民俗

吉備団子を食べると何が香ってくるだろうか?

岡山県の旧吉備国地域の土産として有名な餅菓子の一種に、吉備団子(きびだんご)があります、

この吉備団子は江戸時代末期に考案にも拘らず、桃太郎の吉備団子と同一視される経緯があるといいます。

桃太郎に結びつくには、それなりの起源の古さがないとおかしいが、現在のような餅菓子の一種になったのは江戸時代末期の事らしいです。

現在に至る改良製品は、餅米の粉を混ぜて求肥を作り、これを整形して小さく平な碁石形の円形に仕上げるのです。

黍の粉を混ぜて風味づけするものもあるが、使わないものもあると言います。

風味付けに黍粉を使うことがあるのは、元々の原料が黍であることに由来する可能性もあるが、定かではないです。

安政年間(1856年頃)に広栄堂により考案されたとされるが、郷土史家の研究によると団子の起源としては年代が合わないと言うのです。

求肥式の製品考案も明治のことだというから、桃太郎の時代からこのような形でなかったことは確かであるでしょう。

吉備団子のルーツを、岡山の吉備津神社で黍団子がふるまわれたり、境内で飴が売られていた故事に求める声もあるらしいです。

飴と団子では違いがありすぎて少々無理がありそうなので、名前から言っても、製法から言っても、起源を黍団子に求める方が自然に思えるのです。

 

吉備団子と桃太郎の結びつきも、明治時代に菓子製造者が桃太郎のきびだんごと称して販売促進に利用したことに由来するものか、はたまた、昔からの伝承にあやかったものか、定かではないです。

昭和にはいると、桃太郎は吉備津神社の主祭神吉備津彦に由来するとの説がおこる。

それには、この地に伝わる温羅退治が深く関わっているのです。

 

餅菓子の一種である岡山の吉備団子に黍粉による風味付けがあるのは、元々黍団子だったからと言う説が出てくるのは、黍団子の材料となる黍が「もち黍」だったことによるのです。

「もち黍」は、団子や餅の原料とされます。

黍には「うるち黍」もあるが、こちらはもっぱら菓子の原料とされる。黍団子(きびだんご)は、文字通り「黍」(きび)を粉にしてこしらえた団子で、遅くとも15世紀末には用例が見つかるとされます。

桃太郎のおとぎ話では犬・キジ・猿に「きびだんご」を与えてお供を得ることが知られるが、元禄の頃までは「きびだんご」ならず「とう団子」等だった見る議論も展開されています。

 

十団子(とうだんご)は和菓子の一種で、団子または類するものを紐や串でつなげたものである。同名の別菓子が複数あるが、元をたどると江戸時代にさかのぼるらしいです。

一つは、今も地元で作る現在の静岡県静岡市にある東海道の宇津ノ谷で売られた団子です。

もう一つは、かつて宮城県塩竈市の名物として作られたあられもちです。

また、十団子は愛知県名古屋市の熱田神宮にゆかりの藤団子の別名でもあります。

 

黍団子については、昔、麦粉や黍などの雑穀の粉を蒸してついた食物は「餅(べい)」と称していたという考察が、江戸期の暁鐘成の随筆にあります。

「餅」の読みについては「ぺい」の可能性が高いが、実際のところは定かではないらしいです。

また、江戸期の暁鐘成の随筆によれば今の餅は、本来「餐(さん)」と呼ばれていたといいます。

 

餐とは、「食べること」あるのは「食べるもの」のことなので、地域によっては黍団子は古来から主要な食品であったことがわかります。

 

吉備国、特に吉備津神社と「黍団子」という食べ物のとあいだには、少なくとも17世紀初頭までにはなにかしらのゆかりができていたようです。

 

岡山県は、桃太郎に出てくるきびだんごは吉備団子だとして、温羅退治とも結びつけて、うちこそがご当地である名乗りを上げています。

だが、皮肉なことに桃太郎の話を遡ると団子は、「とう団子(十団子)」、「大仏餅」、「いくよ餅」などの名前が上がる一方で、初期のころのには「きびだんご」の名はみえないといいます。

 

「とう団子」についてはすでに見たので、「大仏餅」「いくよ餅」についてみていきます。

 

「大仏餅」は、大仏の形を焼き印で押した餅菓子です。

江戸時代、京都の誓願寺門前や方広寺大仏殿前の餅屋で売り出したのが始めと言います。

奈良名物のものは東大寺にまつわり、鎌倉時代から伝わります。

 

「いくよ餅」は、江戸両国の名物餅で餅をさっと焼いて餡を付けたものです。

元禄(16881704)の頃、小松屋喜兵衛が妻幾世の名をつけて売り出しました。

 

こう見てみると、「とう団子(十団子)」、「大仏餅」、「いくよ餅」などの名前は江戸時代よりもさかのぼることはできないでしょう。

 

一方、特定の団子の名前が作中に見えないと言う事は、それぞれの土地の団子をそこに当てはめて物語をその土地に結びつけていったと見る事ができるでしょう。

 

我こそは桃太郎のご当地であると名乗りを上げている土地は複数あります。

 

岡山県岡山市・総社市

香川県高松市

愛知県犬山市

奈良県磯城郡田原本町

 

これら、名乗りを上げている土地にもいろいろ言い分はあると思うが、桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのも明治時代からであるといいます。

それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはないです。

また、団子も、黍団子以外にも、粟・稗の団子の設定などバリエーションがあることや、桃太郎の話自体にも先に挙げたほかにもいくつもの変形があることだけ、触れておきます。

