民俗

本当にこれって原罪?

アダムとイブが蛇にそそのかされて、禁断の木の実を食べてしまう話は、聖書を知らない人でも一度は聞いたことがあるでしょう。

 

ここは、創世記の中でも、有名かつ、結構重要な個所です。

 

ある意味、聖書の一番の肝と言える部分でしょう。

 

なぜなら、この出来事がアダムとイブの楽園追放に繋がっていくからです。

カトリック教会のステンドグラスや壁画には、裸でエデンの園を追われる失楽園が描かれ、数々の名作も残っています。

 

多くの教会が原罪と位置づける部分であり、イエス生誕はこのアダムとイブの堕落からの救いとして説いているからです。

 

だが、本当にその解釈で良いのでしょうか。

 

アダムとイブは、皮の着物を与えられてエデンの園を出ているのですよ。

 

創世記 3 21

主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。 

 

では、問題の個所を見ていきましょう。

創世記 3 45

4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 

5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

 

ここは新共同訳でもこう訳されています。

創世記 3 45

4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 

5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

 

ところが欽定訳(キングジェームスバージョン)ではこう訳されています。

Genesis Chapter 3 verse 4~5

4 And the serpent said unto the woman, Ye shall not surely die:

5 For God doth know that in the day ye eat thereof, then your eyes shall be opened, and ye shall be as gods, knowing good and evil.

5節の訳はほとんど変わりません。

 

問題は4節です。

Ye shall not surely die:

この言葉は神がアダムに告げた“thou shalt surely die” 217節)の“surely die”を受けたものです。

thou shalt surely die”は「あなたに禁ずるよ必ず死ぬからね」と言うことです。

そこでイブも、“lest ye die”33節)「死んではいけないから」と答えています。

surely”は「間違えなく」「確かに」と言う意味です。

また、“shall”は「そうする」「そうなる」「そうするつもりだ」「そうするべきだ」と言う意味です。

そこで” Ye shall not surely die”は「あなたが死ぬと決まってはいない」とも解釈可能となるでしょう。

蛇はこの言葉の裏に、「神が言ったからって、真に受けない方が良いよ。神はあなたたちを脅かしてるだけだから」という気持ちを込めているのです。

蛇は「ここでアダムとイブに死なれちゃ困るという神の本音を私は知ってるよ」とほのめかしたと言えるかもしれません。

でも、神は蛇、つまり、サタンがそこを見透かしてアダムとイブをそそのかすことまで見抜いておられたわけですね。

 

神様の方が一枚上手というか、ある意味ずる賢いというか、でもそれくらいじゃないとサタンの上にいられないですよね。

神様は、わたしたちに「ここまでおいで」と言うのでしょうけど、かなりのむちゃぶりですよね。

マタイによる福音書 5 48

それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。 

だからこその、救いの計画なのでしょう。

神の深い読みと、深い愛に改めて感謝。

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日本人はもっと議論とは何か、知った方が良い。

日本人の多くは、議論の仕方を知らなすぎるように思えます。

「弁証法」と言う言葉や思想があります。

弁証法とは「対立する立場や要素同士が、対立しつつ相互に依存しあい、相互に依存しあいながら対立しあうことを通じて物事は展開し発展する」と言う考えを表しています。

似た発想は、実は古代思想の陰陽にもあります。

「対立する立場や要素同士が、対立しつつ相互に依存しあい、相互に依存しあいながら対立しあうことを通じで物事は展開し発展する」ありさまを「弁証法」と言うのは建設的な議論はまさにこの様なものだからに、ほかなりません。

 

論破は議論の一つの側面だが、議論のすべてではないのです。

日本人はこれを知らなすぎませんか。

これは日本人の集団の原点が、親子や兄弟に代表される上下関係だからではないでしょうか。

このような関係では、相手を従わせることは相手の意見を論破し封じ込め黙らせるしかない、どうでしょうか。

 

集団の方針を徹底させることが最優先な場では、自由な意見交換は結束を乱すとして排除されてきたのではないでしょうか。

自由に意見を述べさせていると言う人もいるでしょう。

それでは、彼らが出した意見は、どれだけ決定に反映されていますか。

言いたいことは一応言わせたし、聞いてやった、文句あるかという口実にしてるのではないですか。

 

論破か服従が全て、これでは議論するという文化が生まれる余地は少ない、そう思いませんか。

 

欧州世界で弁証法と言う発想が芽生えたのは、社会は独立した個人の集合だったからでしょう。

独立した個人の集合である社会の場合、論破と服従ではかえって新たな対立と混乱の火種を抱える結果となるでしょう。

みんなの納得するより良い意見に議論を収束させ丸く収める必要があったからだ、そう思えます。

そのために弁論術が発展してきたのでしょう。

 

より説得力をつけ主導権を得る事が、議論では大切になってきます。

議論に説得力をつけるには、何よりもまず論理的でなければならないのです。

感情的議論は水掛け論に終わります。

 

哲学は、議論を戦わせる人達に論理と言う便利な道具を与えました。

弁証法と言う発想もこういう世界だから生まれてきたのでしょう。

議論も万物を貫く哲学に従う方が好ましいからです。

議論に普遍性があるかないかで、説得力に大きな差が出てきます。

 

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」

18世紀のフランスに生きた哲学者ヴォルテールの言葉です。

言論の自由は、これくらいの覚悟があってはじめて守り通すことができる、違うでしょうか。

多くの人たちがこの気持ちを共有できてこそ、言論の自由は本物になる、違うでしょうか。

 

