思想

プラズマと生命? 宇宙は生きている?!その3

量子論の原理とは、こういうものです。

 電磁場:空間を調和波として伝搬する、振動する電気的・磁気的擾乱
 電場:荷電粒子に作用する場.
 磁場:運動する荷電粒子に作用する場
 波長:λ,波の山と山の距離.
 周波数: v 変位が元に戻る1秒あたりの回数
 波数:波長の逆数
 電磁スペクトル:周波数単位で表した電磁界の範囲

この量子論の原理に従って、用意された少数の基本的な構成要素をよくかき混ぜて落ち着くのを待つだけ。
これで量子時空ができあがる。
未知のものは何も導入する必要はない。

これが、自己組織化する量子宇宙という理論の主張だったです。

 でも、電磁場だけで重力はどこにも出ませんね。

それについては、面白い事実があります。

電磁力の式と重力の式は、よく似た形になるというのです。

しかも、素粒子の絶対零度でも止まらない振動があります。
この振動は、零点振動とよばれます。
素粒子なら必ずまとっている仮想光子の原因という意味で、零点輻射とも名付けられています。

 ここに、電磁力と重力の式が似ている事実を当てはめると、零点振動と重力は結びつきそうね。

二重らせんの星雲が、銀河面に対して垂直な中心軸のまわりを回転しているという観測結果があります。

磁場が、宇宙線を銀河系中心から送り出し、それにそって二重らせん星雲ができている可能性があるといいます。
磁場は、分子雲の軌道に影響を与えたり、星の形成を抑えたりしているとみられています。

 磁場が星雲をつくる仕組みって何。

磁場が動けば、電場ができます。
電場と磁場で電磁場ができ、電磁場が動けば電磁波が生じます。

電磁波によって、周辺の元素が電離するとプラズマ( plasma) が生じます。

プラズマは、宇宙に存在する全物質の99.9999999999・・・%を占めているそうです。

プラズマは固体、液体、気体以外の第4の形態です。

 原子核と電子がバラバラになった、つまり電離してガス状態となった物質がプラズマね。

正確には、イオンと電子に分かれた状態ですね。

プラズマは何らかのエネルギーが外部から供給されて揺らぎが生じると、不安定になっていくです。
プラズマが揺らいで、フィラメント状や渦状の構造が発生します。

オーロラなども、フィラメント状の構造から生まれた現象です。

ちなみに、フィラメント状のプラズマはプラズマ・フィラメント( plasma filament)とよばれます。

フィラメントや渦といった構造は、条件が整うとお互いが生み出した磁場によって、同じ方向に動いているほかの渦を引き寄せて、自己組織化しながら成長していくです。
パルス発信機を用いたX線放射の実験で、その過程は確認できるそうです。

 自己組織化、出てきたね。

プラズマが、自己組織化する量子宇宙の主役の可能性はありますね。

 プラズマ周辺の電磁力が、重力として働くわけかなあ。

発生のメカニズムを、電磁力と重力が共有する可能性は大きいでしょうね。

 つまり、零点振動が電磁力と重力が共有する発生のメカニズムということでしょうか。

おそらく、そうかも。

 となると、電磁波のあるところ、重力あり、ですかね。

そう、主張する人もいるようですね。

電磁力に比べて非常に小さいので、身近な電磁波くらいでは観測できないのかも。

プラズマ構造を積極的に制御することにより、微粒子の糸状結晶なども容易に得ることができます。
ダストプラズマ(dusty plasma)が自己組織化することによって、クーロン結晶などが生成されることが1994年に複数の研究チームによって確認されています。

ダストプラズマは、宇宙空間、半導体製造のプラズマプロセスで多く見出されるといいます。
ダストプラズマは、通常のプラズマには見られない多くの興味ある現象を引き起こします。

 ダストプラズマは、微粒子プラズマとも呼ばれるのでしょ。
 イオンと電子のほかに、μm(マイクロメートル)程度の巨視的大きさをもつ多数のダスト(dust)すなわち、ちりのように小さい固体微粒子を含むプラズマのことね。

このダストプラズマによるプラズマ・フィラメントが、二重らせんの星雲として観測されたということかも。

 これが渦となると、銀河に成長しそうね。

ロスアラモス国立研究所の物理学者であったアンソニー・ペラットは、集合したプラズマが合体して銀河と同じらせん構造を形成するのを発見したという情報を友人のブログから得たです。
パルス発電機でX線放射の実験を行っていた時に、発生したプラズマ・フィラメントが互いの磁場で引き寄せられて集合、合体したら、らせん構造になったといいます。

 それは、すごい。

ダストプラズマはダスト微粒子、つまりダストの粒子には沢山の電子が付着して大きな負の電荷をもった粒子になっています。
ダストプラズマは、ダスト微粒子に着目すると、ガス状態の弱結合系や典型的現象である結晶化の起きる強結合系ともなります。

 結晶化ですか。

 DNAも、プラズマフィラメントが原因だったりして。

自然界の階層性を考えれば、ありえますね。

 大きな構造から小さな構造まで相似形となるフラクタルをみれば、言い切っても良いのでは。

プラズマはフィラメントばかりでなく、一定条件下ではフィラメントが結晶構造を作ることもあるわけですから。

 微粒子の糸状結晶ができることなども、DNAを連想できるよね。

渦の成長はやがて止まって何らかの理由で自然消滅した後に、再び新たなフィラメントを生成していくこともあるといいます。

 生成発展消滅をくりかえす、まるで生命現象ね。

「選択なしの進化論=自律進化説」を説くリマ=デ=ファリアは、素粒子、鉱物、生命体からヒト社会に至るあらゆる「形態と機能」は、素粒子など基本的な水準の「形態と機能」に基礎があると言っています。
この方向は、世界の階層性を研究するフラクタル理論と一致し、唯物弁証法からみても基本的に支持できるものです。

このような生成と消滅を伴うエネルギーのサイクルは、グレートウォールとボイドによって構成された、銀河の集団が作る気泡状の宇宙構造が生成されていくメカニズムの中にも認められるそうです。

しめ縄のように、大きなプラズマ・フィラメントになります。

 それで、重力は。

リマ=デ=ファリアの理論では、重力を光などとともに重要な進化の原因とみなしています。

重力と進化については、西原克成の実験進化学におもしろい成果があります。

重力によって、鮫の軟骨は短期に硬骨化し、骨のないところに骨を誘導できたのです。
しかも、電流は重力の代わりになることを証明します。

 またしても、電気と重力か。
 磁気はないけど…。

電気が動けば、磁気も動きます。
つまり、電気があれば電磁気もあると思ったほうが良いです。

 西原克成の実験進化学でも、電磁気と重力の関係が実はあるわけね。

素粒子のようなミクロの世界から、宇宙のようなマクロの世界まで、プラズマが階層性の謎を解く鍵を握っていそうですね。

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分かりあうことの難しさ。

2009年9月、和歌山県太地町や静岡県伊東市で、イルカ漁廃止、ヨーロッパやアメリカの反捕鯨運動活動家やジャーナリストらがイルカ漁の廃止などを訴えましたね。

 世界的に、話題になりましたよね。

和歌山県太地町のイルカ漁を告発したアメリカのドキュメンタリー映画「入り江」(原題The Cove)が、アメリカなどで公開されて以降、世界的に影響が出ています。

 姉妹都市のオーストラリア・ブルーム市が、和歌山県太地町との提携の停止を決めるなどですね。

 The Coveに出演した活動家リチャード・オバリーさん(68)さんは報道陣に、「ゴンドウクジラは汚染されているというデータがあり、健康被害が発生する恐れがある」と述べたとか。

