民俗

日本語と日本人は何処に遡れるのか。

五十音図を見て、何かを連想できませんか。


元素の周期表です。


日本語の面白いところは、一音だけで一語になっている単語がたくさんあることです。


つまり、五十音図は音素の周期表でもあるという事を意味します。


元素があわさって分子になるように、日本語は一語でも文章になっているのです。


五十音図は行を縦糸とすれば段は横糸、段を縦糸とすれば行は横糸となる、一幅の織物のようなのです。


言葉を紡ぐ、言葉の綾、日本語は一幅の織物のように出来上がっているのです。


日本語は言葉という一幅の布を纏って現れる言語なのです。

まるでエデンの園で神からもらった衣を纏ったアダムとイブ。

縄文人は古代中東で人種が分かれる以前の古代遺伝子を日本にもたらした人々であることを思えば、日本語の根底に聖書を連想できる発想が見られるのは興味深いと言えるでしょう。

更に日本には言霊と言う思想があります。

言葉は現象や存在を写し取るものだが、なぜそれが可能になるのか。

存在や現象には、それぞれに振動がありその振動がもたらす音があります。

言葉は、その音を写し取る事で成立するのです。

日本語はその一音一音に、意味を対応させる稀有な言語です。

存在や現象から写し取った音と意味が呼応している言語が、日本語なのです。

だから、万物に物霊とも言い得るものを見出す日本人は、万物を供養する民族でもあります。

となると、言霊は実は事霊でもあるとなるのです。

言霊は事霊であり物霊でもある、この重層性こそが言霊の言霊たらしめているものなのです。

正に、「はじめに言葉があった、言葉は神とともにあった、言葉は神であった」と言う聖書の言葉そのままではないでしょうか。

アイヌの生活文物が古代イスラエルと、琉球の文化が聖書と、似通っている事と合わせて見ると日本語と日本人、面白すぎますね。

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なぜ、卑弥呼と邪馬台国が日本の史書にないのか?

なぜ、卑弥呼と邪馬台国が日本の史書にないのでしょうか。

中国は意味よりも音を優先させて、自らの史書に記したことは多いにあり得ることなのに、日本の史家は日中の発音の差を無視しまくっているのではないでしょうか。

「日本」は中国語の発音では「リーペン」、当然ながら「巫女」も中国人が言えば発音が変わるはずです。 「日巫女」を中国人が言いやすいように音訳したのが、「卑弥呼」なのでしょう。
「邪馬台」国は音の近さから「ヤマト」国であろうとされてきたが、類推の範囲をでなかったのです。 言語学研究の到達点からやむを得なかったと言えるが、昔と今では到達点が違います。 古代の日本語は、二重母音であったことが、明らかになっています。 「邪馬台国」も「卑弥呼」も、中国人は当時の日本人の発音に近い中国語の文字を探して音訳したと考えるのが、自然なはずです。 「大和(ヤマト)」も当時の日本は二重母音なので強いて言えば「ヤマタィ」に聞こえてもおかしくないから、「邪馬台」国と中国人聞こえてその通りに記したとみる方が自然なのです。
「日巫女」は役職名なので、それを担当したと思われる女性を探せば良いのではないでしょうか。
太陽神の言葉を地上に取り次ぐ巫女である「日巫女」に就任できるのは、一人だけだったことでしょう。 中国人が「日巫女」を個人の名と取り違えても、無理はなかったでしょう。
当時の日本は「日巫女」空位の混乱を、トヨの「日巫女」就任によって収拾したと見ても良いでしょう。 「邪馬台国」も「卑弥呼」も、「大和国」や「日巫女」を中国人が呼びやすいように音訳した名前なので、真に受けて探すだけ時間の無駄なのです。 日本はもっと、歴史的な研究や考察を学際的に行うことが、当たり前になって欲しいものです。

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やはり日本の神社はただものではない?!