このような考えが当たり前になれば、意見を言う事も命がけではなくなりますよね。

「私はあなたの意見には反対だ、だからあなたには黙っていていただきたい」

たとえ言葉で言わなくとも、無言の圧力が周囲からかかるようでは、ちょっとした感想でさえ言うのは命がけに近くなる、違うでしょうか。

今、漫才師の村本大輔氏の発言が多くの人たちによって取り上げられて、賛否両論が出ています。

だが、村本大輔氏の意見を批判してる人の多くは、お前の意見を私に押し付けるなと言う立場に見えるのは気のせいですか。

だが、村本大輔氏は自分の思いを言っているだけで誰にも押し付けてはいないのではないでしょうか。

むしろ批判している人たちの方が、自分の意見に村本大輔氏は従えと押し付けているようにさえ思えてくる。

どうでしょうか。

 

あるいは、芸人は芸だけしてればいい、余計なことは言うなと言わんばかりの声もあるようです。

多分その人も、何々の分際でそのような口をきくか、黙って従っていればいいという環境に飼いならされてしまっているのではないか、そんな気がしてなりません。

 

例えば、村本大輔氏の「殺すくらいなら殺される方を選ぶ」と言う発言に賛否があるのです。

私はそれは嫌だという人は、その考えを押し付けるなと言う意見が多いように見えます。

内容の是非以前に、私は従うのまっぴら御免と門前払いして、彼の議論に勝とうとしているとさえ思えるのです。

村本大輔氏は自分はこうしたいと言っただけで、あなたもそうしてくれとは言っていない、違うでしょうか。

 

意見を言うこと=押し付け、ならだれもモノが言えなくなるじゃないですか。

日本人ももっと、議論をするとはどういうことか、一から学びなおす方が良いように思います。

違うでしょうか。

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休息と聖書?

毎朝、町を行く人々の顔を見てふと思うのです。

朝だと言うのに、生き生きした表情の人があまりにも少ない国だなあ、日本、と言う事です。

朝から疲れた顔の勤め人が多いのは、慢性化していている残業などの長時間労働に加えて、職場の人間関係を円滑にすると称してのいわゆる飲みにケーションと呼ばれる上司や同僚との付き合いも、疲労蓄積に拍車をかけているのではないでしょうか。

日本もアフター5は個々人の自由な時間であってしかるべきではないでしょうか。

日本も経営者や上司が、残業など長時間労働や社内の付き合い酒などを抜本的に見直した方が良いのではないですか。

個々の社員に早く帰れと啓蒙するより、経営者や上司の意識改革に国や地方自治体が腰を据えて取り組みを進めるべしでしょうね。

過労死問題に取り組んでこそ、医療費抑制や生産性向上につなげることになるのではないでしょうか。

有給消化率最低の日本の労働生産性が17位、ゆるく働いているイメージの強いイタリアの労働生産性が20位だが、実際には差はほとんどないと言えるくらい僅差です。
それってつまり、慢性的に疲れている日本の労働者の生産性が人生エンジョイしてるイタリアの労働者の生産性と大差ないってことです。
 
馬鹿らしいですよね。

人生エンジョイ型のイタリアの労働生産性と日本の労働生産性が大差ないって、どう思いますか。

根が真面目な日本人がイタリア人と同じくらい元気に働いたならもっともっと生産性があがるんじゃないですか。

誰もそんなこと考えられないくらい疲労が蓄積してるんですか、日本人。

だとしたら、悲し過ぎますよ。

本気で過労死問題に取り組んで欲しい、そう思いませんか。

過労死レベルの長時間労働にきちんとメス入れないと、更に労働生産性が落ちてイタリアに抜かれるかもしれないですよ。

イタリアの労働生産性が上がるからじゃないです。

日本の労働生産性はさらに労働者が疲労をため込んだ結果、さらに落ち込んで抜かれる可能性があるってことですよ。

多くの大企業で不正が発覚しました。

まともに考えられるなら、不正は結果として割に合わない、と言う正常な判断ができるはずですよね。

自覚症状がないくらい疲労は慢性化してるんですか、経営者までもが。

忙しいとは、心亡くす、心亡ぶ、って意味がある事さえ経営者も気が付けない位なら、もはや重症じゃないですか。

働くのは、誰のためなの、何のためなの、会社は、誰のためにあるの、何のためにあるのでしょうね。

日本は、そんなこと考えないままに突っ走ってきたのかもしれないですね。

西洋キリスト教文化圏では、人生とは、働くとは、どういう事か真剣に問うた時代があります。

今の人たちは、そんなこと忘れてるかもしれないですけどね。

少なくとも西洋キリスト教圏では、労働は神に課せられた罰であって信仰のために人生の時間の多くを割くべきと言う発想が根底にあるのです。

だからかもしれないが、労働時間の短縮は案外すんなりと合意が成立したようですね。

もちろん労働運動や政治運動の力も、大きかったようですけどね。

東洋、少なくとも日本では、勤勉が美徳とされ休息が取りにくい文化があるとは指摘されています。

休息は勤勉へのご褒美と言った感覚があるとも、指摘されてきました。

しかし、休息は人間らしく働くために必要であり権利である、と言う考えが世界の当たり前になりつつある今、ついていけないとだめになるでしょうね。

つまり、日本で働き方改革をすると言う事は、休息は基本的人権の一つであると言う発想の転換を社会の隅々にまで根付かせると言う事なのではないでしょうか。

意識改革の取り組みを国と地方自治体が本腰を入れて取り組みことに他ならないのではないでしょうか。

休息と怠けは別だと言う、意識改革こそ必要なのではないでしょうか。

ここがきちんとすわらないと、だめなのですよね。

怠けることがいけないのは、世界共通です。

むしろ怠け心が起きるような疲れがたまって抜けない働き方をしてる方が、問題なのです。

ちゃんと休息をとって十分に疲れを取るなら、気力が充実して怠け心など起きないはずです。

逆に言えば日本の働き方は、適当に怠けないと体が悲鳴を上げる働き方と言う事なのです。

キリスト教的倫理では怠け心は悪魔のたぶらかしに負ける事だから、それに勝てる気力と体力をつけて備える必要があるとなるのです。

だから、十分に休息を取らないといけないのですね。

休息を基本的権利として受け入れる文化的素地が、こう言うところにもあるのかもしれないですよ。

日本の労働時間がとかく長くなりやすいのは、休息は勤勉のご褒美だから、より長くよりきつく働いて多くの仕事をこなしたものが多く休めると言う不文律があるからかも知れません。

