民俗

ケチャップと醤油、イタリアと日本の味な繋がり。

以前NHKの「ためしてガッテン」で、ケチャップでだしをとると和食が美味しいといってましたね。

 ケチャップに、そんな使い方があるとは!

 トマトで味付けといったら、真っ先に思い浮かぶのはイタリアンでしょ。

日本と、イタリア、ここでも繋がるってことですかねえ。

番組では、ケチャップを濃縮めんつゆにたとえていましたよ。

 トマトケチャップは、1本につきおよそ14個分ものトマトが凝縮されているって、すごいですね。

 でも、分量が見当付かない。

 入れ過ぎたら、ケチャップ味になるもの。

だったら、少しずつ入れて味見してみたらどうです。

大きさは、梅干の中でも小さい、小梅くらいが目安でしょうね。
後は好みで調節、大きくても甲州小梅くらいが良いかも。

 甲州小梅は、小梅の中で種が一番小さく、果肉の厚い品種でしょ。

ええ。
それより大きいと、ケチャップ味の方が強くなりそうなので試してないです。

 私に試せと?

いえいえ。

 だしをとると美味しい料理なら、どんな和食メニューでも合うというのは驚きでしたね。

なんと、あらゆる和食にぴったりの極上だしといってましたからね。

ケチャップの何でも味を乗っ取ってしまう濃さに、万能調味料の可能性に気がつけなかったってことでしょうね。

味が濃いと言う割りに、使うときにはたっぷり使っていた調味料でもあるし。

 だしといえば、昆布とか煮干で手間隙かけてとる印象がありますよ。

 分量さえつかめば、ケチャップ一本で済むってうれし過ぎます。

 でも、昆布や煮干、美味しいから、あれはあれで食べよ…。
 
トマトのうまみ成分「グルタミン酸」がトマトケチャップには、ぎゅっと凝縮されているのですって。

 同じうまみのもとグルタミン酸があるなら、確かに代用できますね。

グルタミン酸(glutamic acidあるいはglutamate)は、アミノ酸のひとつで、2-アミノグルタル酸とも呼ばれる2-アミノペンタン二酸のことです。
 
 蛋白質構成アミノ酸のひとつで、非必須アミノ酸でしょ。 

小麦グルテンの加水分解物から初めて発見されたので、この名がついています。
英語に準じ、グルタメートと呼ぶこともありますね。

 酸性極性側鎖アミノ酸に分類され、Glu あるいは E の略号で、表されるのでしょ。

 調味料で、馴染み深いですね。

動物の体内では神経伝達物質としても、機能してますよね。
グルタミン酸受容体を介して神経伝達が行われる、興奮性の神経伝達物質です。

 科学者の池田菊苗が、「甘味、酸味、塩味、苦味」に収まりきらない第五の味として「旨味」を見つけた。

世界どこでも“UMAMI”で通用する、日本が生んだ言葉ですね。

 それが、昆布だしを参考にして見つけ出したグルタミン酸などの旨味物質ですよね。

味噌や魚醤の旨味の正体でも、ありますね。

 そういえば、昆布だけでなく鰹節などの魚節もグルタミン酸が多いって聞いたことがあります。
 鰹節などの魚節の旨味は、イノシン酸とばかり思ってたけど。

グルタミン酸は、ハムやチーズの旨味にも関係してますね。

旨味物質としては、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸、キサンチル酸などがあります。
その他にも、有機酸であるコハク酸やその塩類などが知られますね。

 魚醤っていえば、チーズなどをつくるときに出るホエーと比較しましたよね。

チーズと鰹節も、比べたでしょ。

 醤油の旨味は、アミノ酸のほか、グルタミン酸やアスパラギン酸でしょ。

 あ、そういえば、ケチャップには塩や砂糖、お酢も加えられている。

醤油は、塩味 辛味、旨味、酸味、甘味が複雑に絡み合って、バランスの取れた複雑な味を醸し出しますねえ。

 ケチャップって、西洋の醤油みたい。

 最近、ヨーロッパで万能調味料として醤油が注目されているとか。

 醤油は、当然のようにイギリスで使われていましたねえ。
 
旨味に、グルタミン酸は深く関わっていますねえ。
 
 ケチャップと醤油、イタリアと日本って味な繋がりがあるね。

 イタリアのアンチョビは、日本の塩辛に似ているし・・・。

そうですねえ。

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相撲をすかすと、どこが見える?

財団法人日本相撲協会は、文部科学省所管の特例財団法人です。
大相撲の興行、相撲競技の指導や普及、相撲に関する伝統文化の保持のために1925年に設立されました。

寄附行為第3条(目的)では、このように定められています。
「この法人は、わが国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨し、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を経営し、もって相撲道の維持発展と国民 の心身の向上に寄与することを目的とする。」

 寄附行為とは、財団法人日本相撲協会寄附行為ですね。

 財団法人日本相撲協会の、綱領や規約にあたる文章でしょ。

さらに、相撲は神事として伝えられてきた歴史も持っています。
さまざまな所作にも、宗教的な意味を持たされてきたのです。

塩を撒くのは、清めです。

 塩が清めであると一目でわかるのは、外国人ではユダヤ人くらいだそうですねえ。

 塩で清めるのは、ユダヤ教と神道の共通する習慣だそうですね。

四股を踏む所作も、怨霊対策の儀礼と言う意味づけがあります。
四股は、陰陽師が行ってきた怨霊除けの所作である禹歩(うほ)が、起源と言います。

手刀も元々、相手に掌を開いてみせることで、自分が武器を持っていないと表しつつ、自分が通ろうとしている道をも示すと言う意味を持っていたとされます。
腰を低めにすることや言葉を言い添えるのも、謙虚さの体現とみられています。
手刀を、結界を切ることで清めをする所作とみることも、祇園祭などから可能かもしれません。

