民俗

神社の境内はだてに広くなかった。

古くからの神社は、たいていその地域で最も安定的な地盤に建てられています。
 
つまりその境内は、災害時の一時避難場所として最適だったはずなのです。
 

本来の広さの境内が保たれていたら、一体どれだけの人達の避難場所になったでしょうね。

借り受けて避難場所や公園の維持管理費として、最低限の費用で確保されていたらとため息が出るのです。
 
神社の祭りや日々の参拝は、ある意味日常的な避難場所への避難経路の確認にもなっていたはずです。
 
災害時人々は我先に神社に集ってご加護を求めて祈った事でしょう。
 
それは結果として、災害時の避難行動にもなっていたはずです。
 
神のご加護やご利益の多くは、経験的知識の応用や活用の演出だったのです。
 
つまり、神社の信徒獲得と引き留めに活用や応用されていた経験的知識は、神がいたから非科学的に見えてきただけと言えます。
 
古くからの神社の境内はだてに広かったのではないです。
 
神社は災害時の避難施設として多くの命を救ってきたのです。
 
人々はそれを神のご加護として心から感謝し、その広さの維持を認めてきたのです。
 
今の避難場所確保の苦労は、避難場所としての神社の価値を軽く見てきたつけを払っていると言えなくもない気がするのです。
 
今のご時世、あれだけの土地をあれだけの安全性の高い場所に再び確保するのは不可能に近いでしょう。
 
当時の人々がそのことに気が付けていなかったことは、今思えば実にもったいないのです。

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山岳信仰から見えてくる日本と古代イスラエルの繋がり。

山岳信仰で思うのです。
まず滝は、天と地を繋ぐ光の道にも準えられたのかもしれないのです。
陰陽では水は天を白は霊会をそれぞれ象徴します。
更に白は清さや光の象徴です。
滝に打たれるとは、水と清めの白と霊的な光による世俗の罪状払拭祈願なのでしょう。
神に合うには、絶対的な清さが求められるからです。

山の典型的な形の三角は、陰陽では人を表します。
緑に覆われた山が多いが、緑は常若の象徴なので緑の山は常若の神を表します。
稜線は天からの光の象徴です。
霊的な光に包まれた神に合うには、霊的な光で清められた人でなければならない。
だからこそ、霊峰とされた山は軽々しく登ってはならなかったのです。

光に守られて光に包まれた神に会いに行くのです。
これは、神に認められたモーセが光に守られて神に会いに行く聖書の記述に似ています。
更に、地上に現れた常若の光の神は、地上に来臨した永遠の神の幼子イエスに通じます。
やはり神道は、聖書の教えに似ています。
似ているのは神社と古代イスラエルの神殿もです。

山岳信仰の山伏は装束も鳴らす笛も、ユダヤ人と似ています。
神社は建物ばかりか、神職の衣装も祈りに使うものもユダヤ教とそっくりです。
その日本に、古代中東の遺伝子があり、ユダヤと共通の文化や単語が数多く残るのです。
家族性地中海熱も、日本とユダヤに共通な遺伝病です。
ユダヤ人渡来なんてもんじゃないようです。

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東京スカイツリーは東京に立つ巨人なのか。

東京スカイツリーは、日光東照宮からの龍脈と鹿島神宮と皇居〔江戸城〕を結ぶ正に接点に立っています。
 
スカイツリーは三角から丸へと絞り込みされています。
つまり上から丸・三角とくるが、陰陽では天‣人・地は丸三角四角で表わされます。
スカイツリーは天‣人・地のシンボルが東京の結界にあるのです。
 