結果として、適当に怠けないと体が壊れるから長時間で低生産性の労働に必然的になっていくのかもしれないですね。

ここの発想を変えないとだめなのです。

欧米の発想の根底には、聖書とキリスト教がある、ここを踏まえておく必要があるでしょうね。

それは長い歴史の中で、彼らの精神に深く根ざしたものとなりもはや無意識のレベルにまで達していると言って良いです。

彼らに受け入れやすいように、変えられてしまったところもあるようですけどね。

世界の大半は彼らによって植民地化され、程度の差こそあれ、根付かさせられていると見た方が良いでしょうね。

日本人も少しは聖書やキリスト教について知っておかないと、彼らの発想の基本が理解できないってことなのです。

信じろとは言わないけど、知識として知っておいて損はないでしょうね。

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吉備団子を食べると何が香ってくるだろうか?

岡山県の旧吉備国地域の土産として有名な餅菓子の一種に、吉備団子(きびだんご)があります、

この吉備団子は江戸時代末期に考案にも拘らず、桃太郎の吉備団子と同一視される経緯があるといいます。

桃太郎に結びつくには、それなりの起源の古さがないとおかしいが、現在のような餅菓子の一種になったのは江戸時代末期の事らしいです。

現在に至る改良製品は、餅米の粉を混ぜて求肥を作り、これを整形して小さく平な碁石形の円形に仕上げるのです。

黍の粉を混ぜて風味づけするものもあるが、使わないものもあると言います。

風味付けに黍粉を使うことがあるのは、元々の原料が黍であることに由来する可能性もあるが、定かではないです。

安政年間(1856年頃)に広栄堂により考案されたとされるが、郷土史家の研究によると団子の起源としては年代が合わないと言うのです。

求肥式の製品考案も明治のことだというから、桃太郎の時代からこのような形でなかったことは確かであるでしょう。

吉備団子のルーツを、岡山の吉備津神社で黍団子がふるまわれたり、境内で飴が売られていた故事に求める声もあるらしいです。

飴と団子では違いがありすぎて少々無理がありそうなので、名前から言っても、製法から言っても、起源を黍団子に求める方が自然に思えるのです。

 

吉備団子と桃太郎の結びつきも、明治時代に菓子製造者が桃太郎のきびだんごと称して販売促進に利用したことに由来するものか、はたまた、昔からの伝承にあやかったものか、定かではないです。

昭和にはいると、桃太郎は吉備津神社の主祭神吉備津彦に由来するとの説がおこる。

それには、この地に伝わる温羅退治が深く関わっているのです。

 

餅菓子の一種である岡山の吉備団子に黍粉による風味付けがあるのは、元々黍団子だったからと言う説が出てくるのは、黍団子の材料となる黍が「もち黍」だったことによるのです。

「もち黍」は、団子や餅の原料とされます。

黍には「うるち黍」もあるが、こちらはもっぱら菓子の原料とされる。黍団子(きびだんご)は、文字通り「黍」(きび)を粉にしてこしらえた団子で、遅くとも15世紀末には用例が見つかるとされます。

桃太郎のおとぎ話では犬・キジ・猿に「きびだんご」を与えてお供を得ることが知られるが、元禄の頃までは「きびだんご」ならず「とう団子」等だった見る議論も展開されています。

 

十団子(とうだんご)は和菓子の一種で、団子または類するものを紐や串でつなげたものである。同名の別菓子が複数あるが、元をたどると江戸時代にさかのぼるらしいです。

一つは、今も地元で作る現在の静岡県静岡市にある東海道の宇津ノ谷で売られた団子です。

もう一つは、かつて宮城県塩竈市の名物として作られたあられもちです。

また、十団子は愛知県名古屋市の熱田神宮にゆかりの藤団子の別名でもあります。

 

黍団子については、昔、麦粉や黍などの雑穀の粉を蒸してついた食物は「餅(べい)」と称していたという考察が、江戸期の暁鐘成の随筆にあります。

「餅」の読みについては「ぺい」の可能性が高いが、実際のところは定かではないらしいです。

また、江戸期の暁鐘成の随筆によれば今の餅は、本来「餐(さん)」と呼ばれていたといいます。

 

餐とは、「食べること」あるのは「食べるもの」のことなので、地域によっては黍団子は古来から主要な食品であったことがわかります。

 

吉備国、特に吉備津神社と「黍団子」という食べ物のとあいだには、少なくとも17世紀初頭までにはなにかしらのゆかりができていたようです。

 

岡山県は、桃太郎に出てくるきびだんごは吉備団子だとして、温羅退治とも結びつけて、うちこそがご当地である名乗りを上げています。

だが、皮肉なことに桃太郎の話を遡ると団子は、「とう団子(十団子)」、「大仏餅」、「いくよ餅」などの名前が上がる一方で、初期のころのには「きびだんご」の名はみえないといいます。

 

「とう団子」についてはすでに見たので、「大仏餅」「いくよ餅」についてみていきます。

 

「大仏餅」は、大仏の形を焼き印で押した餅菓子です。

江戸時代、京都の誓願寺門前や方広寺大仏殿前の餅屋で売り出したのが始めと言います。

奈良名物のものは東大寺にまつわり、鎌倉時代から伝わります。

 