 太地町の三軒一高町長は、「町では先祖代々、クジラを食べてきたが、それで体を壊したという話は聞かない」と冷ややかな反応ですね。

太地町の三原勝利・町議会議長も、「自分たちの価値観を押しつける彼らのやり方は理解できない」と反発していますよね。

 ヨーロッパやアメリカは、自分たちの価値観を非ヨーロッパ世界に押し付けようとするの。
 わたしだって、腹が立ちます。

今回は情報発信で感情に訴える方法で、非暴力なのでシーシェパードなどに比べて対応に戸惑う人は多いですね。

 アジアとヨーロッパやアメリカの文化の差は、どこから来たのかしら。

アジアは、圧倒的な力を持つ自然と折り合いをつけることなしには生存も確保できない環境の中で、妥協と共存の文化を育んできたといえるでしょう。

ヨーロッパは、自然を征服することで自らの生存の場所を確保する必要がある環境の中で、勝利と征服を目標とする文化を育んできたといえるでしょう。

 これでは、水と油ね。

価値観の正反対な文化の衝突です。
しかも圧倒されたと感じなければ、相手の言い分を受け入れない文化の人々を説得しなければならないでしょう。

 絶対的な力を持つ真理と論理で組み伏せない限り、ヨーロッパとアメリカは納得しない。
 
絶対的な力を持つ真理と論理の体現者であったから、キリスト教をヨーロッパとアメリカは受け入れたのでしょうね。

 どういう論理なら、納得するのかしら。

ヨーロッパやアメリカはとかく、全てか無かという論理に流れやすいですからね。

単純明快な論理でいくしか、ないでしょ。

生態系の保護なしに種の保護もない、あなたたちはこの論理を認めるはずだとね。

 頂点を失った生態系は、やがて混乱に陥りますね。

徐々に減るなら、対応できるでしょう。

突然いなくなれば、対応できないでしょう。

 これをわからないで、自然保護運動家を名乗る資格があるでしょうか。

 まったくないですよね。

和歌山県太地町や静岡県伊東市などで続いている鯨やイルカの漁は、古代から行われてきた日本の伝統であり生態系の一部となっているのです。

古くから営まれてきた里山の自然や農地が放置されたら、地域の生態系が崩れるのと同じです。

 ヨーロッパの人たちは、自分たちがアメリカでリョコウバトを乱獲で絶滅させ、鯨を乱獲で危機に追いやり、地中海のクロマグロの乱獲が止められないことを、普遍的と見てるのね。

 まるで、「平家でなければ人ではない」とおごり高ぶった平家と同じですよ。

全てのヨーロッパやアメリカの人が、そうではありませんよ。

そんなことをしていたらヨーロッパやアメリカは危ないと、危機感を持っている人もいるはずです。

 もっとも、今回のようなことをする人は感情に流されて冷静になれない人たちでしょうから。
 論争で負けたら、パニックになるだけでしょ。

 絶句したなら、その事実は世界に発信されてしまうでしょ。

もし絶句したら、反捕鯨を叫んだ彼らの立場がどうなるか、知りたいですね。

 難しいですね、この問題をアメリカ人、ヨーロッパ人にわからせるのは。

 単に、イルカがかわいそうという感情的レベルで反発する人も多いし。

 今回のようなやり方で攻めてくるのも多いし。

 彼らのゼロサム思考を、改善するすべはないんですかねえ・・・・・・。
 
 本当に、アメリカ人って、自分が圧倒されない限り絶対に負けを認めないですからね。

 ノックアウトされてマットに沈まない限り、自論はまげないでしょうねえ。

マタイによる福音書5章37節 には、こうありますね。

あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。
それ以上に出ることは、悪から来るのである。

 どうもヨーロッパやアメリカで、この言葉は、独り歩きしているようですねえ。

実際には、こういう文脈の一節です。

5章33節 また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

5章34節 しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。

5章35節 また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。

5章36節 また自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。

5章37節 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

 続きも、あるでしょ。

ええ。

ここは、実践の最も難しいことの一つですよね。

5章38節 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

5章39節 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな、もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬も向けてやりなさい。

5章40節 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着も与えなさい。

5章41節 もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。

5章42節 求めようとする者に与え、借りようとする者を断るな。

5章43節 『隣人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

5章44節 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

5章45節 こうして、天にいますあなたがたの父と子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

5章46節 あなたがたは自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

5章47節 兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすくれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

5章48節 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

こうやって聖句を振り返ってみて、どう思いますか。

 今度の場合は、文化の違いなのであって反捕鯨からみて敵ではあっても、悪ではないでしょ。

イエスを信ずるというつもりなら、なおさら、これらの言葉にも耳を傾けて欲しいですねえ。

 こういう話をするたびに、ヨーロッパの聖書解釈への疑問が、聖書とキリスト教そのものへの疑問に結びつかないことを、切に願いますね。

本当に、そうですね。

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確率がマイナス?

2009年10月号の日経サイエンスに、面白い記事があります。
 
存在確率マイナス1の粒子が、あるというのです。

 通帳がマイナスにならないよう、気をつけなくちゃ。

ここで言うマイナスは、意味が違いますよ。

エネルギーがマイナス、なんですよ。

 焼肉食べて、スタミナつけなくっちゃ。

そういうエネルギーでは、ないですよ。

エネルギーの向き、なんです。

 それだったら、反物質・・・。

存在確率マイナス1の話題は、反物質にはないですよ。

質量もマイナス、だというのです。

 質量と重量って、どう使い分けるの。

地球上では、混同してもあまり問題ないです。

ただ、無重力などを考えると違いを知らないと混乱します。

質量は、物質量のことです。

重量は、物質量を特定の重力の元で測った数値のことです。

 無重力では、無重量になるけど、無質量ではないというわけですよね。

 プラスの重量は、普段気にしてる体重なんかそうですよね。

 この体重は、地球の引力の元で測ってます。

でも、月で測ると軽くなります。

 あ、だから一定の数値になる質量がマイナスといってる。

 引力で測ると、プラスの数値でしょ。

 斥力で測ると、マイナスの数値でしょ。

重力を引力だけ考える、通常の発想では行き詰まりそうですねえ。

 少なくとも、複素数とは関連ありそうね。

あるでしょうねえ。

 プラスの存在確率は実数、マイナスの存在確率は虚数、あわせて複素数なのかな。

プラスを作用と見れば、マイナスは反作用でしょ。

 プラスを引力と見れば、マイナスは斥力で良さそうですね。

 一つの粒子を、引力と斥力から質量などを測るということかしら。

 いったい、どこからこんな発想が出たの。

観察についての理論から出てきた、話なのですよ。

 量子力学では、観察すると位置か運動量か、しか見えないのでしょ。

ところが、もっと詳しい情報が得られる観察法があるというのです。

それが、弱い測定といわれる手法です。

イスラエルのテルアビブ大学名誉教授ヤキール・アハラノフ(Yakir Aharanov)が、言い出しました。
アハラノフはテルアビブ大学のほか、米国のイェシーバー大学、サウスカロライナ大学でも教えているそうです。

1932年イスラエル生まれで、1959年に量子力学の黎明期を築いたボームとともに、後にアハラノフ・ボーム効果と呼ばれる現象が起きることを予言したので有名な人です。
アハラノフ・ボーム効果は、1980年代に日本の外村彰によって実証され、世界的に注目を集めました。