 

吉備団子についての考察なので、今回は桃太郎にこれ以上踏み込ません。

 

吉備団子の吉備の名も、黍の収穫量が多かった事に由来する地名だと言われています。

 

粟に由来する阿波国や木の国が転じて紀伊国となった例などもあり、吉備=黍の転じたものであろうと考えられているわけです。

 

黍は、イネ科の一年草で、穀物の1種で、日本では五穀の1つとされます。

秋に花が咲き、実が黄色であることから、「黄実(きみ)」→「きび」となったとするのが有力な語源説です。

「うるち黍」「もち黍」の二種があり、黍団子には「もち黍」が使われているのは、すでに見た通りです。

アワより少し大きい実を、そのまま炊いて粥にして食用にしたり、粉にして餅や団子などにしたりします。

黍はインドが原産と推定されるが、原種になった野生植物が発見されておらず詳しい事はまだわかっていないのです。

中国の華北地方では、アワとともに古代の主要穀物でした。

日本には縄文時代に渡来したアワより遅く、弥生時代に渡来したと考えられています。

生長すると1メートル程度になり、夏から秋にかけて茎の先に20センチメートル程度の穂ができ、垂れ下がる。現在では、お菓子の材料や小鳥の餌として利用される程度の用途しか用いられていないです。

 

吉備の国の国名の由来にまでなった黍も、今ではお菓子の材料や小鳥の餌として利用される程度の用途しか用いられていないのは、少々残念な気がするのです。

 

どうやら、吉備団子はもともとは「もち黍」を原料にした黍団子であったものが、「もち米」を用いた「餅菓子」に風味付けとして黍粉をまぶしたものに簡素化され、ついには黍粉さえまぶされなくなった「(吉備で作られた団子だから)吉備団子」にまで変質していったものと思われます。

 

古来、高い技術力を持っていた吉備の国、その国名の由来となった黍を原料としたところに名の由来があるであろう吉備団子から黍の要素が薄れていくのは、なんとも寂しい気がするが、これもまた時の流れでしょうか。

 

吉備の国の基礎を築いた民は、どこから来たのかと言う、古代のロマンに思いをはせながら、せめて黍粉で風味付けされた吉備団子を味わってみたいがするのです。

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菅原氏。

菅原氏について調べてみる気になったのは、ひょっとしたら祭司の家系ではないかと言う気になったからです。

菅原氏の祖とされる天穂日命は日本神話に登場する男神で、天之菩卑能命、天菩比神などとも書かれます。

天照大神とスサノオが誓約をしたときに、天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った神とされます。

物事のタネとなるものをさす物実(ものざね)の持ち主である天照大神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたります。

ちなみにアメノオシホミミのフルネームであるマサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミは、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、正哉吾勝々速日天押穂耳尊などの表記があります。

天穂日命は葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかったのです。

その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされます。

菅原氏の直接の祖とされるのは、天穂日命の子孫で、大相撲の祖として知られる野見宿禰を先祖とする土師氏です。

 大相撲自体すでに神事として営まれているでしょ。

菅原氏は祭祀に関与した一族である可能性が高いですね。

 その上菅原氏は土師氏の流れをくむとなれば、さらに可能性が出てきます。

大相撲の祖とされる野見宿禰はまた、殉死者の代用品である埴輪を発明したことでも知られそれがきっかけで第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われているから、祭祀に関わる一族であると言えるでしょう。

 殉死の代わりに土で作った埴輪で差し支えないと、説得力をもって説き伏せてしまう。

相当神事の奥義に通じていないとできないはずですね。

野見宿禰、かなりの神仙思想の使い手である技能に通じた人物であったと言えそうです。

神仙思想に詳しい技能者と言う事は、メーソンを連想できますね。

メーソンの関与を連想できる遺跡としては、酒船石遺跡があります。

酒船石遺跡とは、酒船石と平成12年(2000年)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および周辺の遺構を含めての総称です。