 手刀を、懸賞金を差し出された力士は右手で切りますね。

左、右、真ん中の順番です。

 キリスト教の十字切りは、真ん中、左、右の順でしょ。
 正教会は、真ん中、右、左の順でちょっと違う。

 手刀はちょっと見た目は違うけど、十字切りに似てますねえ。

 順序だって、多少違ったって許容範囲では?

相撲の手刀には勝利の神様に御礼をするという意味があります。

御礼をする神々とは、次の三神です。

左は、神産巣日神(かみむすびのかみ)。
右は、高御産巣日神(たかむすびのかみ)。
真ん中は、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。

 キリスト教は、御父、御子、聖霊の三神でしょ。

 三神に勝利を祈ったり感謝したりするのは、共通ですねえ。

 しかも十字切りのような所作まである。

三役揃い踏みも、興味深いですね。

 大相撲における番付上の三役とは、大関・関脇・小結のことをいいますね。

横綱は、当初、横綱免許を持つ大関に対する名誉称号に過ぎなかったのです。

横綱は、当初は大関の中で横綱を付けられる者のことを呼んでいたのです。
このことから、横綱になることを「綱を張る」と表現します。

今では、横綱は免許を受けたものがなります。

番付では、大関が最高位です。
現在なら当然横綱に値するような成績を残しながら、横綱免許を受けなかった強豪大関も少なくありません。

 横綱空位もありえるのは、今でも横綱は名誉称号であって地位ではないからと見ることもできますね。

できるでしょうね。

三役揃い踏みは、これより三役、すなわち最後の3番の前に行われる儀式です。

これより三役とは、あくまで最後の3番の取組に出る力士を指すため、横綱も含まれます。

上位陣の人数や取組編成によっては、大関・関脇・小結でも三役揃い踏みに出られない場合があります。
その一方で、平幕力士でも三役揃い踏みに出ることもあります。

休場者が出て不戦勝が生じる場合には、取組の順番を変更して必ず各3人を揃えて三役揃い踏みができるようにします。

 三役揃い踏みでは、東方力士、西方力士、ともに正面とされる北を向いて四股を踏むのですよね。

東方は前に2人、後ろに1人。
西方は前に1人、後ろに2人。

ちょうど東西で、扇の形が逆になるように取り決められているのです。

 扇は奥義に通じますね。

陰陽では、北は天に配されます。

天に向かって、陽に配される東には陰に配される下向きの三角、陰に配される西には陽に配される上向きの三角、とも見えますよね。

四方に配される四神を表す四色の房とともに、陰陽を表すのでしょうね。

 三役もまた、三神を表すとも見えますね。

そうでしょうね。

 三役揃い踏みの形には、イスラエルのシンボルである六芒星だと言う声もあるようですね。

 清めの塩などと合わせ、日ユ同祖論の論拠にあげる人もいるでしょ。

 ヤコブが神の使いとの相撲に勝って、イスラエルの名を与えられた。

 その六芒星が、国技の行われる土俵に現れるのですよ。

しかも、屋根と俵による蛇の目と土俵は、ピラミッドアイを連想できると言うのでしょ。

 さらにいえば、地に配される南と天に配される北が形作る線と東西の力士の線が交わる、といえませんか。

 俵による蛇の目の丸の中に、十字が切られる形でしょ。

 手刀だって、十字切りにも見える。

 丸と十字を合わせれば、古代エジプトのアンク十字ですよ。

それをいったら、蛇の目と徳俵でケルト十字のほうがもっともらしいでしょ。

日本にはブリテン風の顔がいると、幕末に紹介されています。
ストーンサークルだって、ありますよ。

緑茶と紅茶、武士道と騎士道、妖怪と妖精、などの面白い文化の類似も見えます。

 そういえば、緑茶も紅茶もお茶菓子があるでしょ。
 あれ、おいしいですねえ。

そっちが気になりますか。

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與論と世論と?

