのかの答えも、聖書にはあります。
ヤコブの手紙 1章 5節
あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
あなたはどう思いますか。

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七福神と天の大時計?

Seiza面白い本を見つけました。

大修館書店から出ている「星座で読み解く日本神話」です。

別にブックレビューする気は、ありません。

オリオン座からイメージされる形は、S型やX型や*型や砂時計やリボンの形だと著者は言います。

はたと、思いました。

弁財天とも記される弁才天は、琵琶を抱えた姿の他にも八臂弁財天や人頭蛇身の女神だったりします。

弁才天の正体がオリオン座なら、説明が付くのではないでしょうか。

弁才天はまた、宗像三女伸の一人、市杵島姫神と同一視されることも多いのです。

宗像三女神とは、沖津宮に祀られる田心姫神・中津宮に祀られる湍津姫神・辺津宮に祀られる市杵島姫神の事です。

日本から大陸及び古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する玄海灘の神として、大和朝廷によって古くから重視された神々です。

沖ノ島には沖津宮、筑前大島には中津宮、宗像田島には辺津宮、というように海北道中の島々に祀られてきました。

なぜ、宗像三女神は横一列に一か所にまとめて祀られないのでしょう。

航海の安全祈願というだけでは、説明が付きません。

しかし宗像三女神がオリオン座の三ツ星なら、天に縦一列に上がる姿を表したと説明が付きます。

しかも弁才天も宗像三女神も水にまつわる女神だが、オリオン座の近くには天の川があるのです。

弁才天のルーツは古代インドの水の神サラスヴァーティーで、サラスは「水」を意味し、もともとは西北インドにあった大河の名前を指したというからまさに天の川の傍らに位置するオリオン座はうってつけではないでしょうか。

七福神には、弁才天の他にも恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人がいます。

寿老人もまた、見れば寿命が伸びると伝えられるカノープスの化身とされます。

となると、他にも星や星座に繋がる神はいないのでしょうか。

大黒天は、破壊と創造の神であるシヴァの化身マハーカーラの名は、“マハー”とは(もしくは偉大なる)、“カーラ”とはあるいは(暗黒)を意味するところから訳された名前です。

シヴァの特徴としては、額の第三の目、首に巻かれた蛇、三日月の装身具、絡まる髪の毛から流れるガンジス川、武器であるトリシューラ(三又の鉾)、ダマル(太鼓)が挙げられます。

ガンジス川下流域においては勾配が少ないことと3大河川が合流することによる流量の巨大さ、さらに主にブラフマプトラ川によるチベット高原からの膨大な量の土砂の堆積によって流路が安定せず、まさに破壊と創造の神シヴァのモデルに相応しいと言えるでしょう。

となると、大黒天のルーツであるシヴァもまた、オリオン座の化身かもしれません。

毘沙門天は戦闘的な印象だが、インドにおいては財宝神とされ戦闘的イメージはほとんどなかったと言うから意外です。

中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王の一尊たる武神・守護神とされるようになったのです。

帝釈天の配下として、仏の住む世界を支える須弥山の北方、水精埵の天敬城に住み、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち北倶盧洲(ほっくるしゅうを守護すると言う事ですが、水精埵と言う名前が気になります。

まさかまた、オリオン座の化身なんて言うわけではないでしょうね。

福禄寿はもともと福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神です。

中国において明代以降広く民間で信仰され、春節には福・禄・寿を描いた「三星図」を飾る風習があります。

寿星は南極老人星(カノープス)とされ、容貌は時期によって諸説あるが近代以降は禿げた長大な頭に白ひげをたくわえた老人とされることが多く、また厳密にはもともとこの寿星(南極老人)が単独で日本に伝わったのが寿老人なので、これまた星や星座に関係ある神です。

しかし、カノープスは単独の星なはず、まさかまた、オリオン座の三ツ星と関係があるのでしょうか。

同時に見える事はあるけれど、近いような近くないような、距離なのですが。

恵比寿は七福神の中で唯一の日本の神です。

狩衣姿で、右手に釣竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的です。

何やら、またぞろオリオン座ですか見たいな雰囲気が漂うが、何やら様子が変です。

神格化された漁業の神としてのクジラの事だとの声もあるのです。

クジラと言えば、くじら座があるけれどギリシャ神話では、生贄のアンドロメダ姫を食べようとする巨大な海の怪物ケートスとして登場し、メドゥーサを倒した後たまたま通りかかった勇者ペルセウスによってメドゥーサの首を突きつけられ石にされてしまうとされるからどう見てもつながりませんね。