神仙思想に詳しい腕の立つ石工による工作物、という指摘がされた遺跡ですね。

神仙思想に詳しい腕の立つ石工とは、まさにメーソンの説明そのものにほかならないです。

 野見宿禰がもしメーソンだったとしたら、相撲にその証拠を見ることができますね。

土俵は四角で、そこに蛇の目を指し示す俵の円があります。

つまり、四角の中に円、定規とコンパスはメーソンのシンボルです。

さりげなく見せながら隠すのが、奥義なのです。

メーソンとくればカッバーラだけど、カッバーラとはユダヤ教神秘主義のことですよね。

あなたは土から生まれたから土にかえる、あなたは塵から生まれたから塵にかえる。

有名は聖書の一節ですよ。

野見宿禰がメーソンでありカッバーラの使い手であったなら、あり得る話ですね。

でもこれは、当時の日本のトップにいた人たちが聖書を知っている事が前提ですね。

初代神武天皇からして、実はユダヤだったとしたら、どうでしょうか。

少なくとも神武天皇のバックにいた可能性が高い徐福についてはユダヤ人であったと言う説があります。

日本人のルーツのうちで、どこまでがユダヤ人と言えるかについては、諸説あるようです。

 少なくとも天孫一族については、ユダヤ人説があるでしょ。

 縄文、弥生となると、どうでしょうね。

皇室やその周辺はユダヤ人だった可能性は、見ても良いかもしれないですね。

縄文や弥生についても、可能性は否定しない方が良いでしょうね。

土師氏のうち平安時代初期に大和国菅原邑に住んでいた一族が、以降、菅原氏を名乗ることとなります。

土師氏から分かれた一族としては、菅原氏のほかに大江氏や秋篠氏があります。

菅原古人の子清公、および孫の是善を含め、大江氏と並んで子孫は代々、紀伝道すなわち文章道を家業として朝廷に仕えていました。

そして、古代には政(まつりごと)は祭り事(まつりごと)でもあったから、菅原氏は文章道を家業としていたなら相当に祭祀に通じていた家系であると言えるでしょう。

菅原氏、少なくとも菅原道真は天神を篤く崇拝していたと言います。

天神は雷神として知られるが、菅原氏の祖は天穂日命で、どこでどうやって雷神としての天神と結びつくのかが、謎めいています。

だが、雷神と言えば雷鳴、つまり、雷です。

「かみなり」は「神鳴り」や「神成り」に通じた音と言う事は、雷鳴を神の声と言い換えても良くなるはずでしょう。

地上に神の声を下す存在として雷神を見ると、神にお伺いを立てることを菅原氏は本来生業としていたと見ても良いでしょうね。

相撲もまた、神託伺いの神事の側面があると言えるでしょう。

力士は祭司、あるいは、神の依り代の役を担う存在であったのかもしれないです。

その力士の祖を起源としている菅原氏は、やはり、祭司一族と見て差し支えなさそうです。

とは言え、菅原氏を考察していたら、まともに日ユ同祖論にぶつかってしまったのは興味深いですね。

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やはり相撲は中東起源。

『相撲』の発祥の地は古代メソポタミアと見られているが、エジプトはベニ・ハッサンのバケト3世岩窟墓にはなんと、相撲の技一覧図としか言いようのない壁画があるのです。

圧巻なのは、王墓の狭い方の面とは言え一つの壁面が丸ごとその一覧図に充てられていること。

狭いと言ったって、壁面にはかなりの広さがあるので、視野が技の一覧図で丸ごと占領されるだけの迫力ある壁画です。

 

まわしをして組み合う二人の取り組みが実に見事に描かれているその壁画は、うっちゃり、外掛け、内掛け、首投げ、足取りなどなど、相撲のほとんど全ての技がそっくりそのままと言っていいほど表現されていると言います。

 

メソポタミアの遺物でも相撲を表現したとしか思えないものはあるが、王墓の壁面一つ丸ごと相撲の技一覧図って、エジプト人どれだけ相撲好きだったんですか。

 

吉村作治教授は神社の原型はピラミッドコンプレックスと言うが、やはり、日本の原点は中東ってことなんでしょうか。

狛犬も元をたどればピラミッドコンプレックスのスフインクスと、吉村作治教授は指摘しています。

そう言えば、日本には古代中東の遺伝子もあるのですよね。

 

神話の体系も、太陽神を頂点とする三神構造と動物を含む八百万の神が織りなす神界を日本と古代エジプトは共有です。

日本人の足に多いのがエジプトタイプで、味の好みも日本とエジプトは似てるのです。

 

バケト3世王墓の壁画がもし相撲であるなら、古代エジプトでも相撲は重要な競技だったことになるでしょうね。

 

韓国人は相撲も自国が起源と言いたいようだが、メソポタミアや古代エジプト発祥の相撲の伝播の中継点の一つと見るのが妥当でしょう。

 

朝鮮半島では高句麗の壁画が確認される最古の相撲を描いたものと言うが、百済、新羅、高句麗はいずれも日本に亡命しているので、その後の新羅滅亡後の高麗壁画にある相撲は亡命しきれないで残っていた人達から伝わったものが記録された可能性があるでしょうね。

 

恐らく天孫族の日本渡来で朝鮮半島を通過した際、行われていた名残が今もかろうじてあるに過ぎないかもしれません。

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欧米のキリスト教のイスラム感を考えて見た。

もっともっと、日本人も宗教に関心を持って欲しいのですけど。

世界の中で宗教にまったく無関心な人は、実は少数派ではないでしょうか。

中国だって一皮むけば、昔からの宗教に関心持って暮らしている人の方が多数派と聞いています。

熱心に信仰しているかどうかは、別ですけどね。

日本がイスラム過激派の怒りのターゲットに晒されないためには、欧米のキリスト教圏とイスラムとの歴史的な諍いから距離を置くことが大事ではないでしょうか。

 イスラームが正しい発音だそうですが。

ここでは一般的なイスラムで通します。

せっかくイスラムの人たちから信頼されているのだから、この立ち位置を活用しようとしないならはっきり言って、大馬鹿ものですね。

イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会の人たちとの、ネットを通じての交流で、堕落した欧米のキリスト教に見切りをつけた若者を中心とした人たちが案外簡単に改宗するのはなぜなのか真剣に考えない限り、欧米のキリスト教世界はイスラム過激派の怒りのターゲットに晒され続けるでしょうね。

フリードリッヒ・ニーチェの『アンチクリスト』に示されるところまで堕落したからこそ、ムハンマドやジョセフスミスジュニアが原点回帰を呼び掛けるように聖書の神から召され、欧米のキリスト教圏の人たちから、イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会への改宗が出るわけですね。

 既存のキリスト教会は、そこがわかってないってことね。

欧米のキリスト教圏の人たちのイスラムに対する反発の裏には、ユダヤ教やキリスト教が堕落したので原点回帰を呼び掛けるべく聖書の神からムハンマドが召されたというイスラム側の言い分にもあるかもしれないですよ。