日本の神社は古代イスラエルの神殿とは、構造、神職の衣装、参拝法があまりにも似ているとは指摘されます。

 

だが、ここに驚くべき記録があります。

 

その一部を紹介します。

 

毎日新聞 2004521

 「明治神宮の森にキリスト教の賛美歌 創建以来初」

 

明治神宮の森に21日、創建以来初めてキリスト教の賛美歌が響きわたった。

米国ブリガム・ヤング大ハワイ校の合唱団50人が奉納した。

アロハシャツ姿で神道の儀礼に従ってお祓いをし、学長夫妻らが本殿で玉串をささげた。

団員は中庭で2拝2拍手1拝して2曲を歌い、参拝客も驚いて足を止めた。

2年前、明治神宮の関係者が、同校を経営する教会の視察に訪れ、交流が深まった。

外山勝志宮司は「歌をささげることは世界平和を祈ることと同じです」と述べた。

 

産経新聞 2007430

 「書評」

 

末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会会員、ヘンリー・B・アイリング長老が、4月26日に明治神宮を表敬訪問した。

教会の十二使徒が公式に明治神宮を表敬訪問をしたのは、教会歴史の中で初めてのことだ。

アイリング長老は七十人定員会会長のD・トッド・クリストファーソン長老、アジア北地域会長のデビッド・F・エバンズ長老と共に、明治神宮の外山勝志宮司と会談を行った。

会談に先立ち、アジア北地域会長会夫妻、日本、韓国、ミクロネシアのすべての伝道部会長夫妻、日本宣教師訓練センター所長夫妻らが共に参詣した。

明治神宮側より歓待された一行は、明治神宮の歴史に触れ、神楽を鑑賞し、日本文化を学ぶ機会を持った。

 

そして、当の明治神宮の公式ホームページは、こう記します。

 

20.3.1更新

 

218日、アメリカ・ソルトレイクからモルモン教十二使徒・オークス氏が表敬されました。

 

お祓いを受けた後、内拝殿で玉串を捧げて正式参拝。

 

その後、巫女による神楽「倭舞(やまとまい)」を観賞し、神道文化に触れられました。」

 

末日聖徒イエス・キリスト教会は、自らをイエスキリスト時代の教会が回復されたとしています。

 

自らをイエスキリスト時代の教会が回復された組織と位置付けている末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者達が、明治神宮でお祓いを受けた後、内拝殿で玉串を捧げて正式参拝と言う滅茶苦茶大変なことをしたのです。

 

末日聖徒イエス・キリスト教会は、現代の生ける預言者である大管長に導かれた教会であるといいます。

 

末日聖徒イエス・キリスト教会、初代大管長ジョセフスミスは御父と御子から直々に教会の組織をするように召されたといいます。

 

その教会の指導者達が、明治神宮でお祓いを受けた後、内拝殿で玉串を捧げて正式参拝したのです。

 

日本の神社は、二本の柱が立つ鳥居、一般の参拝所、拝殿、本殿からなります。

 

古代イスラエルの神殿は、二本の柱、一般の参拝所、聖所、至聖所からなります。

 

どちらも、神職は房の付いた衣装を着て木の枝を参拝に用います。

 

清めに塩を用います。

 

古代イスラエルの神殿には契約の聖櫃アークがありましたが、日本の神社にある神輿はアークにあまりにも似ています。

 

聖書の教えも神道も、神の道を説きます。

 

世界の始まりを、神道は三柱の神からといい、聖書は御父と御子と聖霊のお三方と言います。

 

現世にかかわる神を、神道は太陽神である天照大御神とし、キリスト教はイエスとするが義の太陽として太陽神的な扱いです。

 

面白いことに女神天照大御神に対して男伸天照国輝彦こそが、本来の太陽神であったという指摘があります。

女神天照大御神は、男伸天照国輝彦の巫女であったのかもしれません。

 

あまりにも似ている神道とキリスト教、あまりにも似ている神社と古代イスラエルの神殿、その日本の神社でイエスの時代の教会を復活したという教会の指導者達が玉串を捧げて正式参拝、榊を聖書の時代のヒソブの代わりとして正式参拝したというのです。

 

明治神宮で正式参拝した末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者達は、日本の神社を古代イスラエルの神殿の代わりに使って差し支えないと宣言したに等しい行為なのです。

 