「いくよ餅」は、江戸両国の名物餅で餅をさっと焼いて餡を付けたものです。

元禄(16881704)の頃、小松屋喜兵衛が妻幾世の名をつけて売り出しました。

 

こう見てみると、「とう団子(十団子)」、「大仏餅」、「いくよ餅」などの名前は江戸時代よりもさかのぼることはできないでしょう。

 

一方、特定の団子の名前が作中に見えないと言う事は、それぞれの土地の団子をそこに当てはめて物語をその土地に結びつけていったと見る事ができるでしょう。

 

我こそは桃太郎のご当地であると名乗りを上げている土地は複数あります。

 

岡山県岡山市・総社市

香川県高松市

愛知県犬山市

奈良県磯城郡田原本町

 

これら、名乗りを上げている土地にもいろいろ言い分はあると思うが、桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのも明治時代からであるといいます。

それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはないです。

また、団子も、黍団子以外にも、粟・稗の団子の設定などバリエーションがあることや、桃太郎の話自体にも先に挙げたほかにもいくつもの変形があることだけ、触れておきます。

 

吉備団子についての考察なので、今回は桃太郎にこれ以上踏み込ません。

 

吉備団子の吉備の名も、黍の収穫量が多かった事に由来する地名だと言われています。

 

粟に由来する阿波国や木の国が転じて紀伊国となった例などもあり、吉備=黍の転じたものであろうと考えられているわけです。

 

黍は、イネ科の一年草で、穀物の1種で、日本では五穀の1つとされます。

秋に花が咲き、実が黄色であることから、「黄実(きみ)」→「きび」となったとするのが有力な語源説です。

「うるち黍」「もち黍」の二種があり、黍団子には「もち黍」が使われているのは、すでに見た通りです。

アワより少し大きい実を、そのまま炊いて粥にして食用にしたり、粉にして餅や団子などにしたりします。

黍はインドが原産と推定されるが、原種になった野生植物が発見されておらず詳しい事はまだわかっていないのです。

中国の華北地方では、アワとともに古代の主要穀物でした。

日本には縄文時代に渡来したアワより遅く、弥生時代に渡来したと考えられています。

生長すると1メートル程度になり、夏から秋にかけて茎の先に20センチメートル程度の穂ができ、垂れ下がる。現在では、お菓子の材料や小鳥の餌として利用される程度の用途しか用いられていないです。

 

吉備の国の国名の由来にまでなった黍も、今ではお菓子の材料や小鳥の餌として利用される程度の用途しか用いられていないのは、少々残念な気がするのです。

 

どうやら、吉備団子はもともとは「もち黍」を原料にした黍団子であったものが、「もち米」を用いた「餅菓子」に風味付けとして黍粉をまぶしたものに簡素化され、ついには黍粉さえまぶされなくなった「(吉備で作られた団子だから)吉備団子」にまで変質していったものと思われます。

 

古来、高い技術力を持っていた吉備の国、その国名の由来となった黍を原料としたところに名の由来があるであろう吉備団子から黍の要素が薄れていくのは、なんとも寂しい気がするが、これもまた時の流れでしょうか。

 

吉備の国の基礎を築いた民は、どこから来たのかと言う、古代のロマンに思いをはせながら、せめて黍粉で風味付けされた吉備団子を味わってみたいがするのです。

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菅原氏。

菅原氏について調べてみる気になったのは、ひょっとしたら祭司の家系ではないかと言う気になったからです。

菅原氏の祖とされる天穂日命は日本神話に登場する男神で、天之菩卑能命、天菩比神などとも書かれます。

天照大神とスサノオが誓約をしたときに、天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った神とされます。

物事のタネとなるものをさす物実(ものざね)の持ち主である天照大神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたります。

ちなみにアメノオシホミミのフルネームであるマサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミは、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、正哉吾勝々速日天押穂耳尊などの表記があります。

天穂日命は葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかったのです。

その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされます。

菅原氏の直接の祖とされるのは、天穂日命の子孫で、大相撲の祖として知られる野見宿禰を先祖とする土師氏です。

 大相撲自体すでに神事として営まれているでしょ。

菅原氏は祭祀に関与した一族である可能性が高いですね。

 その上菅原氏は土師氏の流れをくむとなれば、さらに可能性が出てきます。

大相撲の祖とされる野見宿禰はまた、殉死者の代用品である埴輪を発明したことでも知られそれがきっかけで第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われているから、祭祀に関わる一族であると言えるでしょう。

 殉死の代わりに土で作った埴輪で差し支えないと、説得力をもって説き伏せてしまう。

相当神事の奥義に通じていないとできないはずですね。

野見宿禰、かなりの神仙思想の使い手である技能に通じた人物であったと言えそうです。

神仙思想に詳しい技能者と言う事は、メーソンを連想できますね。

メーソンの関与を連想できる遺跡としては、酒船石遺跡があります。

酒船石遺跡とは、酒船石と平成12年(2000年)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および周辺の遺構を含めての総称です。