 簡単に言ってね。
 難しいと、いや。

そういう難しいこと、また言いますか。

 言うもん。

1988年に物理学者ヤキール・アハラノフは、風変わりな提案をしました。
物質の量子力学的な状態を壊さずに、その状態を観測することができるといいます。

量子力学によれば、物質は相反する状態を同時に実現しています。

 量子というのは、粒子であるとともに、波でもあるということですね。

1個の光子は、右と左に同時に進みます。

 光子に限らず、量子力学的な粒子はそうなのでしょ。

そのようですね。

 進むのは、上と下だって良いでしょ。

良いでしょうね。

1個の電子は、あちこちに同時に存在し得るとされます。

 まるで、一個の電子で雲みたいになる。

ええ、確率の雲と呼ばれますね。

 いくつもの確率を重ね合わせたので、確率の雲になるの。

それを、量子的な多重状態といいます。

ただし観測した時に見えるのは、複数ある可能性からたった1つだけです。
ほかの姿は、観測の瞬間に消えてしまいます。

 たった一つの可能性が選ばれたから、ほかの可能性は消えるわけね。

 複数のお見合い相手から、一人を選ぶようなことだったりして。

たとえとして、微妙ですねえ。

重ね合わせとして現れる量子的な多重状態を壊さず、確率の重なった状態をすべて見ることは不可能とされてきました。

 確率の雲は、どんな状態なのかわからない。

重ね合わせを普通に観測すると強く影響を与えてしまうので、ヤキール・アハラノフは「強い観測」と呼びました。
普通に観測すると、毎回違う結果がランダムに現れてしまいます。

 それは別に不思議なところのない、ごく普通の物理現象ですか。

物理学の“常識”とされてきました。

それに対してアハラノフは、「弱い測定」をすることを主張しました。
観測対象をごく弱く何度も測定すれば、重ね合わせを壊さずにすべての状態を見ることができるというのです。

 弱い測定を用いれば、重ね合わせの結果として生じる量子現象を見ることができるのですか。

量子力学では、存在確率を波としてとらえ「確率波」と呼んだりします。
例えば、複数の確率波によって粒子1個が作り出す干渉を壊さずに、それをもたらした重ね合わせを見ることができます。

 一つの粒子の確率波が、干渉を起こすのですか。
 
 あ、そうか。

 光の量子である光子が、波の性質を現して干渉を起こすでしょ。
 電子でも、干渉は起きるのでしたね。
 
 一つの粒子が、同時に左右に行ったり、上下に行ったりするからね。

 物質の基本粒子としての量子も、波の性質を現して干渉を起こすのですね。

重ね合わせの結果として生じる量子現象の中から、ある特定の初期状態で始まり、特定の最終結果で終わる場合だけを抜き出します。
ある特定の初期状態で始まり、特定の最終結果で終わる場合の中間の重ね合わせを弱い測定で観測すると、極めて奇妙な現象が見えてくるといいます。

 熱愛情報のある有名人の密会現場を、時間をかけて密かに調べて関係を確かめるようなことだったりして。
 直接聞いたって、とぼけられたり、関係が終わったりしちゃうかもしれないしね。

 無駄足も多いけど、何度も密会を確認すれば熱愛情報は確かだった可能性は高いようなことかしら。

あなたって、そういう微妙なたとえ、好きですねえ。

 興味あるもん。

例えば干渉計の中に飛び込んだ粒子がある場所を通る確率が、「マイナス1」という負の値になる、などです。
こうした不思議な現象を、アハラノフは次々と予言しました。
 
もっとも、アハラノフ自身は「存在確率マイナス1」という言い方を避けたがってますけどね。
干渉計の中をマイナス一個の粒子が通るかのような誤解を、嫌ったのです。

 そして、エネルギーや質量がマイナスになることを、はっきり言って欲しいということね。
 
 干渉計の中に飛び込んだ粒子がある場所を通る確率が、「マイナス1」という負の値になるという言い方も改めたほうが良いかしら。

 干渉計の中に飛び込んだある場所を通る粒子が、存在確率「マイナス1」という負の値になる場合があると。

一つの粒子を、ある状態で存在する確率を調べると、「マイナス1」という負の値になる場合があるということでしょうかねえ。

 作用と反作用が重なり合う状態を、調べるのでしょうか。
 作用と仮定した状態に対して反作用になる状態を、「マイナス1」と呼んだのだったりして。

プラス1に対して反対になるからマイナス1とすれば、作用と反作用が重なり合う状態を調べるとみても良さそうですね。

 やはり、複素数と関係してきそうですね。

そのうち、複素数が議論にでてくるかも。

 これって、陰陽なのかしら。

マイナス1の存在確率とプラス1の存在確率が、陰陽だったら面白いですね。

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惑星と恒星の境目はどこ?

太陽系外惑星(たいようけいがいわくせい)とは、太陽系にとっての系外惑星、つまり、太陽系の外にある惑星です。

 太陽系(たいようけい)の外惑星(がいわくせい)ではなく、太陽系外(たいようけいがい)の惑星(わくせい)ってことね。

 こういうときって、漢字だとややこしいって感じ。

その点、ヨーロッパ、例えば英語だと"Extrasolar planet"だからわかりやすいですね。

 そうね。

太陽系の外惑星は太陽系の惑星のうち、地球よりも太陽から遠い軌道をめぐる惑星の事です。

外惑星の対義語は、内惑星です。

外惑星は、"superior planet"のほか"outer planet"とも訳されます。

一方の内惑星には、"inferior planet"や"inner planet"の訳があります。

"inferior ", "superior "は、地球より内側か外側かで区別したものです。
それに対して、"inner"," outer "は、それぞれ太陽系の内側にある地球型惑星と外側にある木星型惑星および天王星型惑星を指すものです。

 今回は、太陽系外の惑星の話ね。

太陽系外惑星とは、多くの場合、太陽以外の恒星の周りを公転する星を指します。

 恒星以外の星を、回る惑星もあるの。

白色矮星やパルサー、褐色矮星を回るものも、見つかっています。
他にも、さまざまな星を回るものが想定されます。

白色矮星(はくしょくわいせい、white dwarf stars)は、恒星が進化の終末期にとりうる形態の一つです。
質量は太陽と同程度から数分の1程度と大きいです。
直径は地球と同程度かやや大きいくらいに縮小しています。

 非常に、高密度の天体ね。

シリウスの伴星(シリウスB)やヴァン・マーネン星など、数百個が知られています。

パルサー(pulsar)は、パルス状の可視光線、電波、X線を発生する天体の総称です。
回転しながら可視光線、電波、X線を出します。

パルスの間隔は、数ミリ秒から数秒が多いが、まれに5秒を超えるパルスを発するパルサーも存在します。
その周期は極めて安定していて、まるで灯台の光のように点滅して見えるので、宇宙の灯台とも呼ばれます。

1967年に、アントニー・ヒューイッシュとジョスリン・ベル・バーネルによって発見されました。

超新星爆発後に残った中性子星がパルサーの正体であると考えられており、現在は約1600個確認されています。

褐色矮星は、質量が小さすぎるために、主系列星になることができない天体です。
天体の分類上は、恒星にも惑星にも入らない、およそ木星質量の13-75倍程度の星です。

主系列星(しゅけいれつせい)とは、HR図上で、左上の明るく高温から図の右下の暗く低温に延びる線である主系列 (Main Sequence) に位置する恒星をいいます。
HR図上とは、縦軸に絶対等級、横軸に表面温度を表すスペクトル型をとった恒星の分布図のことです。

いかなる天体も回らない惑星大の天体である浮遊惑星を、惑星に含めるかどうかは議論があります。
発見法が異なることなどから、系外惑星についての話題の中では浮遊惑星は別扱いすることが多いです。