ムハンマドが啓示を受けた西暦610年代には、西欧がすでにキリスト教化しているわけですから。

313年にミラノ勅令は、当時は西方正帝であったローマ皇帝コンスタンティヌス1世と同じく東方正帝であったリキニウスの連名で発布されたと言われているのです。

一般に、全帝国市民の信教の自由を保障した内容とされるこの勅令は、実在そのものや、真の起草者について疑問視する研究者もいる代物ではありますけど。

勅令発布以前、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、311年、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を発したのです。

これを受け当時西方正帝でのちに単独皇帝となるコンスタンティヌス1世は、キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって「ミラノ勅令」を発布したものです。

特にキリスト教を挙げつつ、他のすべての宗教と共にこれを公認したわけです。

392年には、テオドシウス1世によってキリスト教はローマ帝国の国教とされたのです。

 で、これ以降、欧州世界のキリスト教化が進むことになるわけね。

そして、キリスト教は主に欧州世界を中心に広まっていくのですよね。

つまり西暦610年代ムハンマドが原点回帰を呼び掛けた堕落したキリスト教とは、まさしく欧州キリスト教にほかならないってことです。

そもそも、ミラノ勅令はキリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって発布されたわけです。

欧州世界での拡大と定着は権力と言わば二人三脚で進んでいったと言え、キリスト教の堕落はローマ帝国のころから実質的に始まっていたとみて良いのかもしれないですね。

しかし、ほとんどの欧州キリスト教の人たちには自分たちが教えを堕落させた自覚はほとんどないってことで、彼らにとってムハンマドははっきり言って邪魔者だったかもしれないです。

欧米のキリスト教圏の人たちから見れば、ムハンマドはアブラハムの系譜かも知れないけど、イサクとヤコブの系譜ではないわけです。

傍系イシュマエルの子孫であるムハンマドの預言者としての正当性を、彼らは認めたくないのかもしれないですね。

 認めれば、改宗せざるを得ないでしょうからね。

ちなみに、末日聖徒イエス・キリスト教会のジョセフスミスジュニアも、御父と御子からじきじきに、今のキリスト教宗派は全て間違っているからイエスの時代の教会を復活させるように召されたと主張しているのです。

そのために、既成のキリスト教からは、末日聖徒イエス・キリスト教会も煙たがられているのです。

末日聖徒イエス・キリスト教会の教説には、既存のキリスト教に真っ向から異を唱える内容が並んでいるのです。

御父と御子と聖霊は三位一体ではなく個別の存在であり一心同体となり一致団結して人々の救いと導きに日夜心を砕いておられるとか、アダムとイブが禁断の木の実を食べたのも原罪ではなく人類が選択の自由を用いて神の道を選んで再び成長して帰ってもらいたいという御父の願いによるものであったとか、御父の救いの計画は生者だけではなく死者にも及ぶとかです。

 これらの言い分を認めたら、既存のキリスト教は末日聖徒イエス・キリスト教会に合流するしかなくなるわけだから煙たいわけね。

アダムとイブについていえば、裸で嘆きながらエデンの園を追われる絵があまりにも有名だけれど、聖書には神は彼らに皮の衣を着せたことがちゃんと書かれているのですよ。

 絵で一目でエデンの園からの追放とわかるために、裸で追われる構図にしたのかもしれないけど、嘘は嘘よねえ。

余談ですが、末日聖徒イエス・キリスト教会には、職業としての聖職者はいないです。

イスラムにも職業としての聖職者は、恐らくいないです。

イスラムで聖職者に当たるのはウラマーと呼ばれる人々ですが、イスラムの建前としては神と人との間に仲介役を入れる、あるいは信徒間に階級差を設けることを嫌う傾向があり、ウラマーは聖職者ではない、とか、イスラムには聖職者はいない、と主張されてるのです。

一方、既成のキリスト教では、大抵の教会で職業としての聖職者がいるのです。

 イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会を選んだら、既成のキリスト教の聖職者の職探しは大変ね。

末日聖徒イエス・キリスト教会には職探しやその間の生活を支える仕組みがあるし、イスラムにも助け合いによって支えてくれる体制があることでしょうから、全てを神の御心に委ねて祈るなら道は開けることでしょうね。

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欧米のキリスト教に思うこと若干。

ネットでイスラムになびいちゃう欧米の若者が結構いると聞いて、へえって思ったことがある。

モルモンへ改宗する欧米の若者も、ネットでモルモンの会員とやり取りする中で改宗を決意する人が結構いると言う。

ネットの力、意外と馬鹿にできないって思う。

 

欧米の若者でイスラムに惹かれる人が出る背景には、欧米のキリスト教に対してコレジャナイ感が大きいことが挙げられるかも。

既存のキリスト教会からモルモンへの改宗も結構あると聞いたことある。

 

カトリックもプロテスタントも、魂の救済にとどまらず、生き方を求めて祈る信仰へと軌道修正しない限り、欧米の若者たちの教会離れも止まらないし、ISに足元を掬われてしまう若者たちも引き留めることなんて絶望的なまでに出来ないと思い知った方が良いのではないか。

 

カトリックの堕落を批判したプロテスタントもまた堕落したが、生き方を求める信仰に軌道修正することは魂の救済に胡坐をかいてきた生き方の全否定であり当然苦痛を伴う。

すでに得ている魂の救済の既得権益を脅かす輩が、気に入らないと言うわけであると言うことなのか。

そこに気付こうとしないのだとしかみえないのは、気のせいだろうか。

 