これ、ある意味、日ユ同祖論より強烈なメッセージです。

 

自らをイエスキリスト時代の教会が回復された組織と位置付けている末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者達が、日本の神社はイエス・キリストの神殿と事実上認定したに等しいのです。

 

神輿は契約の聖櫃アークのレプリカと見ても差し支えないと、宣言したに等しいのです。

 

神社の神職は古代イスラエルの神殿で仕えていた神職と見ても差し支えないと、宣言したに等しいのです。

 

そして末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者達は、やがて日本に大いなる時がくると預言しているのです。

 

えらいことになりました。

 

全国に何万とある神社が、キリスト教の神殿扱いですよ。

 

しかも、古い時代神仏習合であったことを思えば、思いがけない寺社がある日突然ってことも考えておいたほうがいいかもしれません。

 

古い寺にはしばしば神仏習合時代の名残りがあります。

 

これから先、何が起こるかわかりませんよ。

 

キリスト教には日本布教の初期、イエスを大日になぞらえようとして、大日が皇祖神天照大御神と習合しているので慌てて撤回した過去がありますから。

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神社の境内はだてに広くなかった。

古くからの神社は、たいていその地域で最も安定的な地盤に建てられています。
 
つまりその境内は、災害時の一時避難場所として最適だったはずなのです。
 

本来の広さの境内が保たれていたら、一体どれだけの人達の避難場所になったでしょうね。

借り受けて避難場所や公園の維持管理費として、最低限の費用で確保されていたらとため息が出るのです。
 
神社の祭りや日々の参拝は、ある意味日常的な避難場所への避難経路の確認にもなっていたはずです。
 
災害時人々は我先に神社に集ってご加護を求めて祈った事でしょう。
 
それは結果として、災害時の避難行動にもなっていたはずです。
 
神のご加護やご利益の多くは、経験的知識の応用や活用の演出だったのです。
 
つまり、神社の信徒獲得と引き留めに活用や応用されていた経験的知識は、神がいたから非科学的に見えてきただけと言えます。
 
古くからの神社の境内はだてに広かったのではないです。
 
神社は災害時の避難施設として多くの命を救ってきたのです。
 
人々はそれを神のご加護として心から感謝し、その広さの維持を認めてきたのです。
 
今の避難場所確保の苦労は、避難場所としての神社の価値を軽く見てきたつけを払っていると言えなくもない気がするのです。
 
今のご時世、あれだけの土地をあれだけの安全性の高い場所に再び確保するのは不可能に近いでしょう。
 
当時の人々がそのことに気が付けていなかったことは、今思えば実にもったいないのです。

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山岳信仰から見えてくる日本と古代イスラエルの繋がり。

山岳信仰で思うのです。
まず滝は、天と地を繋ぐ光の道にも準えられたのかもしれないのです。
陰陽では水は天を白は霊会をそれぞれ象徴します。
更に白は清さや光の象徴です。
滝に打たれるとは、水と清めの白と霊的な光による世俗の罪状払拭祈願なのでしょう。
神に合うには、絶対的な清さが求められるからです。

山の典型的な形の三角は、陰陽では人を表します。
緑に覆われた山が多いが、緑は常若の象徴なので緑の山は常若の神を表します。
稜線は天からの光の象徴です。
霊的な光に包まれた神に合うには、霊的な光で清められた人でなければならない。
だからこそ、霊峰とされた山は軽々しく登ってはならなかったのです。

光に守られて光に包まれた神に会いに行くのです。
これは、神に認められたモーセが光に守られて神に会いに行く聖書の記述に似ています。
更に、地上に現れた常若の光の神は、地上に来臨した永遠の神の幼子イエスに通じます。
やはり神道は、聖書の教えに似ています。
似ているのは神社と古代イスラエルの神殿もです。

山岳信仰の山伏は装束も鳴らす笛も、ユダヤ人と似ています。
神社は建物ばかりか、神職の衣装も祈りに使うものもユダヤ教とそっくりです。
その日本に、古代中東の遺伝子があり、ユダヤと共通の文化や単語が数多く残るのです。
家族性地中海熱も、日本とユダヤに共通な遺伝病です。
ユダヤ人渡来なんてもんじゃないようです。