今回もちょっと前だけど、日経サイエンス2001年3月号より面白い記事を要約で紹介しましょう。

太陽系外惑星は、本当は恒星?
著名研究者の説で論争巻き起こる
      George Musser

太陽系外惑星探しで名を馳せた研究者が主張している「太陽系外の惑星とされているのは、本当は小さな恒星」という説に証拠がいくつか現れ、天文界で議論になっている。
異議を唱える研究者は、証拠が不十分とし、この説自体が誤りと主張しているが、当たっている部分もあるとする研究者も出ている。

ただ、この説を確認するにはデータが不十分で、それを見極める観測が繰り広げられそうだ。

この説を唱えているのは、米国ヒューストンにある月・惑星研究所のブラック(David C.Black)だ。
彼はかつて米航空宇宙局(NASA)の惑星探しのリーダーを務め、1980年代には太陽系外惑星といえば誰もが彼を思い浮かべるほどだった。
ただ、実際に太陽系外惑星が見つかった1995年を境に名声は凋落し始めた。
発見された天体が私たちの太陽系と似ていないため、ブラックは太陽系外惑星でなくて恒星を惑星と誤って判定したと主張し始めたからだ。

ブラックは観測の裏づけのないまま自説に固執してきた。
ただ、最近、ブラックの考えを裏付ける証拠が初めて出てきた。
2000年10月、米カルフォルニア州パサデナで開かれた惑星科学会の分科会で、ピッツバーグ大学アレゲニー天文台の惑星探しのベテラン研究者ゲイトウッド(George D. Gatewood)は、ブラックや当時大学院生だったハン(Inwwo Han)との研究成果を発表した。

彼らは太陽系外惑星と目される星の公転の中心となる恒星が左右にゆれていないかを調べた。
その結果、彼らは多くの場合、左右の揺れがかなり大きく、恒星の伴星が質量の大きい褐色矮星(わいせい)か小さめの恒星だろうとの結論に達した。

ブラックによれば、太陽系外惑星とされる天体は質量分布や軌道からも恒星の特徴に似ている。
しかし、かつて彼と同じ見解をしていたハワイ大学ヒロ校のヒーコックス(William D. Heacox)をふくめ多くの天文学者はいまでは、ブラックが時代遅れの考えにしがみついていると考えている。

これまでの観測では決着つかず

厳密に言えば、観測には常に抜け穴がある。惑星系の中心の恒星のゆれ動きには、2つの成分がある。
1つは観測方向に沿った動き(視線速度)で、もう1つは天空を横切る方向の動き(天文位置速度)だ。
後者の方で突き止められるのは、恒星とされる伴星が恒星のように大質量の場合だけで、ほとんどすべての太陽系外惑星は前者による判定に頼らざるを得ない。
しかし、視線速度法だけだと惑星の質量の最小値を示すにすぎず、本当の惑星の質量は大きいかもしれない。

ゲイトウッドらは、「ピッパルコス衛星」で得た天文位置データに視線速度法を加味した。
彼らは伴星を持つ30の恒星のうち15に天文位置の動きのある事を見いだした。
これは伴星が褐色矮星恒星なのかを暗に示している。

カルフォルニア大学バークレイ校の有名な惑星発見者マーシー(Geoffrey W. Marcy)は「ブラックの主張は完全に間違っている」と言う。
彼らは推測される方位の動きはありそうもないと主張している。
伴星のうち4個は観測方向から1度以内の軌道にあるという。
その方位をもつ天体で、ある質量の1つの伴星がその方位にある確率は1/5000程度しかない。
こうした天体は見つかっていない。

テルアビブ大学のマゼー(Tsevi Mazeh)とツァッカー(Shay Zucker)は真実は両説の中間にあるという。
彼らは実際にその天体の2つだけが恒星の質量をもっていることを確認した。
ほかの天体では天文位置の動きがなかったという。

ブリュッセル自由大学のプベー(Dimitri Poubaix)は最初、テルアビブ大学と同様の結果を得たが、その分析が微妙な計算誤差から導かれているのではないかと疑っている。
論争にけりをつけるには、高精度の天文位置測定が必要になる。
伴星からの赤外線を直接観測する事も、予定されている。

太陽系の外とはいっても、恒星と惑星の区別が揺らいでるのは興味深いです。

 太陽系でも、恒星と惑星の区別が揺らいでくるのかしら。
 揺るがすデータは、出たのかなあ。
 そのうち論争が、飛び火したりして。

そうなったら、面白いですね。

恒星と惑星の差って、大きさじゃないようですよ。

 じゃ、重さはどうよ。

あ、そうですねえ。
こんな記事、ありました。

古典的な系外惑星検出法がついに成功
【2009年6月2日 NASA JPL】

系外惑星を見つける方法として50年前から試みられていた「アストロメトリ法」が、初めて成果をあげた。
発見されたのは、恒星と惑星の直径がほとんど同じという奇妙な惑星系である。

一般に系外惑星を探すときは、惑星自体の姿ではなく、惑星の影響によって中心の恒星のスペクトルや光度に生じるわずかな変化を検出するという手法がとられてきた。
1995年以来、「ドップラー法」や「トランジット法」と呼ばれるこうした手法で、300個以上の系外惑星が見つかってきた。

ところで、系外惑星第1号発見に至るまでには長い捜索の歴史がある。
その中でドップラー法などよりも古く、50年前から試みられながら、失敗に終わってきたのがアストロメトリ法だ。

惑星は恒星の重力にとらえられて回っているが、恒星の方も惑星の重力に引きずられていて、惑星の公転に伴ってわずかに動いている。
こうして恒星の位置が変化するのをとらえるのがアストロメトリ法だが、ひじょうに高い分解能が必要とされたため成功例はなかった。
代わって脚光を浴びることになったドップラー法は、恒星の位置ではなく、われわれに近づいたり遠ざかったりすることでスペクトルが変化するのをとらえる方法である。

「アストロメトリ法は太陽系に配置が似ている惑星系、つまり第二の地球が存在するかもしれない場所を探すのに有効です」とNASAジェット推進研究所のSteven Pravdo氏は語る。
地球に近い恒星であれば、より高い精度で位置を測定できる。
その大半は質量が小さくて暗い恒星なので、惑星が恒星に近くても、あまり熱くならずに生命に適した環境を保てる可能性がある。

Pravdo氏らはパロマー山天文台の5mヘール望遠鏡で、12年間にわたり30個の恒星を断続的に観測し続けた。
ヘール望遠鏡は60年の歴史を持つ古い望遠鏡だが、大気による恒星像のゆらぎを補正する補償光学装置を備え、さらに16メガピクセルのCCDで撮影することで高い精度を実現した。
その結果、わし座の方向約20光年の距離にある恒星「VB 10」の位置に、3km離れた髪の毛1本ほどのわずかなずれが確認された。
アストロメトリ法による初めての系外惑星発見である。

発見された惑星「VB 10b」は巨大なガス惑星で、質量は木星の6倍。
一方、VB 10は質量が太陽の12分の1(木星の約90倍)ほどしかなく、かろうじて恒星としての輝きを保っている。
両者の質量には大きな差があるが、直径はほとんど同じだと考えられている。

ますます、星の世界も面白い話題が出そうですね。

 ここでも、恒星と惑星の差をどう説明するかが、問題ですよね。

そうですね。

 核融合モデルは、恒星は惑星よりも、軽い、大きい、この二点に支えられてきたと言えますね。

燃焼では短期間だから、核融合だろうと言うのが、根拠の仮説なのですよ。

 燃焼にも、燃えれば軽くなると言う事実からフロギストン説があったでしょ。

フロギストン説 (phlogiston theory) とは、「燃焼」はフロギストンという物質の放出の過程であるという説ですね。

 フロギストンとは燃素のことで、科学史上のひとつの考え方で、「燃素説」とも呼ばれたでしょ。

この説そのものは、決して非科学的ではなかったけど。
より現象を有効に説明する酸素説が提唱されたことで、忘れ去られていったのですね。

 燃えると重くなる例が見つかって、燃焼は酸素との化学反応であるという、酸化説に変わったですよね。

核融合説で具合の悪い例が出れば、恒星の光る原理に、やがて新説が出るかも。

 求めよされば与えられん。
 叩けよされば開かれん。

 さて、どんな答えを求められるのかしら。

恒星の見直しは、避けられないかも。

 惑星も光ったりしてねえ。

イエスが光ったように、ですか?