だが欧米の既存のキリスト教徒の多くは、若者たちをISにとられたこととイスラムにとられたことを短絡的に混同する傾向さえあるように思う。

彼らはイスラムを知らないばかりか知ろうともしないように思えるのは、とても悲しい。

キリスト教にいちゃもんをつけて喧嘩を売った、けしからん異教徒としか見ようとしないようだからだ。

違うだろうか。

 

旧態依然の欧米のキリスト教は魂の救済は説いたが、どう生きるべきかは説かなかった。

イスラムもモルモンも仏教も、どう生き、どう考えるべきかを彼らに示した。

ISに若者を取られたくないなら、既存のキリスト教も生き方を生き方を模索している若者に応えようとするべきだ。

 

現在、米国の仏教徒は約3百万人を数え、全米人口の1%に当たる。

ヨーロッパでも約100万人いる。

キリスト教徒と比べれば、仏教徒の数はまだマイナーだ。

しかし、伸び率だけに注目するなら、キリスト教徒をはるかに上回る。

なぜそうなるのか。

彼らは生き方を求めているのだ。

 

モルモンへの改宗者もまた生き方を求めて、既存のキリスト教会に別れを告げた人たちである。

既存のキリスト教は信ずれば救われると説くが、どう生きるべきか指し示す力がない。

ただ救いを求めてすがる人たちばかりと、言って良いかもしれない。

受け身ばかりと言えるだろう。

 

トリックへの反発からプロテスタントが生まれたが、今欧米では既存のキリスト教への幻滅から宗教離れが深刻と言う。

維持がままならなくなり、手放される礼拝堂もかなりあると聞く。

だが、心の支えや拠り所を求める人は実は多い。

Isの誘いに乗ってくる若者は、心の隙間で足元が掬われてしまった人が結構いると言う。

さもありなんと言うべしだろう。

 

欧米では既存のキリスト教への幻滅から宗教離れも多いと聞くが、どう生きるべきかの悩みは多くの若者が普遍的に抱えている課題。

ISの誘いに乗ってしまう欧米の若者が多いのは、旧態依然の教会の体質に問題があると私は見る。

だがどっぷり浸かり込んだ人にはそれが見えてないのではないか。

 

FW・ニーチェの「アンチクリスト」も、欧米のキリスト教の現実への幻滅からキリスト教そのものの否定に走った典型だが、欧米の若者も既存のキリスト教への幻滅から改宗希望者が多いのかも知れない。

だから、イスラムやモルモン、仏教などに惹かれる人が結構出るのかも。

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聖書は誰の目線で書かれているか。

聖書に猫が出てこないと言う人もいます。

外典に位置付けられるエレミヤの手紙に、聖書では珍しく猫がでてきます。

エレミヤの手紙はバルク書の第6章として含まれることもあり、哀歌の後続の小編として位置づけられています。

偶像崇拝の馬鹿らしさを述べる文脈の中で、21節に゛その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。゛とあるようにバビロニアにも猫はいました。

ならば、古代のイスラエルやユダの王国に、猫はいなかったのでしょうか。

イスラエルの民は猫が大好きなエジプトに長い事住んでいた以上、猫の存在も、財産を守る猫の大切な役割も、知らなかったはずはありません。

エジプトを去る際、多くの財産とともに出発したことでしょう。

ならば、彼らの傍らに猫がいなかったと考える方が不自然ではないでしょうか。

にも拘らず、聖書にはエレミヤの手紙以外に猫の出番がありません。

しかし、ねずみはレビ記、サムエル記上、イザヤ書、ゼカリヤ書に登場します。

ねずみは地を荒す穢れた生き物として嫌われている事を思えば、大切な祭具や貯えや諸々の道具類を守るために猫を同伴していたか、ヤマネコの来訪を待ち望んでいた可能性があります。

ならば、なぜに猫の出番が聖書で巡ってこないかと言えば、答えはただ一つです。

聖書は歴史の記録書である以前に、聖典だからなのです。

古代イスラエルやユダヤに人たちがどんなに猫の可愛さにぞっこんになろうが、めろめろになろうが、ちゃんとした生活さえできていれば何の問題もないわけです。

これでもし、猫の可愛さにかまけて仕事がおろそかになった人が続出して由々しき事態にまで発展していたなら、神様も猫の構い方について説教をしたことでしょう
今でも猫はマイペースで、邪魔になると思えば自分から落ち着ける居場所を求めて避難します。

まして聖書の時代、猫の一番の任務はねずみ退治であり、猫の生活は縄張りの巡回か寝ているかのどちらかであったし、人々もまた日々の営みで忙しかったことでしょう。

人々の古代からの友として賞賛する人の多い犬でさえ、人々との係わりはほとんど記述はありません。

まして猫はマイペースで、人々のプライベートな寛ぎの時間の遊び相手になることが多いわけです。

町を歩いていて思いがけない場所で出会えれば運が良いと言える存在である猫に、聖書での出番が沢山ある方がおかしいのです。

聖書に猫の出番が少ない理由に、わざわざエジプトの事を持ち出すまでのことなどないと言えるでしょう。

聖書で犬の出番は確かに多いです。

出エジプト記、士師記、サムエル記上、サムエル記下、列王紀上、列王紀下、ヨブ記、詩編、箴言、伝道の書、イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、ミカ書、マラキ書、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ピリピ人への手紙、ペテロの第二の手紙、ヨハネの黙示録と、犬の出番のない書を上げた方が早いくらいです。