神仙思想に詳しい腕の立つ石工による工作物、という指摘がされた遺跡ですね。

神仙思想に詳しい腕の立つ石工とは、まさにメーソンの説明そのものにほかならないです。

 野見宿禰がもしメーソンだったとしたら、相撲にその証拠を見ることができますね。

土俵は四角で、そこに蛇の目を指し示す俵の円があります。

つまり、四角の中に円、定規とコンパスはメーソンのシンボルです。

さりげなく見せながら隠すのが、奥義なのです。

メーソンとくればカッバーラだけど、カッバーラとはユダヤ教神秘主義のことですよね。

あなたは土から生まれたから土にかえる、あなたは塵から生まれたから塵にかえる。

有名は聖書の一節ですよ。

野見宿禰がメーソンでありカッバーラの使い手であったなら、あり得る話ですね。

でもこれは、当時の日本のトップにいた人たちが聖書を知っている事が前提ですね。

初代神武天皇からして、実はユダヤだったとしたら、どうでしょうか。

少なくとも神武天皇のバックにいた可能性が高い徐福についてはユダヤ人であったと言う説があります。

日本人のルーツのうちで、どこまでがユダヤ人と言えるかについては、諸説あるようです。

 少なくとも天孫一族については、ユダヤ人説があるでしょ。

 縄文、弥生となると、どうでしょうね。

皇室やその周辺はユダヤ人だった可能性は、見ても良いかもしれないですね。

縄文や弥生についても、可能性は否定しない方が良いでしょうね。

土師氏のうち平安時代初期に大和国菅原邑に住んでいた一族が、以降、菅原氏を名乗ることとなります。

土師氏から分かれた一族としては、菅原氏のほかに大江氏や秋篠氏があります。

菅原古人の子清公、および孫の是善を含め、大江氏と並んで子孫は代々、紀伝道すなわち文章道を家業として朝廷に仕えていました。

そして、古代には政(まつりごと)は祭り事(まつりごと)でもあったから、菅原氏は文章道を家業としていたなら相当に祭祀に通じていた家系であると言えるでしょう。

菅原氏、少なくとも菅原道真は天神を篤く崇拝していたと言います。

天神は雷神として知られるが、菅原氏の祖は天穂日命で、どこでどうやって雷神としての天神と結びつくのかが、謎めいています。

だが、雷神と言えば雷鳴、つまり、雷です。

「かみなり」は「神鳴り」や「神成り」に通じた音と言う事は、雷鳴を神の声と言い換えても良くなるはずでしょう。

地上に神の声を下す存在として雷神を見ると、神にお伺いを立てることを菅原氏は本来生業としていたと見ても良いでしょうね。

相撲もまた、神託伺いの神事の側面があると言えるでしょう。

力士は祭司、あるいは、神の依り代の役を担う存在であったのかもしれないです。

その力士の祖を起源としている菅原氏は、やはり、祭司一族と見て差し支えなさそうです。

とは言え、菅原氏を考察していたら、まともに日ユ同祖論にぶつかってしまったのは興味深いですね。

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やはり相撲は中東起源。

『相撲』の発祥の地は古代メソポタミアと見られているが、エジプトはベニ・ハッサンのバケト3世岩窟墓にはなんと、相撲の技一覧図としか言いようのない壁画があるのです。

圧巻なのは、王墓の狭い方の面とは言え一つの壁面が丸ごとその一覧図に充てられていること。

狭いと言ったって、壁面にはかなりの広さがあるので、視野が技の一覧図で丸ごと占領されるだけの迫力ある壁画です。

 

まわしをして組み合う二人の取り組みが実に見事に描かれているその壁画は、うっちゃり、外掛け、内掛け、首投げ、足取りなどなど、相撲のほとんど全ての技がそっくりそのままと言っていいほど表現されていると言います。

 

メソポタミアの遺物でも相撲を表現したとしか思えないものはあるが、王墓の壁面一つ丸ごと相撲の技一覧図って、エジプト人どれだけ相撲好きだったんですか。

 

吉村作治教授は神社の原型はピラミッドコンプレックスと言うが、やはり、日本の原点は中東ってことなんでしょうか。

狛犬も元をたどればピラミッドコンプレックスのスフインクスと、吉村作治教授は指摘しています。

そう言えば、日本には古代中東の遺伝子もあるのですよね。

 

神話の体系も、太陽神を頂点とする三神構造と動物を含む八百万の神が織りなす神界を日本と古代エジプトは共有です。

日本人の足に多いのがエジプトタイプで、味の好みも日本とエジプトは似てるのです。

 

バケト3世王墓の壁画がもし相撲であるなら、古代エジプトでも相撲は重要な競技だったことになるでしょうね。

 

韓国人は相撲も自国が起源と言いたいようだが、メソポタミアや古代エジプト発祥の相撲の伝播の中継点の一つと見るのが妥当でしょう。

 

朝鮮半島では高句麗の壁画が確認される最古の相撲を描いたものと言うが、百済、新羅、高句麗はいずれも日本に亡命しているので、その後の新羅滅亡後の高麗壁画にある相撲は亡命しきれないで残っていた人達から伝わったものが記録された可能性があるでしょうね。

 

恐らく天孫族の日本渡来で朝鮮半島を通過した際、行われていた名残が今もかろうじてあるに過ぎないかもしれません。

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欧米のキリスト教のイスラム感を考えて見た。

もっともっと、日本人も宗教に関心を持って欲しいのですけど。

世界の中で宗教にまったく無関心な人は、実は少数派ではないでしょうか。

中国だって一皮むけば、昔からの宗教に関心持って暮らしている人の方が多数派と聞いています。

熱心に信仰しているかどうかは、別ですけどね。

日本がイスラム過激派の怒りのターゲットに晒されないためには、欧米のキリスト教圏とイスラムとの歴史的な諍いから距離を置くことが大事ではないでしょうか。

 イスラームが正しい発音だそうですが。

ここでは一般的なイスラムで通します。

せっかくイスラムの人たちから信頼されているのだから、この立ち位置を活用しようとしないならはっきり言って、大馬鹿ものですね。

イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会の人たちとの、ネットを通じての交流で、堕落した欧米のキリスト教に見切りをつけた若者を中心とした人たちが案外簡単に改宗するのはなぜなのか真剣に考えない限り、欧米のキリスト教世界はイスラム過激派の怒りのターゲットに晒され続けるでしょうね。

