民俗

フランス革命の「自由・平等・友愛」と政教分離の正体。

「自由、平等、友愛(博愛)」はフランス語のLiberté, Égalité, Fraternité «リベルテ、エガリテ、フラテルニテ»の訳だが、友愛とも博愛とも訳されるFraternité≪フラテルニテ≫の元の意味は兄弟愛や男性共同体の意味なのです。

つまり、フランス革命の「自由、平等、友愛(博愛)」の正体とは、男性の自由と平等な共同体となるわけですね。

一方で女性は、家庭を守る存在とされたのです。

フランスの政教分離とは、公的な空間の俗世に生きる男性と私的な空間の宗教生活を担う女性の分離でもありました。

男女とも衣装などで宗教色の薄いフランスの中に、スカーフの当たり前なイスラム圏の女性が入り込んだ結果この壁が揺らぎだしたのです。

欧州だって女性のスカーフが当たり前な文化が、あったのにです。

フランスの政教分離は公的な空間の俗世に生きる男性と私的な空間の宗教生活を担う女性の分離でもあった以上、女性の社会進出とともにとっくの昔に揺らぎ出さないとおかしかったのです。

どの社会での女性の社会進出も、女性の男性社会への順化強制の歴史であってフランスも例外ではなかったのだと見て良いでしょう。

フランスでのムハンマドの風刺漫画が引き起こした軋轢も、ある意味フランスにおける政教分離の原則を揺るがした事件と言えるのです。

私的空間の宗教の担い手女性の社会進出とともに揺るがなければおかしかった杓子定規な政教分離の柔軟な運用を先送りしたつけを、今フランスは払っていると見て良いでしょう。

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猫は侮れません。

今回は、ちょっと寄り道です。
興味のある方だけ、どうぞ。
欧米で猫をイエスのメタファーと見る文化があるのを、ご存知でしょうか。
Jesus cat で検索すると結構色々出てきます。
メタファーとは、あるものの性質を丸ごと使って例える事です。
古代エジプトで猫は、様々な形で最高神とされた太陽神ラーと結び付けられました。
聖書の神エロヒムのヘブライ語の綴りはアラーとも読めますが、コーランではアラーは唯一神とされます。
これ、偶然でしょうか。
ちなみにイスラム圏で猫は大事にされるが、ムハンマドが大のネコ好きだっだからだそうです。
それはさておき、聖書での犬に関する記述は芳しくないものが多いのにお気付きでしょうか。
イエスのメタファーが猫なら、御父は親猫って事になりませんか。
そう思って読むと、なるほどねと妙に頷きそうになります。
口語訳聖書を使っている皆さんは知らないでしょうけど、聖書協会から出ている共同訳や新共同訳には旧約聖書続編として「エレミヤの手紙」が収録されています。
その中で猫は、「猫さえ」「猫まで」と記されます。
事態の及ぶ範囲がある限界にまで達することを表すのが、「さえ」や「まで」です。
偶像崇拝の場に様々な動物が登場しますが、その最高位として猫が現れるのです。
旧約聖書続編扱いという事は、この文章の時点ではイエスはまだ明かされていないでしょうから「神の言葉としての」つまり預言者としてのイエスのメタファーとなるでしょう。
もちろん、このイエスの代理に成りすました猫は偽預言者となるでしょうが最高位の預言者の成りすましである点に注目です。
黙示録には獣とありますが、その獣はイエスに匹敵する大預言者に成りすましたとんでもない輩です。
エレミヤの手紙に出てくる獣は皆、メタファーです。
黙示録の偶像崇拝の場面は、ひょっとしたらこんな光景なんでしょうか。
お暇な方や、興味のある方は、図書館やネットで「エレミヤの手紙」読んでみてください。
短いので、すぐ読めます。

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聖書が欧米人の例えの大半のネタになったわけを考えて見た。