しかも、東京スカイツリーには五重塔に習って心柱があるのです。
スカイツリーが天と地の間に立つ人とすれば、心柱は背骨にあたると言う事です。
 
日光東照宮の標高634mは東京スカイツリーの高さでもあるのです。
日光東照宮から東京に向かう龍脈の上に立つ東京スカイツリーが、東照宮と高さでも繋がるのです。
 
そして東京スカイツリーは鹿島神宮と皇居を結ぶ線上にあるのです。
その形は台地も含めると正に天人地を表す丸三角四角になるのです。
 
これは偶然なのでしょうか。
 
日光東照宮と鹿島神宮と皇居が作る三角、東照宮からの龍脈と鹿島神宮と皇居を結ぶ線が交わる点に東照宮の標高と同じ高さのスカイツリーが、天人地を表す丸三角四のシンボルとして立つのです。
これは象徴的には、実質的にスカイツリーの上に東照宮があるのと同じです。
日光東照宮の真上の太陽は、象徴的には東京スカイツリーの真上の太陽と見て良いのです。
 
言って見れば、東京スカイツリーは太陽の下に立つ巨人が、日光東照宮からの龍脈と鹿島神宮と皇居を結ぶ線の交点の上にいるのと、象徴としては同じなのです。
 
オカルト過ぎるでしょ。
東京スカイツリーどうなっているのですか。
 
日光東照宮の標高634mは、東京スカイツリーの高さでもあるのです。
 
日光東照宮から東京に向かう龍脈の上に立つ東京スカイツリーが東照宮と高さでも繋がります。
 
そして東京スカイツリーは鹿島神宮と皇居を結ぶ線上にあります。
 
その形は、台地も含めると正に陰陽では天人地を表す丸三角四角になるのです。
これは偶然なのでしょうか。
 
鹿島神宮と皇居を結ぶ線の延長線上に、富士山がそびえるのです。
 
鹿島神宮・東京スカイツリー・皇居・富士山のラインが、日光東照宮からの龍脈と交わるのです。
鹿島神宮・東京スカイツリー・皇居・富士山のラインは、太陽の道なのです。
日光東照宮の本殿も、真上に太陽が来る日があるのです。
 
その交点に東照宮の標高と同じ高さのスカイツリーが、天人地を表す丸三角四角のシンボルとして立つのです。
出来過ぎでしょ。

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猿田彦は塩の神様だったのでしょうか。

天孫降臨で、天照大御神が地上に遣わした人物の名ニニギノミコトも日本語としては意味をなさない名前だが、ニニギノミコトを案内した猿田彦も同じように日本語としては意味をなさない名前ではないでしょうか。

 

しかも、猿田彦は猿田彦神社の祭神とされるが、神社に伝わる猿田彦の顔は日本人としては異様なまでに鼻が高いのです。

 

日本語は時代を遡ると二重母音になるが、旧仮名遣いをみるとワ行母音に近かったと思われます。

 

そうなると、サルタヒコのサルタはソルトに近くなりはしないかと想像しました。

 

伊勢志摩は思った通り、塩の産地なようです。

 

時代をどこまでさかのぼれるのか、興味がそそられます。

 

猿田彦と塩の繋がりについて検索をかけたら、面白い情報が出ました。

 

日南海岸の野島神社の塩筒大神(塩槌翁)と猿田彦(白髭大明神)の複合が肥後にも、見えると言うのです。

 

猿田彦を祭る神社の名前に、塩の付くものが結構あるのです。

 

塩釜神社、塩浜神社、塩屋神社、中之塩屋大神宮、など思った通りサルタ彦はソルト彦の転化である可能性が見えてきたのです。

 

猿田彦崇拝は、九州から伊勢志摩に製塩技術と共にもたらされたのかもしれません。

 

そう言えば熊野神社は、九州にもあります。

 

熊野と猿田彦と塩で調べていくと、何か面白いことが見えてくるかもしれません。

 

さらに、猿田彦の異様に高い鼻と、サルタがソルトの転化である可能性をみると、案内されたニニギノミコトも西方出身者であると考える方が自然でしょう。

 

ニニギは、一体何の転化である可能性がある名前なのでしょう。

 

どうも気になります。

 

何とかして、情報を集めてみたいものです。

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長時間労働を見直さないと子供たちの知能に悪影響があるかも。

この頃、子供たちのご飯離れが進んでいるといいます。
 
味がしないという理由が多いそうだが、噛む回数が半減していることが主な原因とされます。
 
だが、背景には家族団らんの時間が欧米の50%以上あるのに対し、日本は2割を切っていることがあると指摘されます
だとしたら、両親がご飯を味わってよく噛んでいる姿を見せるべきでしょう。
 