フリードリッヒ・ニーチェの『アンチクリスト』に示されるところまで堕落したからこそ、ムハンマドやジョセフスミスジュニアが原点回帰を呼び掛けるように聖書の神から召され、欧米のキリスト教圏の人たちから、イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会への改宗が出るわけですね。

 既存のキリスト教会は、そこがわかってないってことね。

欧米のキリスト教圏の人たちのイスラムに対する反発の裏には、ユダヤ教やキリスト教が堕落したので原点回帰を呼び掛けるべく聖書の神からムハンマドが召されたというイスラム側の言い分にもあるかもしれないですよ。

ムハンマドが啓示を受けた西暦610年代には、西欧がすでにキリスト教化しているわけですから。

313年にミラノ勅令は、当時は西方正帝であったローマ皇帝コンスタンティヌス1世と同じく東方正帝であったリキニウスの連名で発布されたと言われているのです。

一般に、全帝国市民の信教の自由を保障した内容とされるこの勅令は、実在そのものや、真の起草者について疑問視する研究者もいる代物ではありますけど。

勅令発布以前、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、311年、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を発したのです。

これを受け当時西方正帝でのちに単独皇帝となるコンスタンティヌス1世は、キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって「ミラノ勅令」を発布したものです。

特にキリスト教を挙げつつ、他のすべての宗教と共にこれを公認したわけです。

392年には、テオドシウス1世によってキリスト教はローマ帝国の国教とされたのです。

 で、これ以降、欧州世界のキリスト教化が進むことになるわけね。

そして、キリスト教は主に欧州世界を中心に広まっていくのですよね。

つまり西暦610年代ムハンマドが原点回帰を呼び掛けた堕落したキリスト教とは、まさしく欧州キリスト教にほかならないってことです。

そもそも、ミラノ勅令はキリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって発布されたわけです。

欧州世界での拡大と定着は権力と言わば二人三脚で進んでいったと言え、キリスト教の堕落はローマ帝国のころから実質的に始まっていたとみて良いのかもしれないですね。

しかし、ほとんどの欧州キリスト教の人たちには自分たちが教えを堕落させた自覚はほとんどないってことで、彼らにとってムハンマドははっきり言って邪魔者だったかもしれないです。

欧米のキリスト教圏の人たちから見れば、ムハンマドはアブラハムの系譜かも知れないけど、イサクとヤコブの系譜ではないわけです。

傍系イシュマエルの子孫であるムハンマドの預言者としての正当性を、彼らは認めたくないのかもしれないですね。

 認めれば、改宗せざるを得ないでしょうからね。

ちなみに、末日聖徒イエス・キリスト教会のジョセフスミスジュニアも、御父と御子からじきじきに、今のキリスト教宗派は全て間違っているからイエスの時代の教会を復活させるように召されたと主張しているのです。

そのために、既成のキリスト教からは、末日聖徒イエス・キリスト教会も煙たがられているのです。

末日聖徒イエス・キリスト教会の教説には、既存のキリスト教に真っ向から異を唱える内容が並んでいるのです。

御父と御子と聖霊は三位一体ではなく個別の存在であり一心同体となり一致団結して人々の救いと導きに日夜心を砕いておられるとか、アダムとイブが禁断の木の実を食べたのも原罪ではなく人類が選択の自由を用いて神の道を選んで再び成長して帰ってもらいたいという御父の願いによるものであったとか、御父の救いの計画は生者だけではなく死者にも及ぶとかです。

 これらの言い分を認めたら、既存のキリスト教は末日聖徒イエス・キリスト教会に合流するしかなくなるわけだから煙たいわけね。

アダムとイブについていえば、裸で嘆きながらエデンの園を追われる絵があまりにも有名だけれど、聖書には神は彼らに皮の衣を着せたことがちゃんと書かれているのですよ。

 絵で一目でエデンの園からの追放とわかるために、裸で追われる構図にしたのかもしれないけど、嘘は嘘よねえ。

余談ですが、末日聖徒イエス・キリスト教会には、職業としての聖職者はいないです。

イスラムにも職業としての聖職者は、恐らくいないです。

イスラムで聖職者に当たるのはウラマーと呼ばれる人々ですが、イスラムの建前としては神と人との間に仲介役を入れる、あるいは信徒間に階級差を設けることを嫌う傾向があり、ウラマーは聖職者ではない、とか、イスラムには聖職者はいない、と主張されてるのです。

一方、既成のキリスト教では、大抵の教会で職業としての聖職者がいるのです。

 イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会を選んだら、既成のキリスト教の聖職者の職探しは大変ね。

末日聖徒イエス・キリスト教会には職探しやその間の生活を支える仕組みがあるし、イスラムにも助け合いによって支えてくれる体制があることでしょうから、全てを神の御心に委ねて祈るなら道は開けることでしょうね。

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欧米のキリスト教に思うこと若干。

ネットでイスラムになびいちゃう欧米の若者が結構いると聞いて、へえって思ったことがある。

モルモンへ改宗する欧米の若者も、ネットでモルモンの会員とやり取りする中で改宗を決意する人が結構いると言う。

ネットの力、意外と馬鹿にできないって思う。

 

欧米の若者でイスラムに惹かれる人が出る背景には、欧米のキリスト教に対してコレジャナイ感が大きいことが挙げられるかも。

既存のキリスト教会からモルモンへの改宗も結構あると聞いたことある。

 

カトリックもプロテスタントも、魂の救済にとどまらず、生き方を求めて祈る信仰へと軌道修正しない限り、欧米の若者たちの教会離れも止まらないし、ISに足元を掬われてしまう若者たちも引き留めることなんて絶望的なまでに出来ないと思い知った方が良いのではないか。

 