欧米人の例えの元ネタの大半は、聖書です。

誰もが確実に知っている書は聖書なので、共通な例えは必然的にそうなるのです。

キリスト教を国教化したローマ帝国の文化圏に、周辺諸国が次々と改宗して加わり今に至っているからです。

だから聖書を知らないと、欧米人の例えはわからないのです。

ヨーロッパで印刷術が生まれた時、真っ先に大量印刷されたのが聖書です。

ヨーロッパの一般庶民にとっての書物は、聖書から始まっていると言っても言い過ぎじゃないのです。

bibleの意味はthe bookだが、当時の庶民にとっては聖書はまさにthe bookだったと言えるでしょう。

ちなみにbibleの語源は、実はギリシャ語の「biblia(ビブリア)」からきているとされています。

biblia」は、パルピスという植物の茎の内皮を意味する「biblos(ビブロス)」の複数形の言葉です。

パルピスは紙の原料であることから、「biblia」は小冊子や本の一部といった意味で使われました。

神の言葉を収めた聖書はまさに書物の中の書物として、the bookと言う思いを込めてbibleと呼ばれたのでしょう。

聖書はユダヤ教やキリスト教で聖典とされているが、決して堅苦しい書ではないのです。

読み物として楽しんでも、盛りだくさんな読み応えたっぷりな書なのです。

物語、歌、教訓、いろいろあって飽きないですしね。

庶民はありがたい聖典としてより、通俗読み物として楽しんだのではないでしょうか。

大量印刷された書物の最初が聖書で庶民にとっての読み物はこれしかないわけだから、いやおうなしに共通の話題のネタも聖書になるわけでしょ。

聖書が欧米人の例えのネタで大半になっても、実は何の不思議もないわけですね。

だったら聖書がありがたい聖典だと構えないで気楽に娯楽書として楽しんで、似たもの探しを面白がればそれでいいのではないでしょうか。

信仰の書になるかどうかは、その人が決めたらそれでいいのではないでしょうか。

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情は人のためならずならなんのため?自分のためですよ。

一人で産んで様々な問題に直面するたびに女性の事ばかり取り上げられるが、子どもは父親がいないと生まれないはずです。

その子には、両親が連帯責任を負うべきはず。 何が何でも父親も探し出して、連帯責任を問う方が良いのではないでしょうか。

こういう事態を防ぐための教育は、どうあるべきか全ての人が考えないといけない問題ではないでしょうか。

望まないタイミングで母親にならない権利が女性にあるなら、男性にも望まないタイミングで父親にならない権利があるはずではないでしょうか。

望まないタイミングで父親や母親にならない権利を行使したいなら、避妊をちゃんとやれよって話ではないでしょうか。

そう言う話を真正面からする教育、学校と親と社会が一緒になってやった方が良いのではないでしょうか。

そんなこと、自分で考えろとか、寝た子を起こすなとか、逃げ回ってきた結果が一人で悩みを抱える女性を何人作ってきたのでしょう。

もう、逃げないでちゃんとこの問題に向き合った方が良いのではないでしょうか。

そうしないと、少子化の問題だって解決しないのではないでしょうか。

違うでしょうか。

それはあなたの考えだから私におしつけるな、そう反発する人もいるでしょうね。

ならば、あなたの意見を聞かせてください。

こういう話題を、私達は取り上げて語り合う場を作ってきたでしょうか。

私だって人の生き方に干渉したくないし、私も干渉されたくありません。

だけど、たった一人で子どもと向き合わされて様々な悩みを抱える女性が多くないですか。

子育ての問題から望まないタイミングでしてしまった妊娠の問題まで、一人で抱えて悩んでいる女性が多くないですか。

そう言うと、甘えるな男だってみんな一人で悩んでいるんだと応える人もいるでしょうね。

確かに、相談されたってどうしろと言うと私も思います。

でも、その人達の話を聞いて気持ちを落ち着かせてあげるくらいならできるかもしれません。

問題によっては、解決のために助けになる人を一緒に探す手助けするくらいならできるかもしれません。

自助や共助ではだめで、公助を求める場合もあるでしょう。

なにか、助けになるものはあるはずです。

もし助けになるものがないなら、作っていきましょう。

誰かのためにではなく、いつかその仕組みのお世話になるかもしれない自分のためにです。

悩みを抱えるのは誰だって同じだって言うなら、誰もが抱えた悩みを誰かに聞いてもらえる社会を作りましょう。

困った時はお互い様、違いますか。

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力士は古代メソポタミアからのメッセンジャーなのでしょうか。