輿とは 二本の轅(ながえ)に乗せて何かを運ぶ物を指します。

多くの場合、担ぎ手より立場の高い存在が二本の轅に乗せて運ばれる事を指して使われます。

時代が下るにつれて、乗ることのできる人の身分は段々下がっていったのです。

しかし、もともとは地面に付いてはいけないとされる存在が二本の轅によって運ばれたのです。

 それで、身分の高い人や、神像、移動神社である神輿などが、輿で運ばれたわけね。

そうなるでしょうね。

 あと、棺桶を乗せるのにも使いますね。

棺桶は魂の世界に行った存在を、乗せるからなのかも。

 つまり、魂の世界、霊的な世界に存在しているか、存在しているとされる、立場にあれば輿で運ばれるわけね。

日本でいえば、平安時代には、天皇・皇后・斎宮などに限られ、鳳輦(ほうれん)・葱花輦(そうかれん)や腰輿(たごし)などが主なものだったのです。

 四方輿(しほうごし)・網代輿(あじろごし)・板輿(いたごし)などの種類もあるでしょ。

平安後期以後、使用者の範囲も広がり、種類も増えたからかも。

  轅を肩に担ぐ輦(れん)と、腰の辺りにささげ持つ手輿(たごし)に大別されるね。

玉の輿って、よく言うでしょ。

  貴人(あてびと)の乗る、美しい立派な輿でしょ。
 
  貴人とは、身分・家格などが高く貴い人、上品な人、貴族などでしょ。

女性が婚姻によって手にする富貴な身分も、玉の輿と言うでしょ。

 この玉(たま)とは、玉(ぎょく)の意味でしょ。

この玉(ぎょく)は、美しい石とか、翡翠(ひすい)・碧玉(へきぎょく)などの硬玉・軟玉の総称です。

そこから転じて、とてもすばらしい存在や、高貴な存在などをたたえる言葉にもなってます。

 だから、女性が、高い身分の人や多くの財産を所有する人の妻になることを「玉の輿に乗る」と言うわけね。

 たいていは身分の低い女性が、身分の高い男性に嫁ぐ場合に使いますよね。

いまでは、自分より資産のある人に嫁ぐ場合に、使ってますよね。

 それで、何が言いたいの。

輿論(よろん)と世論(せろん)の違いですよ。

 「よろん」の「よ」に、今では輿(こし)と世(よ)の両方の字を当ててますねえ。

 だから「よろん」と言っても、輿論(よろん)か世論(せろん)か、わからない。

じゃあ、なんで輿論(よろん)と世論(せろん)の二つの言葉があるのかです。

輿論(よろん)はPublic Opinionの、世論(せろん)はpopular sentimentsの、それぞれの訳語として用いられたのですよ。

 Public Opinionは「公論」とも、訳せますねえ。
 むしろ、「公論」のほうが良かったのではないの。

 そして、popular sentimentsは「世情」と訳したほうが適切かもね。
 「世情」には、世の中の事情やありさまとか、世間一般の人の考え、俗人の考えという意味があるでしょ。 

ところが「公論」だと、公平で偏らない議論とか正論という意味のほかに、世間一般の人々の意見の意味もあるのです。

 本当だ。
 
 世間一般の人々の意見という意味では、「公論」と「世情」の区別がない。

そこで、輿論(よろん)と世論(せろん)の二つの言葉を採用したのかも。

 輿論(よろん)とは、高い視点からの意見。

 世論(せろん)とは、民の視点からの意見。

 そういうことかしら。

高い視点からの、つまり公的な立場からの、意見を輿論(よろん)と言う。

民の視点からの、つまり民間の立場からの、意見を世論(せろん)と言う。

だから、輿論(よろん)と世論(せろん)の二つの言葉が必要だったのかも。

 輿論(よろん)は、輿に乗った人の意見だったわけねえ。

 なるほど、明治は天皇と臣下の時代だった。
 輿の上から、天皇陛下がおっしゃったとされた言葉が輿論(よろん)だったりして。

 それで、世間の臣下が言ってる議論で世論(せろん)だったりして。

 案外、そんなつもりで訳語を選んだとか。

そうみても、面白いですねえ。

輿論と世論が混同される原因は、公の側にもあったようです。

例えば、こんな例があります。

昭和二〇年一二月一九日付けでだされた、「憲法改正に関する輿論調査報告」などの「輿論調査」です。

憲法改正に関する「輿論調査」結果はこうです。

○憲法改正を必要とするや否や
             要       不要     無関心乃至無回答
財界           三一      八         二
労働者          三〇     三          八
俸給生活者       四〇     一          ―
中小商工業者      三三     四          四
地主           二六      一二        三
自作農          二八     五          八
小作農          二八      五         八
計            二一六     三八       三三

○現行改正手続を可とするや否や(括弧内は民定憲法を主張するもの)
             可         不可
財界          二〇        一一        (四)
労働者          八        一九       (一四)
俸給生活者      一九        二〇       (一五)
中小商工業者    一七         一四        (七)
地主          一六         七          (四)
自作農         一四         九         (五)
小作農          七        一六        (一三)
計          一〇一        九六        (六二)

これなどは、今の感覚で言えば「世論調査」と呼んだほうが合うでしょうね。

「世論」ではなく「輿論」なのは、公の立場、あるいはそれに準ずる立場からの調査と言う意識があったのかも。

 なるほど!!!!

 ただ、輿論は建前、世論は本音、という見方もできますね。

そこから「声なき声」にこそ、世論の実態があるという声も後がたたないですよね。

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神社に鳥はいるか。

神輿は、英語で"portable Shinto shrine(携帯神道寺院)"と説明されます。

 wikiのフランス語版では"shintoïstes une châsse portable(神道の移動聖地)"とか、" palanquin divin(神の駕籠)"とか、説明してますけど。