カトリックの堕落を批判したプロテスタントもまた堕落したが、生き方を求める信仰に軌道修正することは魂の救済に胡坐をかいてきた生き方の全否定であり当然苦痛を伴う。

すでに得ている魂の救済の既得権益を脅かす輩が、気に入らないと言うわけであると言うことなのか。

そこに気付こうとしないのだとしかみえないのは、気のせいだろうか。

 

だが欧米の既存のキリスト教徒の多くは、若者たちをISにとられたこととイスラムにとられたことを短絡的に混同する傾向さえあるように思う。

彼らはイスラムを知らないばかりか知ろうともしないように思えるのは、とても悲しい。

キリスト教にいちゃもんをつけて喧嘩を売った、けしからん異教徒としか見ようとしないようだからだ。

違うだろうか。

 

旧態依然の欧米のキリスト教は魂の救済は説いたが、どう生きるべきかは説かなかった。

イスラムもモルモンも仏教も、どう生き、どう考えるべきかを彼らに示した。

ISに若者を取られたくないなら、既存のキリスト教も生き方を生き方を模索している若者に応えようとするべきだ。

 

現在、米国の仏教徒は約3百万人を数え、全米人口の1%に当たる。

ヨーロッパでも約100万人いる。

キリスト教徒と比べれば、仏教徒の数はまだマイナーだ。

しかし、伸び率だけに注目するなら、キリスト教徒をはるかに上回る。

なぜそうなるのか。

彼らは生き方を求めているのだ。

 

モルモンへの改宗者もまた生き方を求めて、既存のキリスト教会に別れを告げた人たちである。

既存のキリスト教は信ずれば救われると説くが、どう生きるべきか指し示す力がない。

ただ救いを求めてすがる人たちばかりと、言って良いかもしれない。

受け身ばかりと言えるだろう。

 

トリックへの反発からプロテスタントが生まれたが、今欧米では既存のキリスト教への幻滅から宗教離れが深刻と言う。

維持がままならなくなり、手放される礼拝堂もかなりあると聞く。

だが、心の支えや拠り所を求める人は実は多い。

Isの誘いに乗ってくる若者は、心の隙間で足元が掬われてしまった人が結構いると言う。

さもありなんと言うべしだろう。

 

欧米では既存のキリスト教への幻滅から宗教離れも多いと聞くが、どう生きるべきかの悩みは多くの若者が普遍的に抱えている課題。

ISの誘いに乗ってしまう欧米の若者が多いのは、旧態依然の教会の体質に問題があると私は見る。

だがどっぷり浸かり込んだ人にはそれが見えてないのではないか。

 

FW・ニーチェの「アンチクリスト」も、欧米のキリスト教の現実への幻滅からキリスト教そのものの否定に走った典型だが、欧米の若者も既存のキリスト教への幻滅から改宗希望者が多いのかも知れない。

だから、イスラムやモルモン、仏教などに惹かれる人が結構出るのかも。

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聖書は誰の目線で書かれているか。

聖書に猫が出てこないと言う人もいます。

外典に位置付けられるエレミヤの手紙に、聖書では珍しく猫がでてきます。

エレミヤの手紙はバルク書の第6章として含まれることもあり、哀歌の後続の小編として位置づけられています。

偶像崇拝の馬鹿らしさを述べる文脈の中で、21節に゛その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。゛とあるようにバビロニアにも猫はいました。

ならば、古代のイスラエルやユダの王国に、猫はいなかったのでしょうか。

イスラエルの民は猫が大好きなエジプトに長い事住んでいた以上、猫の存在も、財産を守る猫の大切な役割も、知らなかったはずはありません。

エジプトを去る際、多くの財産とともに出発したことでしょう。

ならば、彼らの傍らに猫がいなかったと考える方が不自然ではないでしょうか。

にも拘らず、聖書にはエレミヤの手紙以外に猫の出番がありません。

しかし、ねずみはレビ記、サムエル記上、イザヤ書、ゼカリヤ書に登場します。

ねずみは地を荒す穢れた生き物として嫌われている事を思えば、大切な祭具や貯えや諸々の道具類を守るために猫を同伴していたか、ヤマネコの来訪を待ち望んでいた可能性があります。

ならば、なぜに猫の出番が聖書で巡ってこないかと言えば、答えはただ一つです。

聖書は歴史の記録書である以前に、聖典だからなのです。

古代イスラエルやユダヤに人たちがどんなに猫の可愛さにぞっこんになろうが、めろめろになろうが、ちゃんとした生活さえできていれば何の問題もないわけです。

これでもし、猫の可愛さにかまけて仕事がおろそかになった人が続出して由々しき事態にまで発展していたなら、神様も猫の構い方について説教をしたことでしょう
今でも猫はマイペースで、邪魔になると思えば自分から落ち着ける居場所を求めて避難します。

まして聖書の時代、猫の一番の任務はねずみ退治であり、猫の生活は縄張りの巡回か寝ているかのどちらかであったし、人々もまた日々の営みで忙しかったことでしょう。

人々の古代からの友として賞賛する人の多い犬でさえ、人々との係わりはほとんど記述はありません。

まして猫はマイペースで、人々のプライベートな寛ぎの時間の遊び相手になることが多いわけです。

町を歩いていて思いがけない場所で出会えれば運が良いと言える存在である猫に、聖書での出番が沢山ある方がおかしいのです。

聖書に猫の出番が少ない理由に、わざわざエジプトの事を持ち出すまでのことなどないと言えるでしょう。

聖書で犬の出番は確かに多いです。

出エジプト記、士師記、サムエル記上、サムエル記下、列王紀上、列王紀下、ヨブ記、詩編、箴言、伝道の書、イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、ミカ書、マラキ書、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ピリピ人への手紙、ペテロの第二の手紙、ヨハネの黙示録と、犬の出番のない書を上げた方が早いくらいです。