家族団らんの時間が少ない上に父親不在の食卓が当たり前となってないでしょうか。
それじゃ、てんてこ舞いな母親が、ご飯をよく噛んで美味しそうな顔で食べる姿を子供たちに見せることは絶望的に難しいのではないですか。
 
ご飯職を本気で守ろうと言うなら、今のうちに長時間労働を改めて父親も参加した家族団らんの食卓を復活させた方が良いでしょう。
ただし、食卓の支度や片付けを母親だけにしわ寄せするのではなく父親も参加した家族のイベントとして定着させる取り組みも必要でしょう。
今時の父親であれば、家族との触れ合いの時間として喜んで加わる人は多いかもしれません。
 
多少の手際の悪さを大目に見て回数を重ねれば、家族の一体感だって深めると思うのです。
 
よく噛むことは、知能の発達にも良い事はよく知られています。
 
子供たちの噛む回数の半減の背景に、父親不在な上に十分な時間が取れない個食化した食生活があるとしたら、日本の長時間労働は長い目で見れば子供たちの知能の発達にまで悪影響を及ぼす悪弊になっていると言う事ではないですか。
 
もっと危機感を持って欲しいのです。
 
日本で好まれているパンは、欧米に比べて柔らかすぎます。
ヨーロッパのパンは、フランスパンのようにもっと噛み応えのあるものが結構あるのです。
本場フランスのフランスパンは日本のものよりも歯ごたえがしっかりしているし、肉だってそうです。
 
噛む回数が減っていると言う事は、日本の知能の発達の危機でもあるはずです。
 
さらには、個食の増加を含めた家族団らんの時間の減少も、子供たちの知能に対する刺激を偏らせる事につながりかねない危険性をはらんでいるのです。
 
噛む回数の減少と重ねると、子供たちの知能に良いわけがないでしょう。
 
忙しいなんて言ってる場合じゃないですよ。
危機的状況になってからじゃ、遅いのです。
たかが食生活、されど食生活なのですから。
 
食べるという行為を、甘く見ちゃいけないです。
 
十分な睡眠と並んで、心と体づくりの基本中の基本なのです。

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神とどう付き合いますか。

日本は、先例様・前例様・慣例様が絶対三神として祀られている感じが半端じゃなくするのです。

日本の持っている知識・技術・ノウハウが、なんで世界をリードできる可能性やポテンシャルを持ちながらグローバルスタンダードを取れないのでしょうか。

 

日本の先例様・前例様・慣例様の絶対三神への絶対的な服従に近い思考と行動のパターンが、妨げになっている感じが半端じゃなくするのです。

多くの日本人がこの先例様・前例様・慣例様の三例絶対神崇拝にとらわれていると十分に気付いているとは言い難い程に、日本人の思考と行動パターンに染み込んでいるようです。

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神崇拝は自然の脅威からは守ってくれたかもしれないが、今は違うのです。

ここに気が付けないと危ないでしょう。

 

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神に従うなと言うのではないです。

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神からの学びを、知識としてではなく知恵として身につけて活用出来るかどうか問われているのです。

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神の知識を知恵として生かせるだけの成長が、出来ているかが問われるのです。

 

安全神話と言う言葉を聞くたびに、違うだろと言う感じを強くします。

安全は私たちを守ってくれないのです。

安全は結果であって、原因ではないからです。

これがあるからここまでは安全とは言えるが、人のすることに絶対はない以上、人の手に頼る限り絶対安全はあり得ないのです。

絶対安全は神だけが保証できるのです。

 

言い換えれば、安全神話とは無力な偶像を崇拝する愚かな選択と言うことになります。

人の手によって確保される安全の限界を自覚し、それを超えた時自分の身をどう守るのか守れるのか、考える発想が日本人には求められています。

限界を超えた事態を想定外にしない発想が、求められているのです。

 