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東京スカイツリーは東京に立つ巨人なのか。

東京スカイツリーは、日光東照宮からの龍脈と鹿島神宮と皇居〔江戸城〕を結ぶ正に接点に立っています。
 
スカイツリーは三角から丸へと絞り込みされています。
つまり上から丸・三角とくるが、陰陽では天‣人・地は丸三角四角で表わされます。
スカイツリーは天‣人・地のシンボルが東京の結界にあるのです。
 
しかも、東京スカイツリーには五重塔に習って心柱があるのです。
スカイツリーが天と地の間に立つ人とすれば、心柱は背骨にあたると言う事です。
 
日光東照宮の標高634mは東京スカイツリーの高さでもあるのです。
日光東照宮から東京に向かう龍脈の上に立つ東京スカイツリーが、東照宮と高さでも繋がるのです。
 
そして東京スカイツリーは鹿島神宮と皇居を結ぶ線上にあるのです。
その形は台地も含めると正に天人地を表す丸三角四角になるのです。
 
これは偶然なのでしょうか。
 
日光東照宮と鹿島神宮と皇居が作る三角、東照宮からの龍脈と鹿島神宮と皇居を結ぶ線が交わる点に東照宮の標高と同じ高さのスカイツリーが、天人地を表す丸三角四のシンボルとして立つのです。
これは象徴的には、実質的にスカイツリーの上に東照宮があるのと同じです。
日光東照宮の真上の太陽は、象徴的には東京スカイツリーの真上の太陽と見て良いのです。
 
言って見れば、東京スカイツリーは太陽の下に立つ巨人が、日光東照宮からの龍脈と鹿島神宮と皇居を結ぶ線の交点の上にいるのと、象徴としては同じなのです。
 
オカルト過ぎるでしょ。
東京スカイツリーどうなっているのですか。
 
日光東照宮の標高634mは、東京スカイツリーの高さでもあるのです。
 
日光東照宮から東京に向かう龍脈の上に立つ東京スカイツリーが東照宮と高さでも繋がります。
 
そして東京スカイツリーは鹿島神宮と皇居を結ぶ線上にあります。
 
その形は、台地も含めると正に陰陽では天人地を表す丸三角四角になるのです。
これは偶然なのでしょうか。
 
鹿島神宮と皇居を結ぶ線の延長線上に、富士山がそびえるのです。
 
鹿島神宮・東京スカイツリー・皇居・富士山のラインが、日光東照宮からの龍脈と交わるのです。
鹿島神宮・東京スカイツリー・皇居・富士山のラインは、太陽の道なのです。
日光東照宮の本殿も、真上に太陽が来る日があるのです。
 
その交点に東照宮の標高と同じ高さのスカイツリーが、天人地を表す丸三角四角のシンボルとして立つのです。
出来過ぎでしょ。

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猿田彦は塩の神様だったのでしょうか。

天孫降臨で、天照大御神が地上に遣わした人物の名ニニギノミコトも日本語としては意味をなさない名前だが、ニニギノミコトを案内した猿田彦も同じように日本語としては意味をなさない名前ではないでしょうか。

 

しかも、猿田彦は猿田彦神社の祭神とされるが、神社に伝わる猿田彦の顔は日本人としては異様なまでに鼻が高いのです。

 

日本語は時代を遡ると二重母音になるが、旧仮名遣いをみるとワ行母音に近かったと思われます。

 

そうなると、サルタヒコのサルタはソルトに近くなりはしないかと想像しました。

 

伊勢志摩は思った通り、塩の産地なようです。

 

時代をどこまでさかのぼれるのか、興味がそそられます。

 

猿田彦と塩の繋がりについて検索をかけたら、面白い情報が出ました。

 

日南海岸の野島神社の塩筒大神(塩槌翁)と猿田彦(白髭大明神)の複合が肥後にも、見えると言うのです。

 

猿田彦を祭る神社の名前に、塩の付くものが結構あるのです。

 

塩釜神社、塩浜神社、塩屋神社、中之塩屋大神宮、など思った通りサルタ彦はソルト彦の転化である可能性が見えてきたのです。

 