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重力と電磁力?

以前、複素数と重力は関連がありそうとお話しました。

要点だけ、振り返ってみましょう。

 複素数は、作用と反作用の対を表現している。

 虚数は、逆方向や反作用とか可能性に対応し、実数は正方向や作用とか現実性に対応する。
 
 全ての事柄は、可能性と現実性の総和からなる。

 確率論と複素数は、一つの事象の二つの側面。

 空間と時間の4次元も、実は複素数。

 時空の4次元とは、エネルギーに満たされた空間。
 つまり、時空の4次元とは、二乗によって虚数単位が取れた姿で描かれた時間が足し合わされた空間。

 時間とは変化であり、変化とは可能性が現実性を生み続ける過程の連続である。

 重力は、引力と斥力からなる可能性がある。

今回は、重力と電磁力は似ていると言う展開を追ってみます。

 難解な用語と式の羅列じゃ…。

考えだけ追う分には、ほとんど要りませんよ。

 重力の引力はともかく、斥力はまだ定説じゃないでしょ。

仰るとおりです。

けれど、重力と電磁力は似た式で表せると言う指摘もあるのですよ。

さらに、重力と電磁力などを統一する理論を作ろうとすると、重力を複素数で表すことになると言います。

 アインシュタインも、統一場理論に複素数場の考えを入れようとしたそうね。

そうしないと、重力が統一場に収まらないと言う訳でしょうね。

 虚数の定義の一つが、「2乗した値がゼロを超えない実数になる」でしょ。
 絶対に「ゼロを超えない実数」とは、マイナスでしか表現できない数。
 反対向きの変化が、マイナスでしょ。

じゃ、重力についてみたらどうでしょ。

 引力をプラスとすれば、斥力はマイナス。
 斥力をプラスとすれば、引力はマイナス。

 どっちを実数にとり、虚数にとっても複素数ですねえ。

つまり、重力を引力と斥力からなると見れば、電力と磁力からなる電磁力と似た式になっても不思議ではありません。
そして、重力と電磁力の統一で、重力が複素数になってしまうのも、当然となってしまいます。

 電磁力は、単純化すると電子が震えて出るもの、でしょう。

電磁力は、電子がエネルギーを取り込んだり吐き出したりすることで発生するのですが…。
単純化すれば、そうでしょうね。

 じゃあ、重力も振動から発生するとか。

これ以上下がらない温度である絶対零度でさえ止まらない、“ゼロ点振動”とも言われる“零点振動(Zero-point motion)”はありますよ。
あらゆる物理現象、生物現象、経済現象に現れる“f分の1ゆらぎ”も、この零点振動と関わりがあるかもしれないです。

この零点振動が、重力発生と深く関わる可能性はありますね。

 そういえば、電子などは“仮想光子(virtual photons)”に包まれているって言われますね。
 仮想光子は、この零点振動で発生する電磁場と、繋がっていますかねえ。

 まるで呼吸するように、エネルギーを出し入れしている電子は、光を呼吸してるようなものでしょうかね。

仮想光子とは、零点運動や原子核をまわる時など出ていると見られている「見えない」光ですね。

零点振動と仮想光子とを結びつけるのも、面白い見方ですね。

 そういえば、光子の場合には零点振動は零点輻射というとか。

輻射とは、電磁波の放射に対して使われる用語ですね。

 零点振動で、電磁波が出てる。
 それが、仮想光子となって粒子にまとわり付いているってことねえ。

質量があると、空間を歪めて重力を引き出すと言ってるのが一般相対性理論。

 ちょっとまって、それって重力の正体は引力ではないと…。

アインシュタインの時代も、今も、重力は引力しか見つかっていないので、重力すなわち引力と見られていましたけどね。

 零点振動と仮想光子とを、複素数で表す重力と結び付けたら面白いって。

考える余地は、あるのでは。

宇宙マイクロ波背景放射cosmic microwave background (radiation)とよばれ、CMBとかCMBRと略される、天球上の全方向からほぼ等方的に観測されるマイクロ波があります。

この、宇宙マイクロ波背景放射と重力のあいだに、もしも今考えている素粒子段階の零点振動をはさんで関連があれば面白い展開になる可能性があるのです。

 どういうこと。

宇宙背景放射 cosmic background radiation略して CBRとか、マイクロ波背景放射microwave background radiation略してMBRともいいます。
放射の同義語である輻射をもちいて、宇宙マイクロ波背景輻射、宇宙背景輻射、マイクロ波背景輻射という場合もあります。

そのスペクトルは、2.725Kの黒体放射に極めてよく一致しています。
黒体(こくたい)Black bodyは、完全放射体ともいわれます。
外部から入射する光・電磁波による熱放射などを、あらゆる波長に渡って完全に吸収し、また放出できる物体のことです。
黒体からの、熱などの放射を黒体放射といいます。

宇宙マイクロ波背景放射は、単に黒体放射温度から、3K背景放射、3K放射ともいいます。

 このKは、絶対温度ケルビンkelvinの略ですよね。

宇宙マイクロ波背景放射の特徴の一つに、エネルギー分布が黒体放射と非常に良く一致しているという点があります。
宇宙マイクロ波背景放射の顕著な特徴は、非常に高い精度で等方的であるという点である。

実際は、宇宙マイクロ波背景放射の温度は場所ごとに異なっている、すなわちわずかに非等方性がありますけど。

 ある方向でのスペクトルは、黒体放射にほとんど一致するといって良いほど似ているのでしょ。

ええ、全体としてはあってるといっていいでしょ。

 宇宙マイクロ波背景放射が場所ごとに異なっている理由と、重力と関係あると面白いけどね。

問題は、裏が取れるデータですけどね。

 電磁力と重力が似た式って、やっぱり重力も対になった力を考えないといけないってことね。

 だとすると、重力も陰陽のような構造なのかしら。

そうかも。

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自然にもDNA?宇宙は生きている?!その2

科学雑誌Natureの2006年3月16日号に、「銀河系にもあった「DNA」のような二重らせん」というのが載ったそうです。

 そういえば、自己組織化する宇宙なんていう理論も出ましたねえ。

ええ。
私も話題にしました。
正しくは、「自己組織化する量子宇宙」を扱った理論ですけどね。

 今回のNatureの記事、古いけどあえて触れるのも、それと関係あるの。

意識してないとは、いえないですね。

それで、ちょっと前だけどあえて話題として出しました。

Natureの記事によると赤外線観測でDNAの二重らせんのように見える星雲が、銀河系の中心付近で見つかったといいます。

発見者のM Morrisたちは、銀河系中心の磁場を調べていました。
銀河系中心の磁場は、興味深い研究領域です。

磁場が分子雲の軌道に影響を与えたり、星の形成を抑えたり、宇宙線を銀河系中心から送り出したりしている可能性があるからです。

天文学では銀河を構成する星々の間に散らばる小さな物質を、ダストと呼びます。
銀河の周辺から中心部まで分布するダストを構成する物質は、さまざまです。
X線が星間ダストを通過する際に、ハローが形成されます。

ハローとは、霧の中のライトの周りに広がる淡い光のようなものです。
このハローの光は、天体から直接届く光にくらべてわずかに遅れて届きます。
ハローのようなものを含めて、熱放射と呼びます。