神には、二通りあります。

生れながらの神と、祀り上げられた神です。

祀り上げた神が存在するのは、生れながらの神が存在するからです。

生れながらの才能の人がいるから、努力して近づく人がいます。

生れながらの美があるから、努力して表現される美があります。

同じように、はるか太古から存在する神がいるのです

 

生れながらの神は、しばしば祀り上げた神になります。

だが、祀り上げた神が全て生れながらの神ではないのです。

ここを混同すると、神を見失うことになります。

太古からの神は決して廃れることはないのです。

廃れるのは、祀り上げたに過ぎない神であり偶像に過ぎなかった神もどきです。

ここを見誤ってはいけないのです。

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「猫じゃ踊り」幻影。

実は猫じゃ猫じゃには、影があるのです。 

 

「猫じゃ踊り」は江戸時代に猫の二本足で「じゃれ立つ」仕種から考えられるようになった、「猫踊り」伝説に関連し作られた小唄と思われています。

 

「猫じゃ踊り」は、どういった場で歌われたかです。

昭和初期まで「見世物小屋」でよく猫じゃ踊りは行われていました。

 

こういういきさつを知っている人は、あまり神様云々とは関係無いようだと、疑われた人もいたのではないでしょうか。

 

私も以前は同じように考えていました。

 

猫には人っぽい仕種やポーズもいっぱいあって、猫好きから喜ばれています。

 

猫のじゃれる仕種や、寝相には踊って見えるものも多いのは確かです。

実際には猫を特訓し、三味線の音色に合わせて二本足で踊っていました。

 

特訓の方法ですか。

残酷すぎて、私は話すのをためらいますが、踊りとの関係で、触れないわけにはいきません。

鉄板の上に猫を乗せ、その鉄板を熱するのです。

 

猫をどういう状態で乗せるかは、二説あります。

一つは、そのまま乗せて、跳ねださせる。

もう一つは、後足だけ保護して立ち上がらせる。

 

どちらの場合も、跳ねだしたり、立ち上がりだしたら、間髪入れずに三味線を弾く。何度も繰り返すと三味線に合わせて、猫が踊りだしたように見える。

 

いくら見世物とは言っても、これは酷過ぎます。

いまやる人が出ないのも、うなづけます。

とは言いましても、この猫踊りの仕種がその後の日本舞踊史に、大きく影を落としている可能性は見逃せません。

 

それに、尾の短い猫がいる理由は、娯楽用演芸だけでは説明しきれません。

流行り廃りもあるのが娯楽です。

それから、猫の尾は猫岳の伝承に由来する物で、誕生後すぐ切断される習慣があつたといいます。

これを九州での猫の尾が短い理由と言う人もあるようです。

 

けれども、日本以外にもお曲がり猫のような尻尾の短い猫がいるのが説明できますか。

 

それに「猫踊り」伝説の背景って、何でしょう。

人工的にいくら尻尾を切り続けても、尻尾が短くならないのは、鼠の実験で証明されています。

交配以外には定着する事はないです。

猫が自分から尻尾を短くする事はありません。

 

短い猫、曲がった猫が誰かに何らかの目的で、あつめられたとしか言いようがないです。

そこで仮説を立てて見たわけです。

 

神職と禰子の関係と、太陽神を巡るエジプト神話との類似性の濃い伝承の存在なども不思議です。

 

猫修行の俗説、謎に満ちた秘密の修行の場と猫や、根子の地名との繋がりがあります。

 

猫岳を巡っては、興味深い話も、いろいろありそうですし。

猫はこもったり、瞑想したりするので修行してると思われてきました。

 

だけれども、猫が行者の真似をするでしょうか。

ここで発想を転換すると、どうでしょう。

行者が猫の物真似をしたのだと。

 

だって、猫は太陽神の化身なのです。

しかも、物真似は猿の得意芸でもあります。

猿は太陽神の熱心な崇拝者と、古代エジプトではされていたのです。

日本でも、太陽神アマテラスの子孫神武天皇を猿田彦が案内しましたよね。 

 

「猫の修行」の伝承で、猫はこもったり瞑想するという話題を取り上げました。

 