古代メソポタミアに始まる相撲は、西方へはレスリングとなって伝わるが、東方へは相撲として伝わるのです。

もっとも南アジアへは、ムエタイなどのように独特な展開をしています。

アジアへは相撲として伝わると言っても、大陸ではモンゴル相撲などのようにメソポタミアの原型から離れた様式になっております。

メソポタミアの原型を最もよく伝えるのは、日本の相撲です。

回しをつけ髷を結っている姿は、メソポタミアの時代からほとんど変わらないのです。

力士の髷は大銀杏(おおいちょう)と呼ばれるが、形が似ているからそう呼ばれるだけです。

ならば力士の髷は、古代メソポタミアでは何を表しているのでしょう。

回しが蛇の目の象徴と見れば、髷は蛇を表しているのかもしれません。

二人の力士は、一対の蛇の象徴なのでしょうか。

四角い土俵に丸が俵で表現されているのは、陰陽の地と天に対応すると解釈できます。

俵の丸は蛇の目とも、されています。

そうなりますと、二人の力士は絡まり合う蛇の象徴となります。

四角い土俵と丸い蛇の目を、それぞれ定規とコンパスと見たらどうなるでしょう。

陰陽に対応している西と東に配される二人の力士は、女媧と伏羲に対応しているのでしょうか。

面白いのは、イザナミとイザナギの「ナミ」と「ナギ」は蛇を表す「ナーガ」の転訛と見る解釈がある事です。

イザナミとイザナギを女媧と伏羲と見れば、二人の力士は女媧と伏羲になぞらえてもいいのでしょうか。

土俵とは、女媧と伏羲としてのイザナミとイザナギを祀る社(やしろ)なのでしょうか。

この解釈を逆にメソポタミアの方にもっていって良いとするなら、古代メソポタミアの力士達もまた女媧と伏羲の象徴だったのでしょうか。

女媧と伏羲のルーツもまた、中東に遡れるのですから。

相撲とは、イザナミとイザナギによって日本の国が始まったと今の私達に伝える神事なのでしょうか。

そしてまた、日本のルーツは中東にあると言いたいのでしょうか。

相撲の奥は、まだまだ深そうです。

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ミソジニーとは何か、どうしたら乗り越えられるのか、考えてみた。