だが、犬と犬好きに気の毒なくらい、聖書での扱いは芳しいものがありません。

それは、当時の犬は野犬が多く、家畜や旅人にとって危険な存在だったという事情もあるかもしれません。

けれど思い起こしてください。

今の私たちの諺でも、犬が出てくるもので犬の評価が高いものはどれだけあるでしょう。

それに比べれば、猫に関する諺の愉快で笑えるものは多いです。

それは猫が寛ぎの時間の遊び仲間だからでしょう。

出番が多い割に可哀想な扱いの多い犬に対して、エレミヤの手紙以外の出番はないが゛猫まで″と猫は並みいる動物たちの中で別格扱いです。

聖書は、人々に対して神への絶対的な服従を求める書の印象が強いかもしれません。

だが、神は人々にサタンではなく神である私を選びなさいと求めているのです。

神への服従は、神の命令ではなく、神の勧告なのです。

自由な猫と、服従の犬。

そう思って聖書を見れば、人々の自由な選びによる自らへの服従を粘り強く待ち続けておられる神の目線は、果たして猫と犬、どちらに近いでしょう。

コーランの神であるアッラーは、聖書の神と同じですが、古代エジプトの猫神ラーが正体かも知れません。

猫神ラー=アッラー=聖書の神エロヒムの構図に、神の子イエスを並べて見れば、親のエロヒムが猫神ならイエスは子猫ではないでしょうか。

エレミヤの手紙で゛猫まで″と猫は並みいる動物たちの中で別格扱いなのは、猫は別格な神の化身あるいは使者に準えて皮肉られているのではないでしょうか。

猫は象徴ではあっても、神の化身あるいは使者の当人ではないからです。

聖書を選択の自由を説く書として見るなら、自由な存在としての猫目線で書かれているからこそ不自由な選択の余地のない服従の象徴としての犬は可哀想なくらい評価が低いのかもしれません。

聖書が猫目線で書かれた書とすれば、猫の出番が聖書にほとんどないどころか、猫の聖典が実は聖書なのかもしれません。

ヨハネによる福音書1章1節にこうあります。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

この言葉とは、イエスの事です。

面白いことに、実際に猫はイエスのメタファーなのです。

これ、偶然でしょうか。

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ラスコー壁画と鳥人。

フランスの世界遺産の一つに、クロマニョン人が残した壁画で有名なラスコー洞窟があります。

この壁画自体も何が目的なのかという謎があるのですが、描かれている物にも謎があります。
何を意味するのか分からない記号などもそうだが、壁画唯一の人物が鳥頭の男性と言うのも、謎の一つです。
鳥人と思える鳥頭の男性が、何のために描かれているのか不明なのです。
ラスコー洞窟壁画の鳥人が、何のために描かれているか謎になってしまったのは、研究者たちがラスコー付近の住民の文化の範囲内で解釈を探しているからでしょう。
古代社会は、もっともっとグローバルな世界だったはずなんですけどね。
そこで、視野を広げると答えが見えてくるはずです。
鳥人の傍らには、傷ついて腸がはみ出ているように見えるバイソンがいます。
これは何らかの祭祀を行っているシャーマンではないかと見ることも、できるようです。
すぐそばに描かれている二本の投槍器のうち一つは、頭に鳥の形が付いています。
この絵で連想できるのは、鳥がしばしば天と地を繋ぐ存在として宗教では位置付けられていることです。
この鳥頭の男性は、裸体に見えます。
そして、男性器は勃起した状態で描かれています。
裸体表現は、その人は地上ではなく霊や神々の世界の住民であることを示すことがよくあります。
ギリシャ神話の神々もたいてい裸体で表現されるし、ブラジルのカーニバルも本来は人が神や霊の世界の存在との交流のために共に踊る儀式として裸体で行う行事だったようです。
ブラジルのカーニバルは観光資源化してしまったために衣装を着ることになったが、上級者になればなるほど肌の露出が増えるのも、かつて裸体でおこなれていた時代の名残なようです。
つまり、裸形で鳥頭の男性は、天と地を繋ぐ霊会の使者としてバイソンを屠っているのかもしれません。
牛は聖獣として扱われることが多い動物です。
牛は、聖獣であるがゆえに、神への捧げものとして屠られることも多く、その証拠に犠牲と言う字には牛偏が付いています。
ラスコー壁画唯一の人物である鳥人は、神に日頃の恵みへの感謝とこれからもよろしくお願いしますという気持ちを届ける犠牲として聖獣であるバイソンを屠る儀式をしている可能性はあり得ます。
鳥人に扮した裸形の男性が男性器を勃起させて描かれているのも、自然の豊かな恵みへの感謝と子孫繁栄祈願として、牛屠りの儀式を行っていると見れば、納得できるのではないでしょうか。
ラスコー洞窟は、神聖な儀式の場として用いられていた聖なる空間だったのかも知れません。
そう言えば、古代中東のミトラス神はフリジア帽とも呼ばれるフリギア帽がトレードマークの牛屠りの神だが、ひょっとしたらあの帽子は鳥の変形なのかしらと、ふと思ってしまいました。
もちろん、恵みへの感謝と子孫繁栄を祈願してバイソンを屠っている鳥頭のシャーマンと、太陽神で世界創造の業のために聖なる牛を屠っているフリギア帽のミトラス神と、設定は違います。
けれど、ミトラス神は起源はわからないくらい古い時代からの神ですからね。
牛屠りの鳥人祭祀の意味が忘れられて、フリギア帽と着衣のミトラス神に代わってしまった可能性はないのでしょうか。
一つ疑問が解けたと思ったら、新たな疑問が、浮かんでしまいました。