だって、恵比寿は古くから漁業や商いの神として祀られているのですから。

神無月では地元にとどまる留守神ともされています。

恵比寿が釣り人姿なのは事代主神と混同されたのは、大国主神の使者が事代主に天津神からの国譲りの要請を受諾するかを尋ねるために訪れたとき、事代主が釣りをしていたとされることからきています。

また、事代主の父である大国主命が大黒天と習合したことにより、えびすと大黒は親子ともされるようになりました。

またまた、オリオン座つながりなのでしょうか。

布袋は、唐代末から五代時代にかけて明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧、弥勒菩薩の化身と言う伝説まで持っているとされます。

弥勒菩薩は、遠い未来に人々を救うことが約束されている釈迦を継ぐ者と言うから、星や星座とは一見無関係に見えますが、実は星や星座は天の大時計として昔から人々に用いられてきたので全く無関係とはない、のかもしれませんね。

ちなみに七福神は船に乗ります。

船の星座もあったのですよ。

あまりの大きさに、りゅうこつ座、ほ座、とも座の3つに分割されたアルゴ座です。

その名称はギリシャ神話に登場する船、アルゴーにちなんでいます。

寿老人はカノープスの化身とされるが、カノープスはりゅうこつ座のα星の事です。

七福神が乗っているのは、天空を航海しているアルゴーなのでしょうか。

どう思いますか。

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徐福は一体何しに日本へ来たのか。

卑弥呼の国である邪馬台国は”yamatai”と一般に呼ばれるが、当時の日本語は二重母音であり発音は曖昧だったのです。

旧仮名遣いを読むと感じるのは、ワ行母音の方が発音しやすいと言う事実です。

卑弥呼の時代には、日本語の発音はワ行母音であったと考えられるのです。

邪馬台国は”yamatou"と発音されていたはずで、中国人は自分の言いやすいように”yamatai"と言い換えた可能性があるのです。

”yamatou"、すなわち”ヤマトウ”はヘブル語で「ヤハウェの民」を意味している言葉です。

ここで興味深いのは日本には古代中東の遺伝子があるばかりか、アイヌの生活文物が古代イスラエルの物に似ていて、沖縄の文化も聖書似ていて、更には、古事記や日本書紀の神代七代についても聖書の天地創造の七日を連想できると指摘される事です。

その日本に、ヘブル語で「ヤハウェの民」を意味する「ヤマトウ国」があるのです。

しかも卑弥呼は鬼道の使い手とされるが、卑弥呼の時代とは中国では神武天皇になったという説の出ている徐福が日本に来た頃と重なります。

徐福は方士、今日でいうところの陰陽の使い手なのです。

卑弥呼の鬼道とは隠れた力を呪術によって使いこなす術とみていいので、実質的に陰陽と言っても差し支えないのです。

徐福は卑弥呼の背後で、鬼道を指導している可能性があるのです。

ところが陰陽とは、ユダヤ教神秘主義のカッバーラとそっくりなのです。

となると、徐福は大勢の人を引き連れてヤハウェの民の国であるヤマトウに亡命したカッバーラの使い手となるでしょう。

民俗学者吉野裕子は日本の民俗は陰陽で読み解けると、指摘しています。

徐福はヤハウェの民の国ヤマトウに、カッバーラを持ち込んだのでしょうか。

それとも、ヤハウェの民の国ヤマトウにはすでにカッバーラがあると知ったうえで、徐福は亡命したのでしょうか。

日本の神社の原型は山を御神体とするもので古代エジプトのピラミッドコンプレックスとそっくりだと、エジプト学者吉村作治は言います。

狛犬の正体はスフィンクスだとも、吉村作治は断言しているのです。

日本の神話の構造も、太陽神を頂点とし動物を含む神々が三神をなす点が古代エジプトと共通なのです。

徐福は一体日本で何をしようとしたのか、興味がそそられますね。

追記

徐福と卑弥呼についてはこんな記事も書いていました。

卑弥呼の鬼道を考える。 

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