実際は猫が死の直前に姿を消す習性と、なわばり内の猫たちが「猫の集会」と呼ばれる社会を形成している様子から想像されたものだそうです。

それから、謎に満ちた秘密のと申しましたが、修行の内容が謎という事です。

 

修行の場はかなり具体的に九州では「阿蘇の麓猫岳」と語られてきました。

 

一種の猫のコミニティが形成されているという伝承についていえば、パブテスマを連想する話もあったりしました。

 

太陽神とのつながりを見ても、「猫岳」にはちょっとみつかりません。

 

むしろ「夜」に関連する話ばかりです。

 

夜といえば猫は、太陽神の眼となって夜道を行くのでした。

 

月がやたら出てきた時の事を、思い出します。

 

雌猫は月の女神でもあります。

月は陰陽では陰に配されます。

男性が陽に配されるのに対して、女性は陰に配されます。

イエスはマリアによって受胎するまでは、霊の姿でヤハウエとして、再臨の時を待たれておられると解釈できるでしょう。

イエスは義の太陽神に擬せられるが、受胎を待つヤハウェは月に擬せられるのか考えると面白いけど深入りしません。

 

天照大御神の岩戸隠れと、イエスの葬り、ともに岩で蓋をされた横穴であり二人の男性によってその岩がどけられ最初に女性に出会うのは偶然でしょうか。

しかも、イエスの死の時も暗闇がやって来ているのです。

 

猫がイエスのメタファーとされる文化があることを思えば、興味ひかれることではあります。

 

和風諡号に"ねこ"がつく天皇は何名かおられるのも、その一つです。

その一部をあげます。

 

漢風諡号は孝霊天皇、和風諡号は大日本根子彦太尊または大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)天皇。

生没年 孝安天皇51(?)~孝霊天皇76(?)

 

漢風諡号は孝元天皇、和風諡号は大日本根子彦国牽尊または大倭根子彦国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)天皇。

生没年 孝霊天皇18(?)~孝元天皇57(?)

 

漢風諡号は元明天皇、和風諡号は日本根子天津御代豊国成姫(やまとねこあまつみしろとよくになりひめ)天皇。

生没年 齊明天皇7(661)~養老4年(721)

 

漢風諡号は元正天皇、和風諡号は日本根子高瑞日清足姫天皇(やまとねこたかみずひきよたらしひめのすめらみこと)天皇。

生没年 天武天皇9(680)~天平20(748)

 

天皇も太陽神アマテラスの祭司、それも最高祭司でいらっしゃいます。

そして祭司有資格者は、禰子つまり"ねこ"であり"根子"です。

実は、大日本根子は天皇陛下の尊称であるそうです。

 

そして、ここから猫=根子が、天皇の隠語となるのです。

 

踊りは元々神々との交信や交流でありました。

 

猫踊り伝説の背景は「猫の生態」だけで充分で、様々な伝承が付加する事はいろいろあっても、それは個別に解釈しないと混乱すると言う声もあるでしょう。

 

けれども猫に関係ある、いろいろな資料を調べているうちに湧き上ってきた疑問を整理したら、こういう仮説が出来上がってきただけの事です。

 

猫の踊り、一筋縄ではいかぬ謎が山盛りなのかもしれません。

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エジプトの音楽を想像してみました。

「古代エジプトの音楽」という本を読んでいます。

 

古代エジプトの様々な楽器は、残っています。

 

だが、これらの楽器によって奏でられた音楽については、どのようなものであったかを伝える資料はないといいます。

 

ならば、これらの楽器そのものを手掛かりにするしかないでしょう。

 

ハープ、シンバル、トランペット、リュート、リラ、などの他にも、タンバリンや太鼓などが用いられたことがわかっています。

 

音楽の場には、手拍子もあるし、ボディパーカッションを連想できる壁画もあります。

 

大勢の人が列をなして踊る姿も、描かれています。

 

古代エジプト特有の楽器として、シストルムもあります。

他にも、シンバルを鳴らす道具と組み合わせたクロタラのような楽器もありました。

 