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日本にとって天皇制はどういう意味を持つか。

天皇制については、古代から続く前世紀の遺物と見る人も多いです。

 

確かに古代から続くシステムには違いないが、アジアの多くの国が古代のリフレインから抜け出せなかったのに、なぜ日本は違ったのかと言うことです。

 

多くのアジア諸国の王との決定的な差は、天皇はいわば日本版教皇ともいうべき立場であったことなのです。

 

祭政一致的な国家の最高権力と言うなら、アジア諸国の王の多くはそうでした。

 

だが日本の天皇との決定的な差は、天皇が教皇的な最高祭司に祀り上げられてしまったことなのです。

 

教皇的な最高祭司に祀り上げられた結果、天皇は執権の任命権者として君臨、時代の変化に応じた執権を自在に任命できたのでした。

 

執権のおおもとの意味は、政務を執行する者と言うことです。

 

執権は歴史的な用語として知られているが、ここでは一番基本的な意味で用います。

 

余談ですが、キリスト教世界の教皇は近代国家成立以降国家の執権に当たる人々を認証する役目から外れてしまったが、日本の天皇は今でも総理大臣や内閣の認証を形式的な儀式だけになってしまったとはいえ続けています。

 

これは、天皇が日本国成立の時から日本の中心として君臨し続けてきたのに対して、教皇はヨーロッパ諸国がキリスト教化したことによって精神世界の頂点に位置付けられたことやキリスト教世界が東方正教会やカソリックやプロテスタントに分裂したことと、おそらく無関係ではないでしょう。

 

本題に戻ります。

 

多くの国々の場合、権力の交代は国全体のリセットとなってしまい国家建設の成果の蓄積は事実上できませんでした。

 

日本は天皇制が維持できたおかげで、国家の一貫性が保たれ、国家建設の成果の蓄積が可能となったのです。

 

これは、天皇制の好き嫌いに無関係に認めざるを得ない事実なのです。

 

天皇制が日本史の展開の上で果たしてきた役割の大きさを思うとき、天皇制の廃止はすなわち、事実上の日本史の断絶となるでしょう。

 

果たしてそれが、日本にとって吉と出るか凶と出るかは誰にもわかりません。

 

ただ、天皇制の廃止をすることになれば日本史を貫いてきた大黒柱を失うことは紛れもない事実と言えるでしょう。

 

日本がもしも天皇制の廃止に踏み切った場合、代わりとなる国家の大黒柱を確固として打ち立てていく事ができるのかが、問われる事態となるかもしれません。

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バプテスマを受けるとは?

バプテスマ(洗礼)とは、キリスト教の礼典の一つです。

 

 宗派によって、解釈は様々なようですね。

 

ここでは、聖書に従って意味を考えていきたいと思います。

 

キリスト教におけるバプテスマ自体は、聖書によれば洗礼者ヨハネからイエスが受けた故事に由来するとされます。

 

 そう言えば、ヨハネにバプテスマを受けた人たちもイエスの弟子になるにあたって、バプテスマを使徒から受けなおしていますね。

 

ヨハネのバプテスマも天の神である御父に由来しているのは確かですが、使徒たちはイエスから受けた権能に基づくというところが違っています。

 

この話の前に、まず、イエスのバプテスマで何が起きたのかを、振り返る必要があります。

 

イエスが洗礼者ヨハネのところにバプテスマを受けようとしたとき、ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言っていました。

「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。」

パリサイ人やサドカイ人がバプテスマを、立場上受けに来たにすぎないと見抜いていたのです。

心から神に清めと許しを求めてきた人以外に、バプテスマを受ける資格がないことを洗礼者ヨハネは言いたかったのです。

 

ここを踏まえて、次の話を聞いてください。

 

マタイによる福音書3 13節から15

そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。

ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。

しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。

 

洗礼者ヨハネの戸惑う姿が、目に浮かびますね。

悔い改めも清めも必要がないはずのイエスが、バプテスマを受けたいと望んでいるのですから。

 

すると、奇跡が起きます。

 

マタイによる福音書3 16節から17

イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。

そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

 

イエスは生まれた時から神の御子であったはずでしょ。

 

それなのに、天の神である御父の声がこう告げたのです。

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」

 

これは事実上、天の神である御父による新たな教会の設立宣言であって、イエスをその会員第一番に確認したと告げた瞬間と言ってよいでしょう。

 

 天の神である御父は、イエスの下に新たな教会を設けると、宣言したわけですね。

 

洗礼者ヨハネは、天の神である御父がイエスの下に新たな教会を設けるための道を備えるために遣わされた預言者だったわけです。

 

聖書にはこうあります。

 

マタイによる福音書3 1節から3

洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、

「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。

これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」

 

ですから、イエスの下に新たな教会に加わるためにはイエスから召された使徒たちによるバプテスマを受けることが必要だったのです。

 

さて、なぜ、イエスの下に設けられた新たな教会に加わるために、使徒たちからバプテスマを受ける必要があるかを見ていきましょう。

 

マタイによる福音書 10 1

イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。

 