猿田彦崇拝は、九州から伊勢志摩に製塩技術と共にもたらされたのかもしれません。

 

そう言えば熊野神社は、九州にもあります。

 

熊野と猿田彦と塩で調べていくと、何か面白いことが見えてくるかもしれません。

 

さらに、猿田彦の異様に高い鼻と、サルタがソルトの転化である可能性をみると、案内されたニニギノミコトも西方出身者であると考える方が自然でしょう。

 

ニニギは、一体何の転化である可能性がある名前なのでしょう。

 

どうも気になります。

 

何とかして、情報を集めてみたいものです。

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長時間労働を見直さないと子供たちの知能に悪影響があるかも。

この頃、子供たちのご飯離れが進んでいるといいます。
 
味がしないという理由が多いそうだが、噛む回数が半減していることが主な原因とされます。
 
だが、背景には家族団らんの時間が欧米の50%以上あるのに対し、日本は2割を切っていることがあると指摘されます
だとしたら、両親がご飯を味わってよく噛んでいる姿を見せるべきでしょう。
 
家族団らんの時間が少ない上に父親不在の食卓が当たり前となってないでしょうか。
それじゃ、てんてこ舞いな母親が、ご飯をよく噛んで美味しそうな顔で食べる姿を子供たちに見せることは絶望的に難しいのではないですか。
 
ご飯職を本気で守ろうと言うなら、今のうちに長時間労働を改めて父親も参加した家族団らんの食卓を復活させた方が良いでしょう。
ただし、食卓の支度や片付けを母親だけにしわ寄せするのではなく父親も参加した家族のイベントとして定着させる取り組みも必要でしょう。
今時の父親であれば、家族との触れ合いの時間として喜んで加わる人は多いかもしれません。
 
多少の手際の悪さを大目に見て回数を重ねれば、家族の一体感だって深めると思うのです。
 
よく噛むことは、知能の発達にも良い事はよく知られています。
 
子供たちの噛む回数の半減の背景に、父親不在な上に十分な時間が取れない個食化した食生活があるとしたら、日本の長時間労働は長い目で見れば子供たちの知能の発達にまで悪影響を及ぼす悪弊になっていると言う事ではないですか。
 
もっと危機感を持って欲しいのです。
 
日本で好まれているパンは、欧米に比べて柔らかすぎます。
ヨーロッパのパンは、フランスパンのようにもっと噛み応えのあるものが結構あるのです。
本場フランスのフランスパンは日本のものよりも歯ごたえがしっかりしているし、肉だってそうです。
 
噛む回数が減っていると言う事は、日本の知能の発達の危機でもあるはずです。
 
さらには、個食の増加を含めた家族団らんの時間の減少も、子供たちの知能に対する刺激を偏らせる事につながりかねない危険性をはらんでいるのです。
 
噛む回数の減少と重ねると、子供たちの知能に良いわけがないでしょう。
 
忙しいなんて言ってる場合じゃないですよ。
危機的状況になってからじゃ、遅いのです。
たかが食生活、されど食生活なのですから。
 
食べるという行為を、甘く見ちゃいけないです。
 
十分な睡眠と並んで、心と体づくりの基本中の基本なのです。

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神とどう付き合いますか。

日本は、先例様・前例様・慣例様が絶対三神として祀られている感じが半端じゃなくするのです。

日本の持っている知識・技術・ノウハウが、なんで世界をリードできる可能性やポテンシャルを持ちながらグローバルスタンダードを取れないのでしょうか。

 

日本の先例様・前例様・慣例様の絶対三神への絶対的な服従に近い思考と行動のパターンが、妨げになっている感じが半端じゃなくするのです。

多くの日本人がこの先例様・前例様・慣例様の三例絶対神崇拝にとらわれていると十分に気付いているとは言い難い程に、日本人の思考と行動パターンに染み込んでいるようです。

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神崇拝は自然の脅威からは守ってくれたかもしれないが、今は違うのです。

ここに気が付けないと危ないでしょう。

 