ミソジニーは克服されなければならない、悪しき古い習慣です。

克服のために多数派になりたいなら、どうしたらよいのでしょう。

ミソジニーは、女性に対する蔑視を表現する言葉として理解されるようですが、一筋縄ではいかないのです。

しばしば、女性の重用としても、あらわれるからです。

女性の蔑視と重用、一見すると矛盾しているように思えます。

ところが家父長制の中では、矛盾しないのです。

「父権制」とも言われる「家父長制(かふちょうせい)」は、家長権(家族と家族員に対する統率権)が男性たる家父長に集中している家族の形態です

古代ローマにその典型を見ることができるが、日本の多くの組織や集団にも根強く残って、ミソジニーやセクハラなど否定的現象を引き起こしているのです。

「ミソジニー」とは、「家父長制」に対して女性が結束しないように分断を持ち込む行為なのです。

家父長制は女性に対する男性の上位を、意味します。

けれど、男性の中にも上下があり、男性の多数もまた家父長への服従を求められているのです。

女性はこの秩序の中で重用されたいならば、家父長への忠誠を示さなければなりません。

家父長への忠誠を示すなら、女性であっても優遇される立場になれるのです。

だが、優遇されたように見える女性と言えども男性への服従を強いられた立場には違いないのです。

彼女達もまた、さりげなく不満を聞き出して反乱予備軍に巧みに引き入れるべき存在であるのです。

一握りの人達による家父長的支配に対する男性達の不満もまた、どんどん聞き出して彼らをミソジニーとの戦いの味方に引き入れるべきです。

心から同情されて裏切り者になる人は、少ないのです。

何か家父長制に対する不満があるか問うのではなく、労いの言葉で自尊心を尊重するのが良いでしょう。

服従を強いられた人々は、知らず知らずのうちに卑屈な気持ちになっているからです。

その卑屈な気持ちを、謙遜だと思い込んで何とかして自尊心を満足させようとしているのです。

その偽りの自尊心を、心からの自尊心に変えてもらう手間はかかるが大切な行為です。

何度か繰り返して信頼されるなら、本音は当人の口から自然と出て来るものです。

粘り強く不満をさりげなく聞き出して一人一人順繰りに味方につけ、満を持して行動に出た方が良いでしょう。

身近な集団や組織から、変えていきましょう。

家父長制的支配の中で沈黙や服従を強いられた男性の不満のはけ口として、女性は位置付けられてきたのです。

ミソジニーと戦うなら、沈黙や服従を強いられた男性達は味方にするべき人々なのです。

政治は力関係で決まり力関係は数で決まるから、ここは絶対に抑えるべき要点です。

「ミソジニー」と効果的に戦いたいと思っている人達は、「ミソジニー」と「家父長制」との関連をちゃんとつかんだ方が良いでしょう。

「家父長制」の下で若さや経験不足などを理由に沈黙と服従を強いられている男性との共同や協力が、絶対に必要になるからです。

家父長制の犠牲者が、性別を超えて協力し共同してこそ、ミソジニーは克服できるでしょう。

そして、その主役は私達一人一人です。

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声を大にして言いたい!塩とミネラルをもっと見直した方が良い!

2020年から世界は、SARS-CoV-2(新型コロナウイルス)に感染して発症するCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の対策で大変な事態になっています。

無症状感染者からの感染も指摘され、PCR検査の拡充も課題となりました。

薬やワクチンの開発も、求められました。

人間の世界では薬やワクチンなどがあるのですが、野生動物の世界にはもちろんありません。

でも、野生動物だって治癒力や免疫力を維持したり高めたりしないわけにはいきません。

薬草になる植物は、どこにでもあるものではありません。

それにネコ科の肉食動物は、腸を整えるために草を食べることもあるけど基本的には肉が主食です。

ネコも人と暮らしていると、パンやご飯やパスタやトウモロコシや海苔なども食べるようにはなりますけどね。

自然環境では、肉食動物は植物由来の栄養の大半を草食動物経由で摂るのが普通です。

薬草はどこにでもあるわけではないとなると、動物は草食だろうが肉食だろうが食事で薬になる成分を口にするのは至難の業です。

では、どうすればいいのでしょうか。

動物が共通して口にしているのは、空気と水と塩とミネラルなのです。

塩とミネラルは、それが豊富にある土から摂ります。

昔から家畜と共に生きる人たちは、塩の摂取が少ない家畜の腸と皮は破れやすくて使い物にならないと知っていました。

塩とミネラルの効果はてきめんで、荒れている皮や腸も少量摂るだけで短時間で整うのです。

おそらく塩とミネラルで細胞のレベルから、調子が整うのでしょう。

治癒能力を速やかに体から引き出すだけではなく、免疫力も高めるのかもしれません。

免疫力を担っているのも、細胞だからです。

塩とミネラルで気になる情報が、2018年2月10日放送の「世界ふしぎ発見!」でありました。

『チョコレート 世界をHAPPYにするあま~い魔法』がタイトルの回で、主役はチョコレートです。

私が驚いたのは、長寿で生活習慣病知らずのパナマのクナ族です。

クナ族の方たちは、ガン、高血圧、認知症の患者がほとんどなく、また脳卒中、心臓病、糖尿病などにかかる人も極めて低く、尚且つ長寿であることで注目されています。かつてそれは遺伝的なことだと考えられていましたが、近年それはカカオの影響ではないかと言われているのです。バックナンバー|TBSテレビ:日立 世界ふしぎ発見!