これらの楽器や、手拍子、列をなして踊る人々、さらには、ボディパーカッションもあった可能性を考えると、少なくともどのような拍子をとるのが一番自然かが、見えてきます。

 

強弱の入れ子になってる、拍子です。 

前半が強く、後半が弱く、その前半と後半にも、それぞれ強弱があるのです。 

強さの順で言うと、強い順に4・2・3・1っていう感じでしょう。

実際に手拍子を打った方が、わかりやすいですよ。 

  

 Ton!ta!ton!ta Ton!ta!ton!ta (大文字小文字に強弱を対応させて手拍子)


実はこれ、ロマ音楽の拍子の取り方なのです。

 

ロマには様々な呼び方があるが、それらを見ると彼らがエジプトから出た民族である可能性が見えてきます。

ロマは、音楽の他、実は金属加工の技能者集団でもあります。

一見すると、何も関係がなさそうです。

 

だが、もしロマが古代エジプトの演奏者集団にルーツを持つ人たちと見たらどうでしょう。

シンバルやシストルムのような、繊細な加工が必要な金属製楽器のメンテナンスを彼らは自らの手でしていたとしたらどうでしょう。

演奏者は、修繕や制作のような特別な技能者の手を借りる必要のあること以外、日常的な手入れを大抵は自らの手でしています。
シンバルやシストルムの最終的な仕上げは、演奏者自らの手でしていたかも知れません。
簡単な修繕くらいなら、自分でしたことでしょう。
そうであれば、金属の加工技術もあっても不自然ではないでしょう。
何らかの理由でエジプトの地を離れた演奏者集団が、ロマの起源かもしれません。
オリエンタルダンスとも呼ばれるベリーダンスの演奏に合わせて、ロマ音楽の拍子で手拍子をうってみました。
ターキッシュのような激しいアップテンポのベリーダンスもあるが、基本的にはロマ音楽の拍子で手拍子をうってついていくことは可能だし、次第にのめり込んで恍惚の世界にはまり込んでいけます。

あまり夢中になって、踊りださないようにしないといけないです。

何度ものめり込んで、踊りだしそうになったくらいどの曲にもぴったりとついていくことができます。

ロマが作り出した代表的な音楽のジャンルがフラメンコです。

もしかしたら、古代エジプトの音楽は、ベリーダンスやフラメンコに別れる以前の一種独特なテンポやメロディーで演奏されていたのかも知れません。

おそらくそのほとんどが、即興曲だったでしょうから、楽譜など残るはずもありません。

神々やファラオたちを喜ばせるための集団で延々と踊ることのできる即興曲、それが、古代エジプトの音楽だったのかもしれないです。

中には、女性の踊り手によるエロティックなものもあったことでしょう。
男性の踊り手も、あるいはいたかも知れません。

ベリーダンスの踊り手には、かつて男性も少なからずいた記録があるそうですから。

酒、食事、音楽、そして、恍惚に浸った人たちの踊りの群れ。

神々と人々が混然となった恍惚の空間の中で、時を経つのも忘れて音楽によいしれたそんな場面も王宮では、しばしばあったのかもしれません。

これはあくまでも、楽器たちが見せてくれた幻想の世界です。

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日本の皇室と古代エジプト。

興味深い情報がきました。

 

エジプトでは頭が○で下にある十字のアンク十字架があります。

これは正に人型ですね。

じつは皇室も儀式にアンク十字架を使っています。

エジプトの唯一神は太陽神日本の神様も太陽神ですから出エジプトから引き継いでいる物が有りそうです。

 

皇室も儀式にアンク十字架となると、面白いことに、吉村作治教授は神社の原型は古代エジプトのピラミッドコンプレックスではないかとの説を展開しています。

実際、日本の神社とよく似ているのは、古代エジプトや古代イスラエルの神殿です。

ことに賽銭箱は古代イスラエルの神殿と共通の要素です。神話大系は、古代エジプトと日本はよく似ています。

日本には古代中東、取り分け、古代イスラエルと共通の遺伝子があるという事です。

 