ところで、神輿の上に鳳凰と呼ばれる神聖な鳥が乗ってますよね。

 鳳凰(Fènghuáng)の鳳は雄、凰は雌を指し、羽ある生物の王であるとされますね。

 孔雀に似ている中国の伝説の鳥でしょ。
 霊泉を飲み、竹の実を食物とし、梧桐の木にしか止まらないという。

 背丈が4~5尺、前は麟、後は鹿、頸は蛇、背は亀、頷は燕、嘴は鶏だとされますね。
 五色絢爛な色彩で、声は五音を発するとされる。
 
聖天子の出現を待ってこの世に現れるといわれる、瑞獣の一つですね。
鳥なので瑞鳥といわれるけど、『礼記』では麒麟・霊亀・応龍とともに「四霊」と総称されています。

 古くは風を司るとされたでしょ。
 後には五行説の流行により、四神のひとつ朱雀と同一視されるでしょ。
 
四神は、東の青竜・南の朱雀・西の白虎・北の玄武で、五行説では中央に黄竜を加えます。
 
 漢代の緯書には、陰陽では南が火に配当されるので鳳凰を火精としているものがあるでしょ。
 ちなみに北は水、東は木、西は金にそれぞれ配当されますよね。

 今度は何が気になるの。

神輿が、移動神道寺院とか、神道の移動聖地とか、説明されるとしたら神職に当たる存在があってもおかしくないのです。

 神社のミニチュアが神輿としたら、そうですねえ。

そこで気になるのは、神道の神職が裾に房のついた衣を着ていることです。

 そういえば、ユダヤ教の神職も裾に房のついた衣を着ているでしょ。

民数記第15章37節から41節に、こうあります。

15章37節 主はモーセに言われた。

15章38節 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。代々にわたって、衣服の四隅に房を縫い付け、その房に青いひもを付けさせなさい。

15章39節 それはあなたたちの房となり、あなたたちがそれを見るとき、主のすべての命令を思い起こして守り、あなたたちが自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。

15章40節 あなたたちは、わたしのすべての命令を思い起こして守り、あなたたちの神に属する聖なる者となりなさい。

15章41節 わたしは、あなたたちの神となるために、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。わたしはあなたたちの神、主である。

 神職の裾に房のついた衣を着ているのが、共通。
 日ユ同祖論では、口実の一つにもなってますよね。

なんで、房がついていると思いますか。

 さあ。

鳥を意識している可能性は、ないでしょうか。

 そういえば、鳥をあしらった衣装で行われる祭りは意外とありますね。

神社にも鳥居が、ありますよね。

 元は、二本の柱を立てただけでしょ。

もしも、天と地をつなぐ存在が柱に象徴されたならどうです。

 鳥も、天と地を行き来しますね。

 天使も翼を持った姿で表されるけど、聖書を見ると翼はないですよ。

翼は天使の象徴のように扱われるのは、飛ぶからだけではないと思えないですか。

 天と地を結ぶ存在としての天使が、鳥に見立てられたので翼を持った姿で表されたのでしょうか。

神道では、神主も巫女も、衣の裾に房がありますよね。

 これは、天と地を結ぶ存在としての鳥を意識しているのでしょうか。

鳥居といいながら、神社の中に鳥は、いるでしょうか。

 住み着いている鳥はいても、意識して飼われている鳥はいませんね。

 神道で鳥といえば、八咫烏(yatagarasu)ぐらいしか思いつきません。
 単なる烏ではなく、太陽の化身と考えられる存在でしょ。

 最高神とされる太陽神の場所である神社だけど、旗印として八咫烏を描くのは熊野の神社くらい…。

 そうなると、神社にいる鳥は、神職ですか。

伊勢神宮では祭主を最上位にして、その下に大宮司、小宮司、禰宜、権禰宜、宮掌と続きます。
比較的大きな神社では、宮司、権宮司、禰宜、権禰宜の四者か、宮司、禰宜、権禰宜の三者となります。
小規模な神社では、宮司もしくは禰宜だけの場合も多数あるようです。

なお、「舞女、巫女」は、意外かもしれないけど、正式には神職ではないです。

 そういえば、アルバイトでやっている巫女の話題みたことありますね。

 神主とか、禰宜で、アルバイトは聞いたことない。

ただ、彼らの衣装には裾に房をつける共通点はあります。

神職や巫女が、鳥に見立てられている可能性はあります。

 神と人、天と地を繋ぐ存在としての鳥ですか。

 そういえば、神職や巫女は袖が長い衣装を意識して身につけていますね。

 神社は、鳥に見立てられた神職や巫女のいる場所なんでしょうか。
 それを示す印として、鳥居を立てるのでしょうかね。

そうかも。

 エジプトの神殿に立っていたオベリスク、古代イスラエルの神殿に立っていたヤキンとポアズ、神社の鳥居。

 これ皆、神職が鳥に見立てられていたことの証かしら。

それぞれの宗教で、鳥は結構重要な位置を占めているのです。

古代エジプトのホルス、聖書では聖霊の象徴、という具合ですね。

 となると、神輿の鳳凰は神職と巫女の代わりに乗ってる。

そう見ても面白いですね。

 じゃ、神輿が連想できるアークにも翼のあるケルビムが向かい合ってるでしょ。

 あれも、神職と関係ありますかね。

考えてみるのも、面白いですね。

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くさやとカマンベール?