この番組では、カカオばかりに注目していました。

無理もありません。

何しろカカオは、腸内をきれいにし便通を改善して肥満防止や大腸がん予防に役立つ食物繊維、活性酸素を除去する抗酸化作用で知られるポリフェノールが豊富なばかりか、カカオのポリフェノールは特にコレステロールの酸化を防いで動脈硬化などの生活習慣病の予防に効果的な上に癌の予防効果やストレスへの抵抗力を高める効果まで注目されているのです。

さらにカカオには、大脳を刺激して集中力や記憶力そして思考力を高めて気力をUPさせるばかりか自律神経を調節する作用もあるテオブロミン、脳にとって最も効率の良い栄養であり脳の神経伝達物質アセチルコリン生成の手助けするブドウ糖、ビタミンEやナイアシンなどのビタミン類や、カルシウム、マグネシウム、亜鉛、リンなどのミネラルも含まれていて特にカルシウムとマグネシウムのバランスが良いのが注目なのです。

なので、この番組ではカカオ大絶賛です。

一方で塩と言えば、体に必要とされながらも取り過ぎに注意しましょうとされ、最近あまり良いイメージがありません。

この番組では、完璧にカカオの引き立て役扱いです。

でも、私は言いたいのです。

結構だらけに見えるチョコレートなのに、大好きな国にも病院はありますよね。

ところがこのパナマのクナ族と来たら、医者に行くのは健康診断の時だけなのです。

健康であることを確認するだけのために医者に行く人々って、すごくありませんか。

パナマのクナ族、摂っている塩の分量は半端じゃないのです。

それでもなお健康なのは、カカオにバランス良く含まれているミネラルのおかげでしょう。

毎日チョコレートドリンクを1リットルも飲めば、どっさりの塩と釣り合うだけのミネラルが摂取出来ているのではないでしょうか。

再度言いますよ。

野生動物には、病院はありません。

その野生動物の健康維持に貢献しているのは、塩とミネラル以外にありますか。

パナマのクナ族の健康に対するカカオの貢献は、確かに大きいでしょう。

でも、陰の主役は塩とミネラルなのではないでしょうか。

新型コロナウイルスで大変な今、パナマのクナ族は要注目な人達です。

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発酵食品をもっと見直した方が良いかも。

科学的根拠を確かめたわけじゃないから憶測でしかないけど、アジア諸国で全体的に新型コロナウイルス感染者が少ない理由として生活習慣の差は大きいと思えるのです

食は体を作るが、アジア諸国の食生活で目立つのはやはり発酵食品ではないでしょうか。

欧米では、地域差はあっても酒を除けばチーズやヨーグルト位のものでしょう。

アジア、特に南アジアは気候的に腐敗との戦いだったはずなのです

腐敗菌は好気性が多いが発酵菌は嫌気性が多いので、腐敗対策をどんなにしても発酵は避けにくかったでしょう。

アジアで発酵食品が多いのは気候風土のせいも大きいだろうが、それが新型コロナウイルス感染者が少ないのと関係あるのでしょうか。

アジア諸国の新型コロナウイルス感染者が少ないのと発酵食品の相関関係は偶然か必然か、どっちにしても感染者が少ないのは確かなので発酵食品を美味しくいただくようにしましょう。