さらに言えば、コロンビア大学がマヤ、インカ、ネイティブ・アメリカン、イヌイット、アイヌ、琉球民族のDNAを調べたら皆んな一緒と判明し学会で発表しています。

そして、頭蓋骨に特徴があるインカ骨が共通です。

 

モルモン書には船出して行方不明な人たちがあるが、沖縄の文化や風習は聖書にそっくりなうえに、祖先ははるか東のニライカナイとのことです。

でもこの方角にあるのは、近年日本との関連が注目される南太平洋の島々、さらには、アメリカ大陸です。

そう言えば最近、アメリカ大陸最古の先住民として日本人が最有力候補だそうです。


ついでに言うと、沖縄の人たちにそっくりなアイヌの生活文物も古代イスラエルそっくりなうえに、アメリカ大陸でフランスとスペインの様式の矢じりと一緒にアイヌのご親戚の骨も出ているそうです。

 

もっと言えば、沖縄やアイヌのご先祖様の縄文人は、アジアのどこにも親戚が見つかりません。

でも、アメリカ大陸にご親戚の骨。

面白すぎます。

 

シルクロードの始まりは中東、イスラエルで終わりが日本ですから。

江戸時代の来日した宣教師達が神社をみて日本は過去にキリスト教に感化されたとオランダやイギリスの本部に報告していますから。

日本書紀も古事記も三神が一週間で世界を作り上げていますね。

漢文を訳すと正に創世記の天地創造と同じです。

 

さらに言えば、日本の神々は元は太陽神の一神教であったと指摘する声もあります。

また、日章旗とアテン神の奇妙な類似も面白いですね。

天照大御神の岩戸隠れとイエスの十字架上の死と復活のエピソードの類似も、興味深いですよ。


またしても、日本と古代エジプト、繋がりが見えてきました。

皇室も儀式にアンク十字架、一体どんな儀式に使っているのか気になるところです。


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とりとめのない話でしょうか。

ふと、思ったのです。
日本では、最後の締めを「とり」といいます。
最後とは、最高や頂点と言う意味も込められています。
そして、神輿の上には鳳凰と言う鳥がまさしく「とり」を務める構図です。
これが偶然なはずがないです。
神輿は移動神社であり、神社のとりは「鳥」が務めて「取り仕切る」構図であると言ってるようなものです。
日本は神仏混交だが、飛鳥時代はまさに過渡期だったはず。
飛鳥時代の仏像の裏のメッセージは、「日本の仏教は鳥が取り仕切る」であると言わんばかりに、見事なまでに鳥です。
外見に惑わされちゃダメというわけなのです。
飛鳥時代の仏像のシルエットは、まさに鳥そのものです。
私は気が付いた時、愕然としました。
もはや、飛鳥時代の仏像が全て、鳥にしか見えなくなったからなのです。
残念ながらほとんどの人が、飛鳥時代の仏像の裏モチーフの鳥であることに気が付いていないのです。
神職の衣の裾に房があるが、そのわけはほとんどの人が説明できないでしょう。
もしかしたら、神職の衣のモチーフは「鳥」かもしれません。
そして、神職の持つのは榊だが、仮に神職の真の姿が鳥なら、携えるべきはオリーブでしょう。
神社の裏モチーフは古代エジプトの太陽の船かも知れません。
だから鳥居があるのでしょう。

神社の裏モチーフは古代エジプトの太陽の船だとしても、神社には神輿があります。
神輿の正体がアークと言う指摘があります。
アークは方舟もさしますが、神職の真の姿がオリーブを携えた鳥だとしたら、神社の真の姿はアークとなってしまいます。
日本にはアークがあると、神社の姿は白状しまくりの構図と言う事なのです
日本には古代イスラエルの遺伝があることがわかっています。
その日本の神社の正体が、オリーブを携えた鳥が乗ったアークだとしたら、どうなるでしょう。
後は、聖書の預言を紐解いていくしかないでしょうね。
日本人こそ、聖書を読むべきなのです。
果たして、これは単なる白昼夢のようなものなのか、それとも真実なのでしょうか。
答えは、神様がご存知なのかもしれません。
 

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