かれらはダストの熱放射を観測するため、2003年8月に打ち上げられた赤外線宇宙望遠鏡スピッツァー宇宙望遠鏡に搭載した特殊カメラを使ったのです。

スピッツァー望遠鏡は、ハッブル宇宙望遠鏡、チャンドラX線観測衛星、ガンマ線天文台衛星コンプトンに続くNASAの4番目の宇宙望遠鏡です。
各衛星は異なる波長で宇宙を観測するが、スピッツァーは赤外線波長を担当しています。

M Morrisたちは、ダストの熱放射の観測を通じて二重らせん状になった星雲を見つけたんだそうですよ。
そしてこの観測結果から、二重らせんの星雲が、銀河面に対して垂直な中心軸のまわりを回転しているという結論を導き出したのです。

 磁場の調査でなんで、熱放射かというと。

熱放射は、熱輻射とも、温度放射とも呼ばれる物体から熱エネルギーが電磁波として放出される現象や、放出される放射線自体をさすからなのです。

そのエネルギーやスペクトル分布は、物体の種類と温度によって決まり、温度が高いほど波長の短い電磁波が多く含まれます。

 生物のDNAでおなじみの二重らせんが、銀河系にもって…。
 DNAと宇宙って、別なようで繋がってるんだね。
 
 DNAの中にも、もっとミクロな宇宙があって。
 そのどこかに、私たちみたいな生命体がいて…。

 なんてスケールのでかい事を、考えてる間に仕事しなくっちゃ。

磁石の磁場に沿って砂鉄は、磁力線の姿を現します。

 磁場が二重らせん状になっていて、それにダストが沿って並んでいるということなのでしょうか。

そうかも。

素粒子など基本的な粒子レベルから天体にいたるまで、原子の構造と惑星の軌道のような階層的な構造があるとは、感じていました。

 自然の階層性が、こんなとこまであるんですね。

 銀河の中心を取り巻く二重螺旋……。
 興味深いですね。
 小説のネタに使えそうです。

SFに使えるかも。

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素直と感謝は誰に?素直とは?その3

感謝する心の大切さをいう、人は少なくないです。

 反発する人も、少なくないでしょうね。

なぜ?

反発したくなる心情もわからんではないです。

どうせ、下心があるんだろ?

恩着せがましいやつは嫌い!

確かに、なにかのたくらみをもって接して来る者は多いです。

というか、何のたくらみもなしに近づかない者の方が少ないです。

 近づいてきた動機が、問題ですね。

あなたをある方向に、仕向けたいと言う訳ではないでしょうか。

あなたの向きたい方向と異なる方へと誘導されるときは、どうです。

あなたが向こうとしているのは、今向くべき方でしょうか。

 そう向くべき方なら、それを妨げる下心は退けるべきしょうね。

でも、もしそうでないのに気がついてないのをさとしてくれたなら?

気がつかせてくれたことに、感謝した方が良いのではないでしょうか。

では、しようとする方向へと助けてくれることはどうでしょうか。

あなたを利用したいだけなら、どうです。

わたしはあなたの道具ではないと、腹が立つでしょうね。

純粋にあなたを助けたいとしたら、どうです。

ありがたく、受ける方がいいのではないでしょうか。

どちらがあなたによってくるでしょうか。

向くべき方からあなたを退け、あなたを利用しよう者。

向くべきほうにあなたを導き、あなたを助けようとする者。

反発するべきはどちらで、感謝するべきはどちらでしょうか。

 判断は、案外難しいですよね。

答えを簡単にする方法はただ一つ。

あなたが向くべき方を向いていることでしょう。

正しい方かどうか、さとしてくださる方の声に耳を傾けることでしょう。

 この世界に、その方はおられるでしょうか。

おられるとしたら、その方は神でしょうね。

永遠の過去から永遠の未来へ、すべての者を正しく導こうとし続けておられるお方です。

その方に気づけてこそ、真に感謝すべき導きに出会えると言えるでしょうね。

感謝の大切さを言う人たちは、素直な人たちでもあるでしょうね。

え?

素直になるべき神は、だれ?

すべてを知り、すべてを語り、すべてを愛する、無邪気な心のお方、永遠の過去から、永遠の未来に生きておられるお方でしょう。

 自分の周りには、手を差しのべてくれる人がいるのでしょうね。
 普段は気がつかないで過ごすことが多いかもしれません。

 親友、友達、親、仲間。
 そして、私の愛する猫ちゃんたち。

 生きる喜びが、すべてここに繋がっている気がします。
 それも素直に感謝しなければならないのだとね。
 歳を重ねながら、思うことです。

猫や動物たちって、自分に正直ですよね。

 感謝の気持ちは、大切にしたいですね。

感謝の大切さを言う人たちは、素直な人たちでもあるでしょうね。

 そうだと、思います。

 でも、今は素直な人が生きにくい世界って思いませんか。
 おそらく、猫が一番素直ですよ。

 でも、素直に生きたいです!
 人にも、自分にも!

 そのためにも、人を見る目を養わねば…。

それは、いえてますね。

 見返りを求めている優しさなんて、いらない。
 今の世の中は、見返りを求める人が多い。

 まずは、自分自身がどう考えて行動するでしょうかね。
 だから、自分の考えで行動して失敗しても愚痴は言わない。

 人は人、自分は自分。
 人のいう事に耳を傾けても、考えや行動は自分で決めることが大事だと思います。

 なんか、言っている事が分からなくなりました。

 趣旨が外れてしまって、ごめんなさい。

いえいえ、良いのです。

考えて欲しいから、話してるのです。

自分の考えや行動を、自分で決めるのが基本なのは確でしょうか。

見返りを求められても、必ずしも期待に応えられるわけじゃないです。

第一、応えて良い見返りかどうかも問題ですね。

そもそも、応えないからと腹を立てる者さえいるから、始末が悪いです。

ならば、そういうやっかいな者に関わらない方がよいですね。

“類は友を呼ぶ”とはよく言いますよね。

寄られては困る相手に、関わりたくないと思ってもらえる生き方が必要でしょうね。

本当に寄って欲しい相手に寄ってもらえ、絶対寄って欲しくない相手に倦厭される、そういう生き方を求めて探っていきたいのです。

 「人を見る目がある」という能力が、少しは自分の中にあると思っていたのにねえ。
 そうじゃなかったってことがある…。
 
 そういう人が寄ってきたこと自体、自分に問題があったわけだよね。

 根本的に自分の生き方を変えなければいけない転機だったってことなのか…。
 身につまされるお話でした。

 少し救われもしました。
 ありがとうです。

わたしだって、発展途上です。

自分自身への戒めとして、話しているのです。

 今ちょうど愚かな自分を責めていて、タイムリーな話だったので。
 きっとみんな多かれ少なかれ似たようなことを体験しているんだってわかっただけ、少し安心しました。
 
 心に響く言葉をありがとう。

こんなわたしの言葉でも、お役に立てたならうれしいです。。。

 こうゆうのって、猫相手に考えるとね。
 いいかも知れん、と勝手に解釈するワタクシです。

 見返りを期待しない
   ↓
 猫を可愛がるという行為は自分からしたくて
 やっているのでそもそも見返りを期待するのが
 手前勝手であるという自覚
   ↓
 であるからして愛情を注いでもシャーッとやられるのは
 猫側の自由(権利)と心得る
   ↓
 その上で、懐いてくれる猫に喜びと感謝