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神に従うなと言うのではないです。

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神からの学びを、知識としてではなく知恵として身につけて活用出来るかどうか問われているのです。

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神の知識を知恵として生かせるだけの成長が、出来ているかが問われるのです。

 

安全神話と言う言葉を聞くたびに、違うだろと言う感じを強くします。

安全は私たちを守ってくれないのです。

安全は結果であって、原因ではないからです。

これがあるからここまでは安全とは言えるが、人のすることに絶対はない以上、人の手に頼る限り絶対安全はあり得ないのです。

絶対安全は神だけが保証できるのです。

 

言い換えれば、安全神話とは無力な偶像を崇拝する愚かな選択と言うことになります。

人の手によって確保される安全の限界を自覚し、それを超えた時自分の身をどう守るのか守れるのか、考える発想が日本人には求められています。

限界を超えた事態を想定外にしない発想が、求められているのです。

 

神には、二通りあります。

生れながらの神と、祀り上げられた神です。

祀り上げた神が存在するのは、生れながらの神が存在するからです。

生れながらの才能の人がいるから、努力して近づく人がいます。

生れながらの美があるから、努力して表現される美があります。

同じように、はるか太古から存在する神がいるのです

 

生れながらの神は、しばしば祀り上げた神になります。

だが、祀り上げた神が全て生れながらの神ではないのです。

ここを混同すると、神を見失うことになります。

太古からの神は決して廃れることはないのです。

廃れるのは、祀り上げたに過ぎない神であり偶像に過ぎなかった神もどきです。

ここを見誤ってはいけないのです。

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「猫じゃ踊り」幻影。

実は猫じゃ猫じゃには、影があるのです。 

 

「猫じゃ踊り」は江戸時代に猫の二本足で「じゃれ立つ」仕種から考えられるようになった、「猫踊り」伝説に関連し作られた小唄と思われています。

 

「猫じゃ踊り」は、どういった場で歌われたかです。

昭和初期まで「見世物小屋」でよく猫じゃ踊りは行われていました。

 

こういういきさつを知っている人は、あまり神様云々とは関係無いようだと、疑われた人もいたのではないでしょうか。

 

私も以前は同じように考えていました。

 

猫には人っぽい仕種やポーズもいっぱいあって、猫好きから喜ばれています。

 

猫のじゃれる仕種や、寝相には踊って見えるものも多いのは確かです。

実際には猫を特訓し、三味線の音色に合わせて二本足で踊っていました。

 

特訓の方法ですか。

残酷すぎて、私は話すのをためらいますが、踊りとの関係で、触れないわけにはいきません。

鉄板の上に猫を乗せ、その鉄板を熱するのです。

 

猫をどういう状態で乗せるかは、二説あります。

一つは、そのまま乗せて、跳ねださせる。

もう一つは、後足だけ保護して立ち上がらせる。

 

どちらの場合も、跳ねだしたり、立ち上がりだしたら、間髪入れずに三味線を弾く。何度も繰り返すと三味線に合わせて、猫が踊りだしたように見える。

 

いくら見世物とは言っても、これは酷過ぎます。

いまやる人が出ないのも、うなづけます。

とは言いましても、この猫踊りの仕種がその後の日本舞踊史に、大きく影を落としている可能性は見逃せません。

 

それに、尾の短い猫がいる理由は、娯楽用演芸だけでは説明しきれません。

流行り廃りもあるのが娯楽です。

それから、猫の尾は猫岳の伝承に由来する物で、誕生後すぐ切断される習慣があつたといいます。

これを九州での猫の尾が短い理由と言う人もあるようです。

 

けれども、日本以外にもお曲がり猫のような尻尾の短い猫がいるのが説明できますか。

 

それに「猫踊り」伝説の背景って、何でしょう。

人工的にいくら尻尾を切り続けても、尻尾が短くならないのは、鼠の実験で証明されています。

交配以外には定着する事はないです。

猫が自分から尻尾を短くする事はありません。

 

短い猫、曲がった猫が誰かに何らかの目的で、あつめられたとしか言いようがないです。

そこで仮説を立てて見たわけです。

 