効果があろうがなかろうが、おいしいからどちらでもいいですよね

健康と発酵食品で、思い出しました。

甘酒は江戸時代、夏バテ防止の栄養ドリンクだったらしいのです。

栄養価ももちろんだが、発酵食品のよさは消化吸収が良い事ですよね

江戸っ子は、甘酒をあったかくして飲んでいたと言います。

暑いからと冷やしすぎるのは体に良くないから、これも生活の知恵でしょうか。

美味しくて奥が深い発酵食品、もっと健康との繋がりが研究されると良いですね。

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正にメイドインジャパンな怪獣がゴジラだ。

背中から伝わるメッセージについて思っていると、何故か急にゴジラを考えたくなりました。

ゴジラの背中はそこはかとなく哀愁が漂う、声は恐ろしいはずなのに何故か切なさ悲しさ虚しさやるせなさを感じる、それでいて物凄く力強いのです。

キャラクターとしても、生き物感が満載で、かっこいいのに洗練されないで、むしろ泥臭くさえあるのです。

ゴジラは、国境を越えて愛されるキャラクターでもあります。

人は皆何かしら、乗り越えたい突き破って進みたい、でもなかなか難しいので苦労している課題を抱えているのではないでしょうか。

ゴジラは力強くさまざま障害を突き破って突破していくのに、その背中には哀愁が漂い、声は物悲しいのです。

ゴジラは、怖いはず、恐ろしいはず、なのにいつの間にかその進んでいく姿に共感している人達が多いのかもしれません。

ゴジラは親しまれるあまりに、子供がいる設定にさえもなります。

もしも、ゴジラがふんぞり返り勝ち誇った雄叫びをあげる見た目も洗練されたかっこいいキャラクターだったら、ここまで愛される存在にはなっていないでしょう。

強いのに怖いのに恐ろしいのに、妙に謙虚ささえ感じてしまうゴジラ。

実るほど頭が下がる稲穂かな、ゴジラほどこの諺がピンとくる怪獣もある意味珍しく貴重でさえあります。

ゴジラは日本でなければ、決して生まれない怪獣ではないでしょうか。

やはり不思議な国、日本ですね。

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失敗から学べないなら危機管理を充実させられない。

日本人はしばしば、悪い予想に対して「縁起が悪い」と言います。

これは「言霊」や「噂をすれば影が差す」と言う、昔から言い伝えられてきた考えと関係があるかも知れません。

だからできるだけ良い結果を呼び寄せたいと、悪い予想より良い予想をするのでしょう。

危機管理と言う立場からすれば、まずいのですがね。

しかしそうは言っても、それを改めるのは容易ではありません。

日本人が「縁起」や「ゲン担ぎ」にこだわるのは失敗を恐れるからで、もし失敗したら容易に次の機会を得られなくなるのが日本の常だからです

かつて日本人にとって仕事は自然に対するものが多く、失敗が危険と隣り合わせに成りやすいからかもしれません

一度の失敗で全てが無になるのだから、失敗は恐怖の対象なのです。

ゲン担ぎ(験担ぎ)は、ある物事に対して以前に良い結果が出た行為を繰り返し行うことで吉兆を推し量ることで、縁起担ぎの一種です。

良い結果を招くためのまじないのようなもので、良い結果をどうしても欲しい場合、不安による失敗を防ぐ心理的な効果もあるので一概に迷信と片付けられないのです。

「縁起」とは、一種の因果関係についての考えです。

因果関係を、ありとあらゆる事柄の間に見ようとするのです。

そこで、良い言霊や考えや物や出来事は良い結果を、悪い言霊や考えや物や出来事は悪い結果を、を呼び寄せたり予め告げると考えいわゆる「縁起物」を集めようとすることになるのです。

日本人の世界で本気で危機管理を根付かせるには、失敗してもやり直しが何度でも出来る環境つくりをするしかないでしょう。

より良い危機管理とは、過去から学びながら作り上げるものだからです。
もちろん、「縁起担ぎ」や「ゲン担ぎ」を全く無くすの不可能でしょう。
どんなに綿密な段取りを整えても、不安で失敗をしたら何のために備えてきたかわからなくなりますからね。
落ち着いて冷静に対処してこそ、良い結果を得やすくなるわけですから。
そのための「縁起担ぎ」や「ゲン担ぎ」は、これからも無くならないでしょう。

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