 かなり、狭い範囲の理解ですけどねっ

無償の愛には、違いないですよね。

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善悪を知る知恵の樹の実とは。

原罪は本当かなど、生命の樹の謎を解くために、いろいろ考えてきました。

 創世記の中に、永遠の生命が与えられる生命の樹と、善悪を知る知恵の樹とあるのはなぜでしょ。

善悪を知る知恵の樹を受け入れてこそ、永遠の生命が与えられる生命の樹を求める資格が得られるのではないでしょうかね。

善悪を知る知恵の樹を食べるとなぜ死ぬか、それは魂が弁証法的発展を遂げる為でしょうね。

 霊と言い換えても、良いのかしら。

良いでしょうね。
 
 否定の否定と言う弁証法の重要な原則を知らないと、この謎はまず解けないのかしら。

陰陽で言えば、生旺墓の一巡を経た新たな生を得る事が否定の否定なのですよね。

 創世記には、主がアダムとイブに警告した事が記されていますよね。
 知恵の樹の実は食べてはならない、食べると死ぬからである、と。

「シュールストレミング」は食べてはならない、あなたはものすごく臭い思いをするからであると、警告された。
それなのに、臭くないから食べてみろとそそのかされて食べてちゃって、やっぱりものすごく臭い思いをしたのと大差ないでしょうね。

 「シュールストレミング」は、世界一臭い缶詰でしょ。

イエスが十字架を必要とした訳も、ご存知でしょう。

 贖罪の子羊は、一面に過ぎないのかな。

生旺墓の一巡を経た新たな生を得る事は、否定の否定なのですよ。

 ヤハウエは受肉し、イエスとなられました。

その段階では、イエスはまだ人の子の段階だったのです。

 受肉って事は、肉体がない霊体であったって事でしょうか。

そう思って良いでしょうね。

 神の息で、アダムが人になったみたいな事かしら。
 ヤハウエが受肉して、イエスになるって。

新たなアダムが、受肉のイエスだったと見ても良いかも知れないです。

 イエスが十字架に架かる必要って、どういうところにあったのかな。
 一段高い霊的存在になる為に、イエスは復活体を得た。

そのために、贖罪の子羊を引き受けられたのでしょうね。

 主の道を歩むなら、誰にでも復活体が授けられると言う奥義もまた、開示されたとか。

そうでしょうね。

 復活体とは、自ら望んでなれる状態ではなく、神の与えてくださる状態ですか。

 どう生きたら、神に復活体を授けていただけるかを、知らないといけない。

 悟るしか、ないのでしょうかねえ。

 どう生きるべきか、どう考えるべきか…。

それを自らの力で悟れる能力が、善悪を知る知恵の樹によって授けられたのでしょうね。

 復活体の為の死を理解して受け入れられるように、善悪を知る知恵の樹の実は食べる必要があった。

弁証法の言う否定の否定は、形式論理の言う否定の否定とは似てるけど違います。

 裏の裏が表となるのは、否定の否定と同じじゃないの。

それは、形式論理で言う否定の否定です。

けっして間違えではないですが、弁証法論理では似た状態に戻るけど同じ状態に戻るのではないのですよ。

 手元の現金を仕入れに使って、仕入れたものを売れば儲かる場合もあるけど、売れなきゃ大損。

 つまり、そういうことですか。

 仕入れる前と、売った後では、手元の現金は増えるか減るかで、同じじゃないような事。

種を播いて、うまく咲けばたくさんの種がとれ、うまく咲かないとまったくとれないときもある、なんて例を挙げる場合もありますね。

 いろいろ、例を挙げられそうですね。

考えてみてくださいね。

裏の裏が表に戻る形式論理の言う否定の否定と違い、弁証法の言う否定の否定は、螺旋的発展と言われます。

 登山鉄道でよくある、スイッチバックを連想しても良い?

ジグザグな変化も、よくたとえに使われますよ。

聖書に出てくる生きながら昇天なさったとされる方々は、霊による清めである否定の否定によって実質的な復活体となられたのかも知れないですね。

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幼子のように神を思うとは。素直とは?その2

幼子と動物の判断に、共通するものってあると思いませんか。

 そうねえ。

それは、いま自分が生きるために選んで良いことといけないこと、それがいま自分が何をすべきかを選ぶ基準ということです。
幼子であればあるほど、しつけは、自分に得になる、自分にとって有利に働くようにもっていける、そういう行動パターンを身につけさせる事になるでしょうね。
これは、すべての動物にいえることではないのでしょうか。

 それがはっきりとわかる、良い例がありますか。

そのひとつは、シャチのショーなのです。

動物園や水族館で、ショーを演じているシャチは小魚を主食とする文化の群れから来ているのです。
まちがっても、アシカや、オタリア、ペンギン、という顔ぶれを主食とする文化の群れからつれてきてはいけないのです。
それは、人間を味方にすると食いっぱぐれのない、安心できるところに住めるという文化を学びやすいのは、どっちかということです。

ほかの例としては、人の子でも、愛されて育ったか、愛を知らずに育ったか、ということがあるでしょう。
もちろん、一般的にいえば、愛を知って育った子の方が、新しい環境になじみやすいです。
ただ、愛を知らなかった子も、愛を知れば驚くほど変わる可能性はあり、幼子であればあるほど変わりやすいといえるでしょうね。

そこで、幼子も動物たちも、人の作った世界で生き残るすべを身に着けないとならないです。
人は何を考え、自分にどう振舞うことを求めているか、それをすばやく知り、すばやく応えること、これが賢く生き延びる道ということになるでしょうね。

「幼子のように神の国を受け入れる者でなければ、けっしてそこに入ることは出来ない」
イエスは、こういっておられます。

これ、つまりはこう言い換えてもよいのではないでしょうか。
神を味方にすると食いっぱぐれのない、安心できるところに住めるという、そう判断すると得になると悟ったほうがいいということです。
神は何を考え、自分にどう振舞うことを求めているか、それをすばやく知り、すばやく応えること、これが賢く生き延びる道ということになるということでもあるでしょうね。

そうなるとです。

幼子はもちろん、ネコやイヌなんかは、神の国に無条件に入れるってことでしょうか。

人も、良い意味で、ネコ目線、イヌ目線になったほうが神のおめがねにかなうってことでしょうか。

どうでしょう。

そういえば、イエスは「よき羊飼い」とよばれていますよね。

 一応、愛されて育ってよかった。

 その論理で行くと、水子も、神の国に無条件に入れそうですね。
 わたしの兄弟姉妹となるはずだった、流産した子達が、この世とあの世の間で迷わずにいて、神の国に召されているのなら、本当に喜ばしいです。

そうなるかも知れませんね。

 良い話を聞かせてくれて、ありがとうございます。
 その子らの状態が心にずっと引っかかっていたのですが、心が安寧になりました。
 本当にありがとう。

 今度、墓参りするときに、そのことを心しながら、頭を垂れてきます。

気持ち、落ち着きましたか。

 大人になるにつれて、色う欲も出てくるし、 面子も守りたくなるし、義理もあるしで、 そのとおりに生きていくのは難しいですからね。

人はなまじ知恵や知識をたくわえてしまうので、それに頼ろうとして、かえってドジを踏んじゃうのかも。

 今日のお話、すうっと、心に響きます。
 子供の頃から私は、どうやって暮らせば、どういう方法を選べば、自分が生き易いか、協調をたもてるか。
 そんなことを考えていたような気がします。

 おかしな子供でしたねえ。

そんなことないでしょ。

 これは母からではなく、亡くなったおばあちゃんからの教えというか…。
 童話や寓話を寝物語に聞き、たとえ話をよくしてくれていたの。
 そのせいなのかなって思えて、仕方ないのですが。