神職と禰子の関係と、太陽神を巡るエジプト神話との類似性の濃い伝承の存在なども不思議です。

 

猫修行の俗説、謎に満ちた秘密の修行の場と猫や、根子の地名との繋がりがあります。

 

猫岳を巡っては、興味深い話も、いろいろありそうですし。

猫はこもったり、瞑想したりするので修行してると思われてきました。

 

だけれども、猫が行者の真似をするでしょうか。

ここで発想を転換すると、どうでしょう。

行者が猫の物真似をしたのだと。

 

だって、猫は太陽神の化身なのです。

しかも、物真似は猿の得意芸でもあります。

猿は太陽神の熱心な崇拝者と、古代エジプトではされていたのです。

日本でも、太陽神アマテラスの子孫神武天皇を猿田彦が案内しましたよね。 

 

「猫の修行」の伝承で、猫はこもったり瞑想するという話題を取り上げました。

 

実際は猫が死の直前に姿を消す習性と、なわばり内の猫たちが「猫の集会」と呼ばれる社会を形成している様子から想像されたものだそうです。

それから、謎に満ちた秘密のと申しましたが、修行の内容が謎という事です。

 

修行の場はかなり具体的に九州では「阿蘇の麓猫岳」と語られてきました。

 

一種の猫のコミニティが形成されているという伝承についていえば、パブテスマを連想する話もあったりしました。

 

太陽神とのつながりを見ても、「猫岳」にはちょっとみつかりません。

 

むしろ「夜」に関連する話ばかりです。

 

夜といえば猫は、太陽神の眼となって夜道を行くのでした。

 

月がやたら出てきた時の事を、思い出します。

 

雌猫は月の女神でもあります。

月は陰陽では陰に配されます。

男性が陽に配されるのに対して、女性は陰に配されます。

イエスはマリアによって受胎するまでは、霊の姿でヤハウエとして、再臨の時を待たれておられると解釈できるでしょう。

イエスは義の太陽神に擬せられるが、受胎を待つヤハウェは月に擬せられるのか考えると面白いけど深入りしません。

 

天照大御神の岩戸隠れと、イエスの葬り、ともに岩で蓋をされた横穴であり二人の男性によってその岩がどけられ最初に女性に出会うのは偶然でしょうか。

しかも、イエスの死の時も暗闇がやって来ているのです。

 

猫がイエスのメタファーとされる文化があることを思えば、興味ひかれることではあります。

 

和風諡号に"ねこ"がつく天皇は何名かおられるのも、その一つです。

その一部をあげます。

 

漢風諡号は孝霊天皇、和風諡号は大日本根子彦太尊または大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)天皇。

生没年 孝安天皇51(?)~孝霊天皇76(?)

 

漢風諡号は孝元天皇、和風諡号は大日本根子彦国牽尊または大倭根子彦国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)天皇。

生没年 孝霊天皇18(?)~孝元天皇57(?)

 

漢風諡号は元明天皇、和風諡号は日本根子天津御代豊国成姫(やまとねこあまつみしろとよくになりひめ)天皇。

生没年 齊明天皇7(661)~養老4年(721)

 

漢風諡号は元正天皇、和風諡号は日本根子高瑞日清足姫天皇(やまとねこたかみずひきよたらしひめのすめらみこと)天皇。

生没年 天武天皇9(680)~天平20(748)

 

天皇も太陽神アマテラスの祭司、それも最高祭司でいらっしゃいます。

そして祭司有資格者は、禰子つまり"ねこ"であり"根子"です。

実は、大日本根子は天皇陛下の尊称であるそうです。

 

そして、ここから猫=根子が、天皇の隠語となるのです。

 

踊りは元々神々との交信や交流でありました。

 

猫踊り伝説の背景は「猫の生態」だけで充分で、様々な伝承が付加する事はいろいろあっても、それは個別に解釈しないと混乱すると言う声もあるでしょう。

 

けれども猫に関係ある、いろいろな資料を調べているうちに湧き上ってきた疑問を整理したら、こういう仮説が出来上がってきただけの事です。

 

猫の踊り、一筋縄ではいかぬ謎が山盛りなのかもしれません。

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