ある人は、くさやの印象は、チーズ和えした干物と言っていますね。

 別の人は、くさや汁に数日つけておくと、まるで肉がまるでカマンベールチーズの様な柔らかさだったと感想を述べてますね。

 臭いチーズは、ちょっとニガテなのですよ。

 以前、冒険して山羊の乳のチーズを買って、家で開けたときのニオイといったら…。

 食べてみたら大丈夫なのかもって、口に放り込んだら、そのままゴミ箱にダッシュしちゃった。

 くさやはまだ未体験だけど、怖いモノ見たさで挑戦してみたいかも。

ようは、くさやの干物とチーズは風味が意外と似ているわけですね。

 くさやの干物、においにさえなれてしまえば確かに味は良いですよね。

 問題は、あのにおいですよ。

 あのにおいさえ、なんとかなればねえ。

風味が強いくさやを、におい抜きで味わいたいと言うのは無理かも。

 チーズのにおいを凝縮した感じが、くさやのにおいなのかしら。

そうかも、知れないですね。

 チーズ大好きなんですけれど、くさやはちょっと・・・っていうかとっても・・・苦手です。

 でもチーズと似てるって思えば、食べられるかも。

でも、チーズの風味で干物を味わうだけならやり方はあります。

 どうするのですか。

干物はたいてい、焼くでしょ。

チーズと焼けば、良いわけですね。

チーズと焼いた干物は、けっこう美味しいというのでレシピもいろいろ出てます。

試してみてくださいな。

 ある人は、ウォッシュチーズ(Washed Cheese)と似ていると思ったそうね。

ウォッシュチーズは、外皮を、塩水やマール、ワインやブランデーなどさまざまな液体で洗いながら熟成させるチーズなのですね。
ちなみにマール(marc)とは、ワインの醸造にもちいた葡萄の搾りかすを再発酵させ蒸留した酒です。

ウォッシュチーズは、チーズの表面についている菌で、熟成させているわけですね。

 だから、ウォッシュタイプと言うのね。

実際は、さまざまな液体を定期的に吹き付けられて熟成するチーズなので、浸しながら洗うのではないですけど。

ウォッシュチーズは、中は非常にマイルドなチーズなのです。
匂いが強いものが多いため、通向きのチーズと言えるかも。

 くさやって、塩で漬けるのでしたよね。

 イカの塩辛も塩でつけるけど、くさやほどにおいましたかねえ。

でも、塩で発酵させたにおう食品という共通点はありますよね。

 魚とチーズといえば、なれ鮨でゴルゴンゾーラチーズに味がそっくりって話もありましたね。

あのお、鰹節のときにもチーズに似てるって話をしてるのですけど。

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神と誓いとしかりと否と。

マタイによる福音書5章37節の、有名な言葉知っているでしょ。

 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。
 それ以上に出ることは、悪から来るのである。

この言葉は、こういう文脈の一節です。

 マタイによる福音書の全文を、言うの。
 まさか、ねえ。

さっきの言葉の、直前からですよ。

5章33節 また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

5章34節 しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。

5章35節 また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。

5章36節 また自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。

5章37節 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

つまり、神の前では出来ると自信もっていえることは「しかり、しかり」と応えなさいという意味かも。

 承知いたしましたと、言うわけね。

一方で、神の前では出来ると自信もっていえないことは「否、否」と応えなさいという意味かも。

 わたしには出来ません、と言うわけね。

実際には、神はその人の実践や理解の能力を超えて、するべきことを求めたりはなさらないかも。

 そうねえ。

 ヤコブのように勝負を挑まれたら、わたしなんか絶対負ける。

その前に、勝負しろなどと神は仰らないのではないでしょうか。

私だって、もし言われたら神に勘弁して欲しいと命乞いしますよ。

 その前に、勝負しろなどと神は仰いませんよ。

そうですねえ。

 「わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。」

 誓えという言葉には、「否、否」と応えなさいとイエスはおっしゃるのかしら。

マタイによる福音書5章33節と34説には、こうあるです。

昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。

 つまり、こう言いたいの。

 どうせ誓ったって、神の御心に忠実であろうと無理をしたって、完璧に出来ない。
 すべての言葉と行いを神の御言葉に沿うように出来るくらいなら、とっくの昔に神の下で働いているはず。

 それが出来ないから、少しでも出来るように人となって修行しているのだから。

ええ、この世のすべては神のものであるから、それを自分のものであるかのように扱って誓うなど越権行為以外の何者でもないですね。

また、出来もしなければその気も無いことをかけて誓うのは、まさに神を欺く反逆行為以外の何者でもないですね。

 旧約にも、神に誓おうとするあまりに最愛の我が子を捧げ物に差し出すと言って、後悔する男の話があるね。

 まさに、出来もしなければその気も無いことをかけて、誓ってしまった。

そうですね。

子どもは親を神に背いた者としないため、親の誓いどおりに捧げ物に我が身を差し出す。

 改めて悔やんだときは、もう手遅れ…。

誓うと言うことは、程度の差はあってもこういうことになりやすいでしょうね。

 人に対しても、誓うなと。

出来もしなければその気も無いことをかけて誓うのは、まさにその人を欺く反逆行為以外の何者でもないでしょうね。

 約束という名の契約はしても、誓いはするなと。

実際、旧約も新約もコーランも、神との契約について語っていても、神との誓いについて語ってはいないはずですよ。

 「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。」

 神と交わすことに対して、契約には「しかり」、誓いには「否」と言えとイエスは仰るのかしら。

そうかも。

 でも、あなたは神ではないから、あなたとの契約なら「否」があっても良い?

しかり、ですねえ。

 あなたとの契約にも、「しかり」と言えと?