 その話を聞いている側には、必ず猫がくっついていました。

従うほうがいい相手をちゃんと見定め、その相手にいかに上手にそうか、自分の弱さを知るものは、生まれながらにわかってるっていうことでしょうかね。

さすが、猫…。

 大人の観点で物を考える方が、間違っていたりしますよね。
 大方のこと。
 子供の観点の方が、どれだけ正しいか知れません。

たしかに、大人って事実のほうより都合を優先しちゃいますね。

 先日京都で涅槃図を見てきましたが…。
 入滅するお釈迦様の一番近くの周りにいる神様やお弟子さん達は、それぞれ嘆き悲しんで身をよじらせているんです。

 その下にいる動物たちもお釈迦様の方を向いてその死を嘆いているのですが…。
 一番下の方にいる犬や猫、鹿やイタチは静かに目を閉じているのです。

 最後の経は、法華経といわれているけどねえ。
 実は入滅寸前に、お釈迦様は本当に最後のお経を唱えているそうです。

 目の前の死を嘆き悲しむのでなく、その教えを静かに聞こうとしているのは、一番遠くにいる動物たちのように見えました。

 心を無にして入ってくるものを自然に全部受け止められるのは、そうした者たちなんでしょうね。
 
 時に、ネコ目線になることって…。
 いいことだと思います。

受け止め方はそれぞれですね。

素直に現実を受け止められる、そういう心になれることは大切です。

でも、自分の心もまた現実です。

いかり、とまどい、かなしみ、そんなときは乱れた心も無理せずに受け入れ、心の静まるのを待つしかないです。

今を前向きに見る心になれること、難しいけど一歩一歩、たとえ少しずつでもそうなりたいものです。

困ったとき、苦しいとき、祈って心を落ち着かせたほうが良いでしょうね。
困ったときの神頼み、たとえ困ったときだけであっても、祈るのは良いことと思いますよ。

落ち着けたら、感謝の祈りをささげる、これしかできないちっぽけな自分を意地を張らずに受け入れる、これさえ忘れなければ良いのではないのでしょうか。

それしかやりようも、いいようも、今の私にはないです。
 
 深い話題ですねえ。

 人間は、大人になっていくにつれて、本当は必要ないものや不要なものを手放せなくなる性質があるらしいですよ。

 ワナに掴まったオランウータン状態ですねえ。
 霊長類より、猫の方が神の国に入りやすいのでしょう。

 私は毎日16匹の猫たちに、鍛えられてるらしいです。

そういえば、エジプトや日本で動物神信仰ありますねえ。

 犬や猫は善悪の判断ができないので、無条件で天の国に入れそうな気がします。

 人間はたいへんですよね。
 天の一番高い所に行く可能性もあるし、地獄の底に行く可能性もあります。
 私も地獄行きにならないように、がんばりたいと思います。

 神様は、私達人間を愛してあわれんでくださいます。
 悪魔は、人間にちょこっと餌を与えておいて必ず裏切ります。
 ここらへんを悟って、日う生きていかねばなりません。

ついていると思えるときほど、謙虚さと感謝の気持ちを忘れたくないですね。

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マルクスとエンゲルスは、サタニストか。 マルクスと聖書? その2

マルクスとエンゲルスには、サタニストのレッテル貼りがしばしばされてしまうのですよね。

 オカルト好きのやることは、さっぱりわかりません。

 なんで、神だのサタンだのが、登場するわけよ。

突っ込みにくいでしょうね。

 そう、確かに突っ込みにくいです・・・。

サタニストのレッテル貼りがされてしまう理由は、簡単ですよ。

マルクスとエンゲルスには、神とキリスト教に対する罵りの言葉が多いからですよ。

 それが原因ですか。

 神とキリスト教に対して、罵ればサタンであると。

神とキリスト教に対立すれば、反キリストでありサタンであると言うのが、彼らの言い分ですよ。

 なるほど…。

しかも、ソ連や東欧の失敗がありますからねえ。

 それ、大きいですね。

けれど、最近になってマルクスの再発見や再評価の動きが見られるのです。

 マルクスの呪いが解けた訳ではないから、ですか。

一方の極に富、他方の極に貧困、この流れは今、世界を飲み込んで激流になろうとしているのです。

 それに対抗して、左翼政権も出てきてるね。
 マルクスやエンゲルスを、必ずしも掲げるわけではないけど。

さらに資本主義は、近代経済学の手法だけでは制御不能とも見える方向に進んでいるように見えるです。
社会主義的な手法を取り入れることなしには、手の施しようがなくなってきているのです。

 もし、マルクスとエンゲルスの思想がサタンの誑かしに過ぎないなら、どうしてこうなるの。

サタニストのレッテル貼りをしてる人には、説明できないでしょうね。

 サタンの誑かしに過ぎないなら、どうして近代経済学者はマルクスの呪いが解けないの。

 マルクスとエンゲルスに、サタニストのレッテル貼りをする事がそもそも馬鹿げている。

当然でしょうね。

悪魔(Akuma)とサタンは違うのです。

道を踏み外して地獄に落ちる者が、サタン。
道を踏み外した者を地獄に落とすのが、悪魔(Akuma)。

 マルクスとエンゲルスの思想には、本性を暴き、地獄に落とす悪魔(Akuma)の顔がある。

悪魔(Akuma)は裁きの神、神仏は救いの神、どちらも神の仲間なのですよ。
サタニズム呼ばわりは、マルクスとエンゲルスを読み違えてるです。

 なるほど。
 マルクスとエンゲルスは、資本主義が裁かれて社会主義が来ると言ってるねえ。

 時代に逆らう資本主義は、世界を動かす法則によって退けられる。

逆らってはいけない世界を動かす法則は、マルクスとエンゲルスにとっては、神様みたいな存在ですよね。

 だから、マルクスとエンゲルスの思想は、聖書の焼き直しなんて言われるのね。

 ソ連と東欧は、神である世界を動かす法則を読み違えて挫折した…。

日本共産党なんか、ソ連や東欧は逸脱したとまでボロクソに言っていたのですよ。
崩壊に際して、巨悪が去ったとまで喜んでいたのです。

 もちろん失敗からでも、学べる事はあるでしょ。

当然です。

 中国は、どうなりますかねえ。

したたかにやってるように見えるけど、いつか軌道修正の時は来るでしょうねえ。

 民主主義とか、課題が多いからね。

 ところで、最近の蟹工船ブームを喜んでいる日本共産党…。
 どうなのかなあ

政権には、連立でしか就かないと言ってます。

 単独政権、始めから投げてるし…。

本命の相手は、経済民主主義の党であると。

 まるで、吉祥天と黒暗天ね。

黒暗天は、裁きの悪魔(Akuma)ですからね。

仮に民主党は政権交代しても、迷走して墓穴掘る可能性は高いですね。
なんせ、一度破綻している自由民主党と日本社会党と新党さきがけの連立の枠組みを凍結したような党です。

 言ってみれば、政権交代を謳い文句にした選挙互助会政党。
 今後出る政党も、しばらくは五十歩百歩かもね。

長い目で見れば、共産党がクローズアップされる展開がやってきたロシア革命と似た展開はありえますね。

 でも、経済民主主義の党が登場する点が違う。

 なるほど、黒暗天を受け入れたら仕事を引き受ける吉祥天みたいね。

 陽に当たる救いの吉祥天と、陰に当たる裁きの黒暗天…。

 ここでも陰陽ですか!

だって、陰陽五行思想も、唯物弁証法のルーツなのですよ。

 悪魔(Akuma)とサタンの違いとか、ねえ。
 なかなか、わからないですからね。
 なるほど、そういうことか!と合点がいきました。

合点いったのは、悪魔(Akuma)とサタンについて、でしょうか。

 そうですが。

そこだけですか…。

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