だが、犬と犬好きに気の毒なくらい、聖書での扱いは芳しいものがありません。

それは、当時の犬は野犬が多く、家畜や旅人にとって危険な存在だったという事情もあるかもしれません。

けれど思い起こしてください。

今の私たちの諺でも、犬が出てくるもので犬の評価が高いものはどれだけあるでしょう。

それに比べれば、猫に関する諺の愉快で笑えるものは多いです。

それは猫が寛ぎの時間の遊び仲間だからでしょう。

出番が多い割に可哀想な扱いの多い犬に対して、エレミヤの手紙以外の出番はないが゛猫まで″と猫は並みいる動物たちの中で別格扱いです。

聖書は、人々に対して神への絶対的な服従を求める書の印象が強いかもしれません。

だが、神は人々にサタンではなく神である私を選びなさいと求めているのです。

神への服従は、神の命令ではなく、神の勧告なのです。

自由な猫と、服従の犬。

そう思って聖書を見れば、人々の自由な選びによる自らへの服従を粘り強く待ち続けておられる神の目線は、果たして猫と犬、どちらに近いでしょう。

コーランの神であるアッラーは、聖書の神と同じですが、古代エジプトの猫神ラーが正体かも知れません。

猫神ラー=アッラー=聖書の神エロヒムの構図に、神の子イエスを並べて見れば、親のエロヒムが猫神ならイエスは子猫ではないでしょうか。

エレミヤの手紙で゛猫まで″と猫は並みいる動物たちの中で別格扱いなのは、猫は別格な神の化身あるいは使者に準えて皮肉られているのではないでしょうか。

猫は象徴ではあっても、神の化身あるいは使者の当人ではないからです。

聖書を選択の自由を説く書として見るなら、自由な存在としての猫目線で書かれているからこそ不自由な選択の余地のない服従の象徴としての犬は可哀想なくらい評価が低いのかもしれません。

聖書が猫目線で書かれた書とすれば、猫の出番が聖書にほとんどないどころか、猫の聖典が実は聖書なのかもしれません。

ヨハネによる福音書1章1節にこうあります。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

この言葉とは、イエスの事です。

面白いことに、実際に猫はイエスのメタファーなのです。

これ、偶然でしょうか。

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ラスコー壁画と鳥人。

フランスの世界遺産の一つに、クロマニョン人が残した壁画で有名なラスコー洞窟があります。

この壁画自体も何が目的なのかという謎があるのですが、描かれている物にも謎があります。
何を意味するのか分からない記号などもそうだが、壁画唯一の人物が鳥頭の男性と言うのも、謎の一つです。
鳥人と思える鳥頭の男性が、何のために描かれているのか不明なのです。
ラスコー洞窟壁画の鳥人が、何のために描かれているか謎になってしまったのは、研究者たちがラスコー付近の住民の文化の範囲内で解釈を探しているからでしょう。
古代社会は、もっともっとグローバルな世界だったはずなんですけどね。
そこで、視野を広げると答えが見えてくるはずです。
鳥人の傍らには、傷ついて腸がはみ出ているように見えるバイソンがいます。
これは何らかの祭祀を行っているシャーマンではないかと見ることも、できるようです。
すぐそばに描かれている二本の投槍器のうち一つは、頭に鳥の形が付いています。
この絵で連想できるのは、鳥がしばしば天と地を繋ぐ存在として宗教では位置付けられていることです。
この鳥頭の男性は、裸体に見えます。
そして、男性器は勃起した状態で描かれています。
裸体表現は、その人は地上ではなく霊や神々の世界の住民であることを示すことがよくあります。
ギリシャ神話の神々もたいてい裸体で表現されるし、ブラジルのカーニバルも本来は人が神や霊の世界の存在との交流のために共に踊る儀式として裸体で行う行事だったようです。
ブラジルのカーニバルは観光資源化してしまったために衣装を着ることになったが、上級者になればなるほど肌の露出が増えるのも、かつて裸体でおこなれていた時代の名残なようです。
つまり、裸形で鳥頭の男性は、天と地を繋ぐ霊会の使者としてバイソンを屠っているのかもしれません。
牛は聖獣として扱われることが多い動物です。
牛は、聖獣であるがゆえに、神への捧げものとして屠られることも多く、その証拠に犠牲と言う字には牛偏が付いています。
ラスコー壁画唯一の人物である鳥人は、神に日頃の恵みへの感謝とこれからもよろしくお願いしますという気持ちを届ける犠牲として聖獣であるバイソンを屠る儀式をしている可能性はあり得ます。
鳥人に扮した裸形の男性が男性器を勃起させて描かれているのも、自然の豊かな恵みへの感謝と子孫繁栄祈願として、牛屠りの儀式を行っていると見れば、納得できるのではないでしょうか。
ラスコー洞窟は、神聖な儀式の場として用いられていた聖なる空間だったのかも知れません。
そう言えば、古代中東のミトラス神はフリジア帽とも呼ばれるフリギア帽がトレードマークの牛屠りの神だが、ひょっとしたらあの帽子は鳥の変形なのかしらと、ふと思ってしまいました。
もちろん、恵みへの感謝と子孫繁栄を祈願してバイソンを屠っている鳥頭のシャーマンと、太陽神で世界創造の業のために聖なる牛を屠っているフリギア帽のミトラス神と、設定は違います。
けれど、ミトラス神は起源はわからないくらい古い時代からの神ですからね。
牛屠りの鳥人祭祀の意味が忘れられて、フリギア帽と着衣のミトラス神に代わってしまった可能性はないのでしょうか。
一つ疑問が解けたと思ったら、新たな疑問が、浮かんでしまいました。

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