私となら、「しかり」も「否」も、あるに決まってるでしょ。
私は、神や仏ではないですよ。

 今回の話し、わかったかと言う問いに、「否」と言っても良いのね。

しかり、ですねえ。

クリスチャンでは無いから、なにそれって感じでしょうか。

 誓う、ってこと自体、奢りなのかしら。

誓うことで負う責任の重さを軽々しく考えてはいけないという、戒めでもあるかも。

一番失いたくないものをかけるのでないと、誓えないのでしょうかね。

 それに見合う相手と場合でなければ、馬鹿らしい。

かといって、神はすべてを持っておられるので、神にとっては右から左へ移るだけ程度のことで。

 つまり、誓うのは馬鹿馬鹿しいからやらないで良いのかな。

神は、逆らう者は最後の審判で退ければ良いし、意にかなう者は報いてやりたい、と思っておられるのでしょうかねえ。

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魚と醤油とイタリアと日本?

魚醤(ぎょしょう)は、魚醤油(うおしょうゆ)とも呼ばれるのです。
 
 魚類または他の魚介類を、主な原料にした液体状の調味料よね。

熟成すると、特有の香りまたは臭気を持つ、黄褐色から赤褐色、暗褐色の液体です。

魚醤は、魚を塩と共に漬け込み、自己消化、好気性細菌の働きで発酵させたものから出た液体成分です。
この自己消化は、魚の内臓や肉に含まれている酵素でタンパク質などを分解する過程です。

 濃厚なうま味が、あるのよね。

魚の動物性タンパク質が分解されてできたアミノ酸と、魚肉に含まれる核酸を豊富に含むためです。
料理に塩味を加えるとともに、うま味を加える働きが強く、ミネラル、ビタミンも含んでいるのです。

 アジア、特に東南アジアの沿岸部を中心に、日本、中国などで使っているのよね。

イタリアなどヨーロッパの文化圏でも、用いられているのですよ。

 日本や中国等アジアは、発酵食品が昔から発達していたでしょ。
 それは、高温多湿な気候に関係していると思っていたけれど…。

特にタイを始めとする東南アジアでは、塩を除けば、ほぼ唯一の塩味の調味料で、非常に多くの料理に用いられるのです。

 秋田の魚醤であるしょっつるも、いろいろな料理に使っているそうね。

古代ローマでは、ガルムという魚醤を万能調味料として使っていたそうですよ。
サバやイワシが、原料だったのですって。

 肉にも、ですか。

もちろんです。

イタリアにはいまでも、愛用されているコラトゥーラ・ディ・アリーチという魚醤があるというのです。
コラトゥーラ・ディ・アリーチは、日本のしょっつると同じくイワシを原料にした魚醤です。

 しょっつるにはハタハタを使ったのも、あるって聞きましたよ。

あるでしょうね。
イワシやハタハタのほか、コウナゴも使うというのです。

 ようは、その土地でよく獲れる魚介類が原料なわけね。

 そういえば、大分にもアユの魚醤があるの。

コラトゥーラ・ディ・アリーチは、パスタなどのイタリアンはもちろん、しょっつるなど日本の魚醤に近いので日本の料理にもよく合うのです。

 コクのある風味は、日本人にとってもどこか懐かしさを感じさせますね。

魚醤を用いている文化圏の中には、日本などなれずしを作る伝統を残している地域もあるのです。

 イタリアでは、なれずしは聞かないね。

日本のなれずしをよく熟成させると、ゴルゴンゾーラチーズに味がそっくりなんだそうです。

ゴルゴンゾーラ(Gorgonzola)は、ロンバルディア州とピエモンテ州をまたがる地域で生産されているイタリアの代表的なチーズの一つです。
フランスのロックフォール(Roquefort)、イギリスのスティルトン(Stilton)と共に世界三大ブルーチーズに挙げられているのです。

ゴルゴンゾーラは、大きく二種類に別けられるのです。
イタリア語で辛いという意味の名前のピカンテ(piccante)は、青カビが多く辛味の強いものです。
イタリア語で穏やかという意味の名前のドルチェ(dolce)は、クリーミーでほんのりとミルクの甘味の残っているものです。

 ピカンテは、そのまま食べることもあるでしょ。

ええ。

でも、リゾットに入れたり、ゴルゴンゾーラソースを作ってパスタにかけるなど料理に使われることが多いそうですよ。

試しになれずしを、フランスやイタリアのチーズ業者にチーズみたいなカットにして食べさせた人がいるのですって。

フランスやイタリアのチーズ業者は、「おお、これはいいうまいチーズだ」と言ったらしいです。

チーズを作るときできる乳清(にゅうせい)は乳漿(にゅうしょう)とも言い、牛乳などの乳から乳脂肪分やカゼインなどを除いた水溶液です。
英語では、ホエイまたはホエー(whey)と呼ばれるのです。

乳清は、チーズを作る際に固形物と分離された副産物として大量に作られるのです。
また、ヨーグルトを静かに放置しておくと上部に液体が溜まる事があるが、これが乳清です。

イタリアなどでは、乳清からさらにチーズを作る事もあるのです。
乳清から作られたチーズはホエーチーズと呼ばれ、リコッタなどがその種類に属するのです。

 でも、チーズ生産過程で作られた乳清の大半は、廃棄されているのでしょ。

高蛋白・低脂肪で栄養価が高い点、消化が速くタンパク質合成・インスリン分泌を促進する点などから、優れた食品であるとの認識が高まってきているのです。
従来大量に廃棄されていたものであり、流通さえ整えば安価に提供できる点も注目されているのです。