バプテスマを受けるとは、罪から洗い清められることですが、洗礼者ヨハネのバプテスマとイエスや使徒たちによるバプテスマの決定的な違いは聖霊が受けられるかどうかなのです。

 

 バプテスマのあとで聖霊を受けられるためには、天の神である御父からイエスの名によって受けた権能のある人が間に立つことが必要なのですね。

 

聖書には、こうあります。

 

ヨハネによる福音書 15 16

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

 

聖霊を受けさせることができる権能を授かるには、神から召されなければならず、それには神に召された預言者の存在が欠かせません。

 

イエスも、救世主(メシア あるいは キリスト)として召されただけでなく、預言者としても召されています。

 

しかし、バプテスマを受けることは、単に、教会員としての確認の儀式をうけるにとどまらない意味をもっているのです。

 

それを、次に見ていきましょう。

 

ローマ人への手紙 6 3節から4

それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

 

バプテスマを受けるとは、実は、イエスとともに贖罪の死と復活をしているのだということです。

 

イエスの贖罪の死と復活により、永遠の過去から永遠の未来までの全ての人に、罪からの清めが神から認められるわけですね。

 

ただしそれには、バプテスマを受ける必要があるわけです。

 

バプテスマを受けることにより清められたので、その人の一生の罪は神の御前でなくなったので、たとえ何年も道に迷って神から離れてしまったとしても、悔い改めて神の導きについていく道を選ぶなら、神は許してくださる。

 

ルカによる福音書15章にある、有名な放蕩息子の譬えをみれば、よくわかることと思います。

 

全ての人は神から見て、みな、放蕩息子ですから、神は戻ってきてくれた人々をみな「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」として、心から受け入れてくださいます。

 

そして、心の迷いによって神のもとを離れ何年も彷徨っていたとしても、天の神である御父は、一度バプテスマによって我が子として受け入れた人々に再びバプテスマを受けることはもはや求めません。

 

 バプテスマを受けることで、人は一生の罪からの清めが受けられるわけですね。

 

ただしそれには、絶えず悔い改めを忘れないことと、象徴としてイエスの血と肉の証を受ける聖餐式に努めて参加することが求められていますけどね。

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日本にもシヴァ崇拝が息づいている?

「諏訪神社七つの謎 古代史の扉を開く」皆神山すさ著。

今読んでいる本の一部だけれど、気になった箇所がいくつかあります。

 

たとえば、ここです。

 

国史大系本では「大神社」を「オホムハノ」と訓み、『神名帳考証』では「ヲホムハノ」、九条家本、武田本では「オホノ」と訓をつけている。

 

「ノ」は後に続く「ヤシロ」との接続詞とみれば、「大神」の訓は「オホムハ」「ヲホムハ」「オホ」ということになります。

 

さらに「ハ」は「オホ」についてないところから、丸唇で発音したために聞こえてしまったおまけの音が名前の一部と勘違いされて定着したとみて良いでしょう。

 

そうなると、「大神」の訓は「オホム」「ヲホム」「オホ」ということになります。

 

「オホ」で「ム」が欠落しているのは閉口音であるために聞き取りにくいためとみれば、もとは「オホム」であったものがどこかで、あるいは過去の段階で、転化したとみなせるでしょう。

 

つまり「大神」の訓は「大神」の訓は「オホム」「ヲホム」ということになります。

 

「オホム」「ヲホム」「オホ」とは何でしょう。

 

よく似た音に、ヨガで唱えるマントラ『オーム(OM)』があります。

オームという言葉は、インドでは聖なる音として崇拝されています。

言霊には霊的な力が宿るといわれるように、ヨガでは最も神聖なマントラ(呪文)が、このオームとされています。

オームとは、宇宙の始まりの音とされているのです。

 

オームはもともと、仏教の「唵」、キリスト教の「アーメン」という言葉と同じものを指しているという説もあるようです。

「阿吽(あ・うん)の呼吸」もオームからきていると言う説もあります。

 

オームという音はアルファベットにすると、「a」・「u」・「m」に分けられ、ヨガでは維持・破壊・創造を象徴していると考えられています。

維持・破壊・創造を象徴している神と言えばシヴァです。

ヒンズーでは創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌに対してシヴァ神は破壊神ではないかと思う方もいると思うが、バラモン教では神々の上に立つ最高神とされ、「自らを創造したもの(スヴァヤンブー)」「生類の王(プラジャーパティ)」と呼ばれます。

創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァの三位一体崇拝とよく言われるが、実際は三神による一神界をシヴァが代表する形と見た方が実態に合っているように見えます。

 

シヴァは大黒天に転じ、大黒天は大国主命と神仏習合して出来た神道の神ともなりました。

大国主といえば、大神神社の祭神で大己貴神や大物主とも習合されている神です。

 

三輪山の神のエピソードの中に蛇が登場するが、シヴァにも蛇は欠かせない存在となっていて、ここでも重なり合います。

 

日本にシヴァ信仰をもたらした一団が来たのでしょうか。

 

そういえば、日本語とインドの一方言であるドラビダ語との繋がりが指摘されたこともあるし、インドはペルシャとの繋がりがあるが、日本には中東やインドを連想できる顔の人も結構いるし、日本建国には多くのイラン人が参加しています。

 

インドの神々も元を辿れば、その多くは中東の神であり、日本に多くの古代中東の遺伝子が残る事を思えば、日本は古代中東の神々を今でも崇拝していることと合わせ、非常に面白い国ということになりそうです。

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