 細かいところを除けば、魚醤って乳清にでき方が似てますね。

醤油自体の製法を、乳清と比べるのも面白いかも。
 
 魚醤を乳清と比べて見るという視点、すごく面白いですね。

最近では乳清は、粉状(ホエイパウダー)に加工しプロテインサプリメント等の原材料として用いられるのです。
生クリームなどの代替として料理に用い、カロリーを大幅に抑えるなどの用途もあるのです。

 ほかにも、イタリアと似た食感の食べ物って東日本にあるでしょ。

 関東とローマでは、ウナギの焼き方の好みは、たれも含めて似てる。

稲庭うどんの食感も、柔らかいようでいて腰があるところはパスタに近いです。

 蕎麦も、材料の違いを除けばうどんと食感の好みって似てませんか。

 麺の文化と、パスタの文化、比べるともっと興味深いことは出てきそうね。

今回は、魚醤を考えてきたのですけど。

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イエスと試しと黒暗天?

イエスは、悪魔に試されますね。

 旧約でこれに当たるのは、何かしら。

ヤコブの天使との相撲や、アブラハムとイサクの試し、でしょうかね。

 イエスを試したのは、悪魔でしょ。
 ヤコブとイサクとアブラハムを試したのは、神でしょ。

 ぜんぜん、違うでしょう。

そういう突っ込みは、承知の上です。

 アブラハムとイサクの場合、よほど神もアブラハムに対して信頼してないとできない。

普通の人なら、「我が子をいけにえに」なんて言われた段階で「悪魔だ」と思うのでしょうね。

 ヤコブの天使との相撲、普通の人だったら死んでしまうでしょ。

 だって、天使の軍団には屈強な兵士でさえ、かなわない。

試しとしての天使との相撲、ヤコブが死なないという確信がなかったら神は天使にさせないでしょうかね。

 それは、ヤコブに神の力が加担したということかしら。

生きるも死ぬも、神の御心しだいとヤコブは開き直ったから、天使の相撲から逃げなかったのでしょうかね。

 普通なら、挑まれた時点で逃げるか許しを請うでしょ。

神は自分を信頼する者ほど、凄まじい試練を与えるのでしょうかね。

 うーん、こう考えると信仰したいような、したくないような。

イエスの悪魔による試し。

旧約にもっと、ぴったりくる話があります。

 アダムとイブの、善悪を知る木の実と蛇…でしょうか。

 不死の体を手放して、死なねばならない体を手に入れる決断は、相当しんどいよ。

二人はよく、決心しましたよね。

 キリストは、最後のアダムになられたということかしら。

 生命の樹であられるキリストが、十字架にかかってくださった。

生命の樹とは、聖書の教えの奥義とされるものですね。

 ええ。
 それがどういうものであるか示して下さったので、生命の樹であられるキリストといったのですけど。

 私達の身代わりになって、死んでくださいました。

 ハレルヤ!
 キリストの御血で洗い清めて罪の赦しを得て、死から命へと移された事を感謝します。

イエスの十字架を、贖罪とみればそうなるかも。

 十字架もまた、御父のイエスに対する試し…。

復活できると御父を信頼しているか、イエスが試されたのだとしたら。

 御父を信頼したからこそ、贖罪の死という大役をイエスは引き受けてくださったと。

 あなたの御名が高く高く崇められます様に、アーメン。

救いとは、試しを受け入れてこそ与えられるのでしょうかね。

 黒暗天を受け入れると、吉祥天は福の神の仕事をしてくれるのと、聖書ってそっくりね。

黒暗天も吉祥天も、元はインドの神ですね。

 つながっていそうね。

そうですね。

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能とイタリア?

コメデア・デ・ラルテ(Commedia dell'Arte)は、コミカルだったりシリアスだったりするイタリア古典仮面劇です。

 コメデア(Commedia)とは、日本では喜劇とうけとられているけど、ヨーロッパ文化では演劇そのものと見られているのでしょ。
 ラルテ(ll'Arte)とは、芸術だし。

 つまりコメデア・デ・ラルテは、演劇芸術と訳せる。

ラルテ(ll'Arte)には、技術の意味もあります。
そこでコメデア・デ・ラルテは、技巧的演芸とも訳せますよね。

 結局コメデア・デ・ラルテのまま、使った方が複数の意味をこめられますね。

即興で演じられること、仮面を使うこと、これを除けばアルルカンという道化がいるところなど日本の狂言と雰囲気が似ています。

 むしろ、能に似てるのでは。

 能は、狂言や式三番とともに、日本の舞台芸術の一種である「能楽」の一分野ね

 現在の能楽に相当する言葉として、江戸時代以前には猿楽が用いられていたようですけど。

たしかに、能には即興芸術としての側面が指摘されますね。

八世観世銕之丞は、2000年に暮しの手帖社からだした『ようこそ能の世界へ』でこういってるそうですね。
能は本来、全て即興で演じられるものであり、出演者同士がお互いのことを解りすぎていることは、能においてはデメリットになると。

玄人による能は、入念なリハーサルを行わないそうです。
一度きりの公演であるという点も、独特です。

 本来、何日も同じ演目を連続公演しないと。

祭事の奉納などが、演じられる場所だったからでしょうね。

 通常の演劇では、事前にリハーサルを重ねるでしょ。
 場合によっては、ゲネプロという形で全て本番と同じ舞台・衣装を用いますね。

能では事前に出演者が勢揃いするのを、「申し合わせ」といいます。
「申し合わせ」は原則一回で、しかも、面や装束は使用しない。

 なんだか、ジャズのセッションみたいな…。

 能には一応、ちゃんと型とかはあって守らないといけないかもしれないけど。

能は、鎌倉時代後期から室町時代初期に完成を見たとされます。

 能の起源について、正確なことはわかってはいないそうね。

7世紀頃に中国大陸より日本に伝わった日本最古の舞台芸能である伎楽であるとか、奈良時代に大陸より伝わった散楽であるなどとされます。

 散楽ははじめのころ、雅楽と共に朝廷に保護されていたのでしょ。

 時代が下ると民衆の間に広まり、それまでにあった古来の芸能と結びついていった。
 物まねなどを中心とした、滑稽な笑いの芸・寸劇に発展していった。
 それらはやがて猿楽と呼ばれるようになり、現在一般的に知られる能の原型がつくられていった。

このあたりは、コメデア・デ・ラルテに通じるところがありそうですね。

 一方、平安時代中期頃より、神道的宗教行事が起源の田楽や、仏教の寺院で行われた延年などの芸能も興っていきました。
 これらの演者は元々農民や僧侶だったが、平安末期頃から専門的に演じる職業集団も成立していった。

行事と結び付いて発展した、田楽や延年から、あまり全員揃った通し稽古をしないとか、一度きりの公演とかいった特徴を引き継いだと見えます。

 このあたりも、コメデア・デ・ラルテに通じるところがありそうね。

イタリアの劇だからって、調子よくあわせないでくださいね。
どこが、通じるのでしょ。

 そういえば、古代ローマにも仮面演劇がありましたね。
 同じ仮面劇のコメデア・デ・ラルテは、その流れを汲んで生まれたのかな。

 日本も、古代ローマと繋がりそうないろいろな文化とか、ありそうだし。
 コメデア・デ・ラルテに似た演劇が古代日本に、あってもおかしくないのかしら。
 
 伎楽や散楽なんかが重なって、能楽の祖先となったさまざまな芸能が生まれたのかな。

そんな想像も、したくなりますね。

 イタリア人に、似た人って日本にけっこういるよね。

パスタと饂飩、ピザとお好み焼き、リゾットとお粥、文化もイタリアと日本似てますよね。

 米と、温泉と、背骨のような山脈と、温暖な気候と、風土もイタリアと日本って似てますね。

 半島と列島とか…。

やっぱり、なにかあるかも。
イタリアと日本。

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料理の意外。

普段食べてる物で、これって案外どっかの国の食べ物に近いかもって、あると思いませんか。

 今回は、どこと比べるの?

焼きそばって、麺とソースを絡める料理ですよ。

 え?
 
 炒めるのじゃ、ない。

焦げ目は、麺を炒めたから付いてるのではないのですよ。

 ソースが焦げてる。

ソースだって、焦がすと苦いでしょ。

 ソースだって、焦げない方が良いの。

それは、多少香ばしい方が美味しいかも。

 それみろ。

カップ麺で、焼きそばできるでしょ。

 案外、インスタントのわりに美味しいですねえ。

あれ、焼きそばが炒め料理だったらできないと思わないですか。

 お湯を注いで戻した麺を湯切りして、ソースを絡めて完成ですよねえ。

これ、何か連想しないですか。

 パスタ?!

茹でた麺を湯切りして、ソースを絡めて完成。

 そっくりですねえ。

群馬県の大田に、パスタを使って作った焼きそばをだしてるイタリアンの店があるのですって。
イタリアやフランス料理のソースを参考に、焼きそばソース工夫したそうです。

 人気良いの。

好評ですって。

お客のリクエスト、だって言いますよ。

大田のあたり、焼きそば好きが多いのですって。

佐野のあたりも、ソース味好きなそうです。

 でも、オカカカツをだす店も、あるって。

オカカのカツ、ですか。

 トンカツの衣が、おかか。
 つまり、削り節を衣に揚げたトンカツ。

 醤油で食べるとか。

 そこのオリジナルだそうで。
 
鰹節をチーズに近いと見たこと、ありました。
チーズと肉も、相性良いですよ。

 そういえば、江戸とローマってウナギの焼き方の好み似てましたね。

たれの好みも似ていれば、巻き舌なところまで、江戸とローマは似てる。

 そう、ですねえ。

関東も、一歩入るとヨーロッパが見えるようですね。

 麺料理のルーツと伝播、変化をたどってみると面白いことがどんどんわかってきそうね。

ちょっと話はそれますが。

 どこへ?

中華麺を炒め具と混ぜた日本の焼きそばに一番近い料理は、福建料理の炒麺だそうです。

 あれ?
 ヨーロッパとの比較じゃないの。

福建料理の流れを汲む台湾料理には、日本人のイメージする焼きそばが多く存在するといいます。

 日本の文化って…。
 ここでも、また中国の登場ですね。

福建と言うのは日本と中国を語る場合、よくでる名前ですね。

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